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2013年 04月 12日 |
【こんな本】

全六十八回 上下本。

最初の「凡例」に「この本は七十回本《水滸》の続きだ」と書いてあります。(凡例ってそういうことを書く部分なのだろうかw)

1940年代の中国には七十回本しか出回ってなかったのかな?と一瞬思ったら、そのあとに「七十回本の後日談には三種類あり、《征四寇》、《後水滸》、《蕩寇志》だ。《水滸》の古本には百回本、百五回本、百十回本などがあり・・・」とちゃんと書いてあったので、百回本etcも読まれていたようです。

張恨水は疎開先には100冊足らずの書物しか持ち出せなかったようで、《水滸》のすべてのバージョンは参照できなかったと断り書きがありました。それでも《宋史》や《金史》を持って逃げたんですね。さすが作家だ。

文体はできるだけ《水滸》に似せるようにしたが、やりすぎると現代の読者に理解不能になるので、まったくの模倣ではないそうです。なかなか上手なパスティーシュになっていて面白かった。

七十回本の続きとはいえ、魯智深の坐化や武松が片腕で敵をやっつける場面は人口に膾炙しているので、話の展開を勝手に変えることはせず、英雄好漢たちの最後はおおむね百回本と同じ。


【内容はこんなの】

七十回本の続きなので、梁山で108人聚義した夜、大宴会で酔っ払った玉麒麟・盧俊義が好漢たちが皆殺しにされる場面を夢で見て汗びっしょりで眼が覚めるところから。「男たちの挽歌」のオープニングみたい。

首尾よく招安のあと、魯智深が坊主は役人になれないと言い出して脱退。他の英雄も各地に散らばって、しばらくは個人の話が続きます。

この小説でいちばん良かったのは孫二娘。
東京で夫の張青と料理屋を経営して繁盛している。

徽宗が宮廷で「お店屋さんごっこ」を開催するというので宮中に呼ばれて、ブースを出店することに。
すると模擬店に乞食が来て食事をめぐんでほしいと頼む。
追い払おうとする孫二娘だが、考えてみれば宮中に乞食がいるはずはない。顔に泥がついているが肌は白く、耳の裏も汚れていないので(さすが孫二娘は眼のつけどころが違う!)きっと皇帝の変装に違いないと気づいて、ご馳走を椀に入れてやると、乞食は黄金をばらまいて去っていった・・・

このあと孫二娘には入宮の命令が下り、徽宗とあわやというところへ張青が!!!という展開を期待したのですが、《水滸》は女色厳禁なので、孫二娘はそのまま家へ帰りましたとさ。つまらんのう・・・


太平を謳歌していた東京の人々でしたが、金が攻め込んできます。
抗日小説なので金=日本です。
魯智深や孫二娘は金兵をバッタバッタと殺しまくりますが(・・・抗日小説ですから・・・、)多勢に無勢、張青が殺されてしまいます。
私は張青のファンなので、日本兵に殺されるのを見るのはつらかった・・・。
孫二娘も重傷を負います。魯智深が連れて逃げようとするのを、張青の遺体を捨てていけないと拒否する孫二娘。
魯智深はやむなく一人で金兵を突破して逃げます。

このあとはほとんど金との戦闘のお話。

梁山の好漢たちは果敢に戦いますが、朝廷の高官たちは腐敗してて愛国心もないので金に負けちゃいます。
徽宗は退位して臣下の張昌明(たぶん記憶違ってる)とかいう人に天下を譲ります。
徽宗が溥儀で、臣下が汪兆銘の暗喩なのかも知れません、分かりません。


孫二娘は生き延びてました。東京で曹正たちと料理店を経営しています。
「金兵に監禁された貴人に食事を運んでくれ」と依頼されて行ってみると、徽宗と皇后がみすぼらしい姿で閉じ込められていました。おいたわしや陛下。
かつて徽宗にもらった黄金をそっと手渡す孫二娘。


原作の《水滸》では好漢たちは金に圧勝しますが、張恨水バージョンではそんな都合よくはいかず、国を蹂躙されて歯噛みしながら一人ずつ退場していきます。悲しい・・・
(でも金はわが国なので悲しいとか呑気なことは言ってられない)


魯智深は史進を連れて出家できる寺を探しもとめるうち、海鳴りを聞いて成仏。
なんか唐突だったわ・・・しかもなぜお供が史大郎?

武松は金の将軍と戦って片腕を失い、宋江と別れの大酒を酌み交わしながら絶命。

宋江は敵に降伏するよう命令されて、李逵と心中。鉄牛けなげだった・・・



面白くないわけではないんですが・・・
でも恋愛小説にしてくれたら大喜びで読んだのに・・・
林冲がほとんど背景だった。張恨水は豹子頭きらいなのかな。
玉麒麟はけっこうピンで出番多かったのに。


前の記事
張恨水 《水滸新伝》 自序


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 04月 07日 |
張恨水が水滸伝の続編を書いていたのを知って驚きました。(単に無知なだけです)

冒頭に1943年の自序が掲載されてて《水滸新伝》執筆の経緯を説明してあります。
本文より自序のほうが面白い・・・でも中国式の1つのことを言いながら実は別のことをあてこすってるらしい文章でよく分からないところだらけ。

中国の歴史と文学事情にうといブログ主が自序を読んで、ウィペディアの力を借りながら理解したところを書いてみます。間違ってたら本当にごめんなさい。


張恨水は1930年から上海の《新聞報》に長編小説を掲載してました(《啼笑因縁》かな?)。
抗日戦争が始まったあと《新聞報》での連載は中断しました。
想像ですが張恨水が得意なトレンディー・ラブ・ロマンスは戦時下にふさわしくないので掲載しにくかったんでしょう。
そのうち新聞側からちょっとでも抗日っぽい小説なら掲載するからと頼まれ、1939年から南京漢奸を風刺した《秦淮世家》を書きました。(読んでないけどなんかつまんなさそう・・・)

このころご本人は上海を離れて、各地を転々としながら重慶へたどりついてたようですね。《紙酔金迷》みたい。

上海で小説を発表するなら抗日小説しか許されない雰囲気だったようです。
張恨水には不得意なジャンルだったのでしょう、1940年に路線変更して歴史小説に挑戦。
中国男児が侵略戦争で抗戦すれば上海の読者にも受けるし、「敵偽」の嫌疑も逃れられるだろうという作戦です。

北宋を舞台にして岳飛伝を書こうと決めたものの筆が進まず、資料を集めているうちに水滸伝のほうがいいんじゃないの?と思えてきました。
そこで重慶で《水滸新伝》を書いて上海の《新聞報》に寄稿するようになりました。

《水滸新伝》は上海の読者に好評だったようですが、1941年に上海が完全に敵(つまり日本)の手に落ちて連載は中断しました。
原稿はすでに第四十六回まで上海に送ってあり、手元には第四十七回の草稿がありました。友人たちにもっと書けと言われて続きを書こうかなと思っていた1942年、上海で別人が張恨水の名前で続きを連載しているとのニュースがもたらされました(・・・さすが中国・・・)

偽小説の内容までは分からなかったようです。
張恨水は敵の占領下では抗戦小説は書けないだろう、もしかして宋江たちが金(=日本)に降伏するラストになってたりして・・・と心配します。
そんなことになったら戦後自分が誤解されるかも知れないと思った張恨水は全編を書き上げたのです。


・・・そんな経緯で書かれた本だったのですね・・・
戦争中に「戦後の自分の評価」まで考えているところが中国の作家って眼光放遠だと感じました。


民国第一写手张恨水作者:刘继兴

という記事に

他的读者上有鸿儒,下至白丁。被尊为“教授之教授”的大学者陈寅恪也是张恨水的粉丝。早在西南联大之时,陈寅恪身染重疾,双目失明,他请好友吴宓去学校图书馆,借来张恨水的小说《水浒新传》,每日读给他听。


とありました。陳寅恪老師がお好きだったくらいならきっと民衆にも大好評だったのでしょうね。



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 15日 |
《从林冲的“折叠纸西川扇子”看《水浒传》的成书年代》という論文がネットで読めます。

林冲が「第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂」で初登場するときに「紙の扇子」を持っている点に注目。

頭戴一頂青紗抓角兒頭巾,腦後兩個白玉圈連珠鬢環。身穿一領單綠羅團花戰袍,腰繫一條雙搭尾龜背銀帶。穿一對磕瓜頭朝樣皁靴,手中執一把折疊紙西川扇子
  那官人生的豹頭,環眼,燕頷,虎鬚,八尺長短身材,三十四五年紀。


扇子はもともと日本からの朝貢品で、(皇帝から下賜されるような)上流階級だけが持てるものだったんですって。
中国で模倣品が作られるようになってからも大っぴらには使えず、こっそり楽しんだそうです。
明代になって永楽帝が大量生産させたので一般にも普及し、文人の愛好品になり、とくに四川産の扇子は紙質がよくて高級品とされたとのことです。

この論文は上流階級ではない林冲が公共の場で扇子を持っているので、水滸伝は永楽帝以降の成立と推測されると言っているのですね。


私には、軍人である林冲が初登場のときに扇子を手にしているというのが興味深く思われました。
この日は3月28日の東岳廟の神様の誕生日のお祭りなんだそうです。いまの4月末くらいでしょうか。
たしかに原文には「三月末の暑い日(那時正是三月盡,天氣正熱。)」と書いてあるのですが、扇子が必要なほど熱くないんじゃないかな。

軍人なのに文人アイテムを手に優雅に登場する林教頭。
彼の人格の矛盾を表わしているのかもしれませんね。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 11日 |
今日から《水滸》を原文で読みます。

読んでみようと思って困ったのが、資料があんまりないんです。
中国で出てる本も「李卓吾点評」とか「金聖嘆批評」はついてても現代人向けの注釈はあまりないらしく、たまに「參校他本,作分段、標點、注釋,對一些方言俗語、典章文物,和一些難懂的字詞都作了注解和必要的考證。」という素晴らしい本(彩畫本水滸全傳校注(全三冊))を見つけても絶版らしくて悲しい・・・※


そういうわけで、ちくま文庫版の駒田訳と岩波文庫版の吉川訳、そして水管の百家講壇 《新説水滸》だけを頼りに読んでいます。

テキストはネットからコピペしました。(だからテキストが正確なのかどうかもそもそも分からない)
この記事読んでくださるかたは「話半分」くらいのつもりでお願いします。



「第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂」の途中から。
魯智深は女性を助けるために人を殺し、出家して東京で野菜畑の番人をやっています。
近所のチンピラを取り巻きにして楽しく暮らしている魯智深。いつものように取り巻きにカンフーを見せてやっていると・・・


(原文)
眾潑皮道:「這幾日見師父演力,不曾見師父使器械,怎得師父教我們看一看也好。」智深道:「說的是。」便去房內取出渾鐵禪杖,頭尾長五尺,重六十二斤。眾人看了,盡皆喫驚,都道:「兩臂膊沒水牛大小氣力,怎使得動?」智深接過來,颼颼的便動,渾身上下沒半點兒參差。眾人看了,一齊喝采。



■泼皮(潑皮) pō pí 流氓;无赖
■不曾 bù céng 没有,从来就没有
■器械 qì xiè 武器
■浑铁(渾鐵) hún tiě 纯铁。
■禅杖(禪杖)chán zhàng
在《水浒传》等古典文学作品中,禅杖是一种兵器,为铲的一种,佛教僧人多持之。长约五尺,通体铁制,两头有刃。一头为新月牙形,月弯处有四个小孔,分穿四个铁环,另一头形如倒挂之钟,长约7寸。尾端两侧各凿一孔,穿有铁环,柄粗寸余。禅杖两头均可使用。
■头尾(頭尾)tóu wěi 最前与最后部分
■臂膊 bìbó 手臂,上肢
■飕(颼)sōu 同“嗖”。象声词,形容迅速通过的声音
■参差(參差)cēn cī 差池;失误
■喝采 hè cǎi 大声叫好赞美。


取り巻きの“潑皮”たちはもともとこの野菜畑から野菜を盗んだり悪いことをしてました。
新任の魯智深に懲らしめられてからは禿驢の大ファンになって毎日遊びに来ています(ドM集団)。

“器械”はキカイじゃなくて武器のことなんですね。
魯智深が使う“器械”は“禪杖”。日本語訳では「錫杖」と訳されてるのを見たことがありますが、百度百科によると僧侶が持つ“禪杖”と武侠小説などに登場する武器の“禪杖”は別物だそうです。上下ともに刃がついてて、どちら側も凶器になります。

(写真は百度百科 禅杖から拝借)


六十二斤(ってどのくらい?)もある武器でポピーたちは「両腕に水牛くらいの力がなけりゃ使えないよ」と驚きます。それを魯智深はひゅうひゅうと(颼sōu颼的)動かしてみせたので、みんなが“喝采”します。
現代中国語ではあまり“喝采”って使わない気がしますが、水滸の世界では何かというと“喝采”するのです。



(原文)
  智深正使得活泛,只見牆外一個官人看見,喝采道:「端的使得好。」智深聽得,收住了手,看時,只見牆缺邊立著一個官人。怎生打扮,但見:
  頭戴一頂青紗抓角兒頭巾,腦後兩個白玉圈連珠鬢環。身穿一領單綠羅團花戰袍,腰繫一條雙搭尾龜背銀帶。穿一對磕瓜頭朝樣皁靴,手中執一把折疊紙西川扇子。
  那官人生的豹頭,環眼,燕頷,虎鬚,八尺長短身材,三十四五年紀。



■活泛 huófan 动作敏捷灵活。
■官人 guānrén 唐朝称当官的人,宋以后对有一定地位的男子的敬称
■端的 duān dì 果真;确实;果然
■皁 zào 同“皂”。黑色
■燕颔(燕頷) yàn hàn 形容相貌威武。颔,下巴。

魯智深が機敏に武器を使っていると塀の外でひとりの“官人”が“喝采”します。水滸世界では役人でなくても“官人”と呼ぶようです。

「端的使得好。」の“端的”は現代語の“真的”と同じ。
褒められた魯智深が手を止めて相手を見ると、相手の格好は・・・というのでずらずらと服装の形容が続くのですが、さっぱり分かりません。日本語訳を見てもあまり見当がつかない・・・

“豹頭,環眼,燕頷,虎鬚”って人間と思えない形容詞ですね・・・
これは《三国演義》の張飛と同じ形容で、もとは《後漢書‧班超傳》の“燕頷虎頸”から来ているそうです(とどっかで読んだ)。
年齢は34,5歳。既婚(3年)こどもはまだいません。



(原文)
口裏道:「這個師父,端的非凡,使的好器械!」眾潑皮道:「這位教師喝采,必然是好。」智深問道:「那軍官是誰?」眾人道:「這官人是八十萬禁軍鎗棒教頭林武師,名喚林沖。」智深道:「何不就請來廝見。」那林教頭便跳入牆來,兩個就槐樹下相見了,一同坐地。林教頭便問道:「師兄何處人氏?法諱喚做甚麼?」智深道:「洒家是關西魯達的便是。只為殺的人多,情願為僧,年幼時也曾到東京,認得令尊林提轄。」



■长短(長短)cháng duǎn 长度
■鎗 qiāng 同“枪(槍)”。刺击用的长矛
■厮 sī 同“厮”。〈形〉 相互
■法讳(法諱)fǎ huì 敬辞。称出家人的法名。
■洒家 sǎ jiā 宋元时关西一带男子的自称。代词。犹“咱”。
■便是 biàn shì 即是,就是。
■关西(關西)guān xī 指函谷关或潼关以西的地区。
■令尊 lìngzūn 称对方父亲的敬词
■提辖(提轄)tí xiá 官名。 宋 代州郡多设置提辖,或由守臣兼任,专管统辖军队,训练教阅、督捕盗贼。

ポピーたちが「この師匠が喝采するなら本当にすごいんですネ!」とおまいらの喝采はただのお世辞かよと突っ込みたくなるような発言をします。ここの紹介方法うまいですよね~。
魯智深が「あの軍官は誰なんだ?」と聞くと、みんなが「八十萬禁軍鎗棒教頭の林武師、名前は林冲ですよ」と答えます。みんな知ってる林武師。

魯智深が「入ってもらって会おうじゃないか」というと林教頭は塀を飛び越えて入ってきます。
“廝見”=“相見”で良いのだろうか。
ドラマの老版も新版も林教頭が塀をひらりと飛び越えてくるので、なぜ門から入らない!?と思ってたんですが、小説に“跳入牆來”と書いてあるのですね。豹子頭は身軽です。

そして、ドラマでは老版も新版もここで一騎打ちが始まるのですが、小説ではおしゃべりするだけだった。
魯智深は出会うと常に一騎打ちするのかと思ってたら、小説では獣子のときだけのようです。


まず魯智深の自己紹介。
“洒家是關西魯達的便是。”
“洒家”は関西出身男子の一人称。日本語訳では「あっし」とか「おいら」とか可愛い。
語尾に“便是”をつけるのも魯智深の特徴。

「人をたくさん殺しすぎたので僧になった」と言ってますが殺したのは一人です。
いいところ見せようとホラ吹いてみたのね。
魯智深は若いころ東京(開封)へ来て林冲の父の林提轄に会ったことがあるそうです。よくとっさに思い出せるもんだ。



(原文)
林沖大喜,就當結義智深為兄。智深道:「教頭今日緣何到此?」林沖答道:「恰纔與拙荊一同來間壁嶽廟裏還香願。林沖聽得使棒,看得入眼,著女使錦兒自和荊婦去廟裏燒香,林沖就只此間相等,不想得遇師兄。」智深道:「洒家初到這裏,正沒相識,得這幾個大哥每日相伴﹔如今又得教頭不棄,結為弟兄,十分好了。」便叫道人再添酒來相待。




■缘何(緣何)yuán hé 因何;为何。
■恰纔 qià shān 1.亦作"恰才"。2.刚刚;刚才。
■拙荊 zhuōjīng 旧时谦称自己的妻子
■岳庙(岳廟)yuè miào 五岳之神的庙宇。特指东岳庙。
■还香愿(還香願)hái xiāng yuàn 求神保佑的人实践对神许下的烧香心愿。 
■使棒 shǐ bàng 弄棒习武。
■入眼 rùyǎn 看着舒服;顺眼;看中
■荆妇(荆婦)jīng fù 对人称己妻的谦词。 


魯智深が父親に会ったことがあると聞いた林冲は(なぜか)大喜びして、すぐに魯智深と義兄弟になります。
私の勘ですが林教頭はかなりのファザコン。
魯智深が兄なのは年齢が上なのか、それともパパの知り合い=目上ということなんでしょうか。
ドラマの新版では林冲が哥哥だったので、上下どっちも楽しめる美味しい設定でした。

林教頭は奥さんと東嶽廟へお参りにきたのです。
“還香願”は日本語訳では「お礼参り」「願ほどき」になっていました。
夫婦そろって何を祈願しに来たんでしょう。ドラマの新版では林娘子はとてもこどもを欲しがっているようでしたが。



・・・このペースだと1回に数ヶ月かかりそう・・・
続きます


下一回
〔原文で楽しむ古典〕 《水滸伝》 (2) 第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂  其二


老版は立ち回りが優雅で美しい
水滸 - 林冲 vs 魯智深








※と思ったら《水浒词典》が大陸で再版になっている。買おう。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 02月 06日 |
「水滸伝人物事典」
高島 俊男 (講談社)

絶版なので図書館に通って読んでいます。
amazonの「Kindle化希望ボタン」クリックしときました。Kindle化されるといいな。


登場人物の紹介と登場回が載っていてとても便利。
編集者の人物評も面白い。玉麒麟はいつも利用される可哀想な人物と評されています。燕小乙がいちばん玉麒麟の旨い汁をすすりまくったと書かれていてヒザをたたきました。

原文表記も併記されているのがうれしい。
たとえば「農民」や「下男」の項目の最後に「原文では“荘客”」とあるので助かります。

人名以外にも当時の行政や軍事について詳しく書かれていて水滸伝の時代背景がよく分かります。
欲を言えば衣服や家具や建築物の説明を絵入りで入れてほしかった。武器の説明はあるのに・・・(私は武器はどうでもいいので)


高島 俊男先生は「水滸伝の用語辞典を作っている」とあちこちで書かれています。
あとはzの項目だけだが、中国語はzで始まる言葉が多いから進まないと書いておられたので、中国語のピンイン順なのかと推測しています。
きっと“荘客”も未完成のzのところに入ってるんだろうな~。

私は切実に欲しいのですが、日本で出版するのは難しいのでしょうか。
播磨まで手伝いに行くからデータ見せてください先生・・・



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 02月 03日 |
「寝言も本のはなし」
高島 俊男(大和書房)

白話小説についての文章が目当てで読んだのですが、高島先生は本当にどうしてこんなに中国人のことが分かるの!?と驚いた部分があったので長くなりますが引用します。


中国人は、今世紀の初めから、熱心に西洋のマルクス主義を取り入れ、世紀のなかば以後はこれが国是となった。今になって、そもそもマルクス主義は中国にはあっていなかったのだ、という人もあるが、わたしはそうは思わない。中国人の持っている学問のイメージに、 マルクス主義はびったりだったのであり、だから受け入れられたのである。
孔子の学問が有効性を失ったあと、その位置を代替するのに、マルクス主義以上のものはなかっただろう。――真理は、意外にも、わが孔子ではなく、西方の偉人によってすでにあますところなくあきらかにされていたのだ。世界万般の事象は、マルクス、エンゲルスらの先哲が書きのこした書物を参照すれば、すべてきれいに解釈がつく。のみならず、それらの書は、人類の進むべき道も、明快に指し示してくれている。
こんにちの中国では、かつて孔子の書を「経典」と呼んだごとく、マルクスらの書を「革命経典」と呼ぶ。革命経典は学問全体を統括する不可侵の上位学問であって、その原理はどの個別の学問にも適用できる。
またそれは最終的な真理のよりどころであって、いかなる問題が生じた際、いかなる事態に遭遇した際も、そこへ立ちかえれば正しい解答が用意されている。
自己の見解を述べてゆく際も、節目節目に「その証拠にはマルクスが(あるいはレーニンが)こう書いている」とさしはさめば、その見解の正しさが保証されたことになる。そのように、絶対に信頼できる真理の書を擁している、ということで中国人は安心できるのである。

「本の並べかたについて」

「寝言も本のはなし」 高島 俊男


中国人ほどお金が好きな人たちが、お金儲けを禁じる社会主義を選んだ理由がぜんぜん分からずにいました。
でも、経済体制の問題ではなかったのですね。
中国人は「絶対的に正しい聖人の書いた真理の書」がなければ、そしてそれを引用しなければ生きていけないのでしょう。

中国人のスピーチを聞くと数語ごとに最新の政治的スローガンを引用する人が多い。(とくに地方の役人)
「自分の意見を言えずにスローガンばかり言わされてかわいそう」と思っていたのですが、彼らは「正しい文書を適切に引用できるすごい俺様」に酔っているんですね。かわいそうと思った私が世間知らずでした。


しかし自分と合わない「真理」を強要されて苦しんだ中国人もいた、というのが許政揚という文革で殺された学者の業績を集めた《許政揚文存》の書評。


この書物におさめられた許政揚の著作のうち、最もととのった、質の高いものは「宋元小説戯曲語釈(二)」である。しかし、彼の悲劇は、「話本徴時」の二則、「簡帖和尚」と「戒指児記」に最もよくあらわれている。前者は「所由」という語を手がかりにこの小説が元初の作であることを論じ、後者は駙馬の招選の対象および手続きからこの小説が明人の筆になることを説く。いずれも間然するところない考証である。そしていずれも、考証が終ったあとに、「封建政治」「暗黒統治」「典型意義」等々論旨と無関係なステレオタイプの不要の文字がえんえんとつづく。元来「厳正にして荀くもせず、学を論じ人を観るにいささか稍かも寛瑕なき」人が、かかる庸俗陳腐の文字を錦の御旗としてかかげねばならぬ、現にかかげつつある、そのくやしさなさけなさが彼の胸中に磊塊を積み、肝の病を発し、実生活においてはいよいよ狷介になり、友人同僚の支持を失い、ついには文革勃発が引き金となって悲惨な死をもたらすのである。


周汝昌が序文を書いているそうです。読んでみたい・・・


白話小説は「売油郎」の紹介でした。
花魁がけなげでかわいい。


中国の文学は、―― いやそもそも、西洋のものを言うのと同じ「文学」という呼び名をもちいることが混乱のもとなのだが、ほかに適当な言いかたもないからそう言っておきます――その中国の文学は、言語を素材とする芸術なのであるから、これを翻訳して、つまり他の言語による説明でもってその価値をつたえることは不可能である。
いやもちろん、「何を言っているか」をつたえることはできますよ。しかしそれは、上にのべたように、絵を口で説明するのと同じで、芸術としての価値をつたえることはできない。だから水滸伝や三言が傑作だといっても、翻訳をよんだのではどこが傑作なんだかちっともわからない。ストーリーを日本語でのべてあるだけなのだから。
(略)

『文選』のばあいは、言語そのものが作品なのである。根本的に性格がちがうのだ。ヨーロッパの文学が世界中で読まれているからといって、中国の古典文学を翻訳して世界中の人にそのよさを知ってもらおう、なんてのは、まるっきリナンセンスである。
どちらが上ということではない。こちらは芸術なのであり、あちらは芸術ではなく「文学」というものなのだ。
さてお話もとにもどって、そういう言語の芸術という性格は、もともとは文言の作品についてのみ言われ得ることである。ところがおそろしいもので、中国という環境で生れ育つと、本来芸術の資格のないはずの口語小説も、おのずから芸術的達成への道を歩みはじめ、それはそれで数百年にわたって練りあげられ成熟して、十六世紀後半から十七世紀前半のころには、後世がさかだちしても越えることのできない水準にいたった、つまリベートーヴェンが生れちゃったわけで、それが水滸と三言だ、というしだいなのである。だからあたしは文章のことばつかり言うわけだ。
長い説明でした。おつかれさま。

「中国白話小説へのご招待」

「寝言も本のはなし」 高島 俊男


高島 俊男先生は女性に同情できる珍しい方だと思います。
とりわけ旧中国の研究家は女なんて眼中にない人ばっかりって気がするので珍貴だと感じられます。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 01月 28日 |
「宮崎市定全集12 水滸伝」
岩波書店

「水滸伝と江南民屋」を読んで目からウロコがぼろぼろと落ちたので感想を書きます。(とても長いです)

年末から《水滸伝》を読み始めています。(中文版と岩波少年文庫版を並行して)
《水滸》は中国北方の話なので(ですよね?)、家屋は北京の四合院を想定しながら読み進めていたのですが、どうも脳内想定と書いてあることが合わない。

四合院っぽい想定



林教頭の初登場部分を読んでるのですが、民家は二階建てみたいだし、街路と家屋をへだてる石塀や鉄扉や中庭は存在せず、どうやら往来からそのまま部屋に入るみたい?
読みながらどうしても《上海灘》や《黄飛鴻》っぽい建物を思いうかべてしまって困ってました。

上海っぽい


フェイホンっぽい



「水滸伝と江南民屋」を読むと、


さて水滸伝は北宋時代、国都開封府を中心とした華北を主たる舞台とした物語と称せられるが、実際に篇中の人物の行動する背景となっている家屋の構造は、江南の楼房そのままなのである。普通に華北の家屋は平房が殆んどであるとされているのが事実なら、水滸伝の描写は実際とあわない。だから地名は華北の某県となっていても、むしろこれを江南の某市鎮だと思って読んだ方がよく理解できるのである。これは言いかえれば、水滸伝は物語の核心が若し宋代にあったとしても、その完成は遥かに時代の下った明代、しかも場所は蘇州を中心とした江南において行なわれたという通説を裏書するものに外ならない。
水滸伝の物語中の人物の行動が屋内で行われる時、その推移を理解する為には、その背景をなす家屋の構造を知らなければならない。そしてこの事はさまで困難なことではなく、ごく最近まで存在した上海近郊の市鎮の楼房を以て代用することが出来ると知ったのは、私にとって大きな発見であった。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝



とありました。そうか!そうだったのか!とこれだけでも目からウロコですが、そのあと実際の民家の平面図も交えた詳細な説明があってとても嬉しかった。


この一間房子は、表から入った所が略々正方形の部屋で堂、又は庁(座敷)と言い、その奥に同じ程の面積の厨(台所)がある。厨から階段で二階に通じ、二階は房(寝室)で、前後二室に仕切られる。この二階建のいわゆ
る楼屋・楼坊は、中国人に最小限度必要な生活空間であり、その原則は平家、すなわち平房と同一である。平房は左右に長く、奥行の浅い矩形の建物を主体とし、中央の室が庁で、その右(又は左)に厨があり、左(又は右)に房がある。房は普通前後の二室に仕切られる。さてこの一房を切り離して、庁・厨の上に重ねて二階とし、その方角を直角に向けかえれば、 一間房子の楼房となるのである(第一図、第二図)。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝



画像無断転載



原著の挿絵もありました



上海の老房っぽい建物を想像して正解だったんですね。
門扉の説明。


街路に面した一間房子の入口、大門は、四枚の門扉によって区切られている。この屏は日本で明治頃まで主婦が使用した張り板のような恰好をした細長い頑丈な板戸で幅が約二尺(六六糎)、高さ約六尺位である。蝶番を用いず、片側の上下につけた枢(とぼそ)を軸として回転すること、日本古建築の門扉と同様である。注意すべきことはこの扉は閉った時には、どんなに力を用いて揺っても、上下にも左右にも微動だにしない。従って取り外すことも出来ない。若し取り外そうと思えば扉を直角に開けると、枢を上へ持ち上げて外すことが出来る。そこで家人は門を閉めた後に、内部に門をさし、左右の扉を密着固定させる。こうすれば扉を開くことも、取外すことも出来ない。従って内部からは錠前を用いずに戸締りが出来るのである。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝




その武大の帰る頃を見計らって、軒に吊した葦簾(よしすだれ)を取込むのが金蓮の日課となっている。前述のように表口の扉は板戸であるから閉めてしまうと、内部が真暗になる。己むを得ず中央の二枚を開け放しにしておくのだが、そうすると今度は、通りから内部が丸見えになる。そこで葦を編んだ簾を下げて目隠しにするので、夕方になれば簾を外して内に取りこみ、扉を引き寄せておくのである。
ある夕方、金蓮が掛竿を右手に持ち、簾を外そうとして受けとめ損ね、折しも往来を通行中の男の頭巾の上に落とした。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝



「葦簾」の部分は原文では「當日武大將次歸來,那婦人慣了,自先向門前來叉那簾子。」(第二十四回 王婆貪賄說風情 鄆哥不忿鬧茶肆)(以下下線ブログ主)

扉にはすだれを吊るしてあったんですね。
ここの部分↓の謎が解けました。


陸虞候道:“阿嫂,我同兄長到家去喫三盃。”林沖娘子趕到布簾下叫道:“大哥,少飲早歸。”林沖與陸謙出得門來

水滸傳(維基文庫)
第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂



林教頭は官職はなくても禁軍の武術コーチなのでそれなりの家に住んでるんだろうに、なぜドアにカーテンがぶらさがっているのだろうか?なんか京の町家か大阪の商家みたいじゃない?
と思ったのですが、実際に扉にカーテンがさがっていたのですね。

そしてこれまた謎に感じた二階建てについて。


厨房の側壁に階段を設けて二階へ上る通路とするが、この階段は粗末な掛梯子にすぎないものから、側面に抽出しの取手を取りつけた胡梯、すなわち箱梯子まで、いろいろな形態がある。
厨房から上ってゆく階段であるから、その出口は当然、二階の一裏側の室である。ところでこの部屋は出入口に近いので、機能の上から言ってこれを前房と称することは注意されてよい。前房から房門によって表側の室に通ずるが、これがすなわち後房である。後房とは言いながらその正面の窓は大門の真上に当たり、その下は市人の往来する街路なのである。
前房は裏側に窓を設けて光線を採る。階段の上り口、楼門には必要があれば蓋をかぶせて、階下との交通を遮断するような仕掛けも出来ている。穴蔵に蓋をするようなものだと思えばよい。長期に亘って留守し、二階を使用しない時などに、この仕掛が必要である。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝




当てつけられたと思った金蓮は腹を立てて、階段を駆け下りると中途に立止って、散々武松に悪態をついてから厨に下り立ち、再び二階へ上ろうとしない。この家の階段が胡梯とあるのは、箱梯子であって、小箪笥を積み重ねたような段梯子であるから、踏段の面が広く、どんなに長く毒づいていても、足許がびくともしないのだ。

「水滸伝と江南民屋」
宮崎市定全集12 水滸伝




林娘子が夫が倒れたと陸謙の自宅におびき出される場面で、酒楼じゃあるまいし士大夫の家がどうして二階建てなのかと不思議でしたが、江南の民家だから二階建てなんですね。
しかも勝手に二階にあがっちゃって・・・と思ったのですが、民家はどれも同じつくりなので、親友同士で飲むなら二階に決まってると咄嗟に階段を上がったのでしょう。

この部分です。

直到太尉府前小巷內一家人家。上至樓上,只見桌子上擺著些酒食,不見官人。恰待下樓,只見前日在嶽廟裏囉娘子的那後生出來道:‘娘子少坐,你丈夫來也。’錦兒慌慌下得樓時,只聽得娘子在樓上叫殺人

第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂




そして林教頭が陸謙の自宅に駆けつけてみると門が閉まっているので「女房、開けろ!」と叫ぶ場面。
禁軍の武術コーチが門の前につったって「開けて~」と呼んでるのはあまりにマヌケ・・・※と思ってたのですが、中から閉めてしまうと外からは開けられないつくりになっていたのでしょう。


三步做一步跑到陸虞候家,搶到胡梯上,卻關著樓門,只聽得娘子叫道:“清平世界,如何把我良人妻子關在這裏?”又聽得高衙內道:“娘子,可憐見救俺。便是鐵石人,也告的回轉。”林沖立在胡梯上叫道:“大嫂開門。”那婦人聽的是丈夫聲音,只顧來開門。高衙內喫了一驚,挖開了樓窗,跳牆走了。林沖上的樓上,尋不見高衙內,問娘子道

第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂



林夫妻と侍女が帰宅する途中、近所の家がすべて門を閉ざして街路には誰もいないという描写も、四合院のように立派な石塀と鉄扉のある邸宅が立ち並んでいるのではなく、町家がいずれも板戸をぴったり閉めきって、背後で息を殺して覗いている様子を想像するほうがよいのかと思いました。


將娘子下樓,出得門外看時,鄰舍兩邊都閉了門。女使錦兒接著,三個人一處歸家去了。

第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂



宮崎市定先生のご本は素晴らしい。
もっとこういう解説を読みたいのですが、出版されてないんでしょうか?



※このシーンについては「高衙内と鉢合わせしてしまうとまずいので、わざと大声を出して逃げる時間を与えた」と《百家講壇》で言ってました。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 01月 25日 |
宮崎市定全集12 水滸伝
岩波書店

「水滸伝的傷痕」「宋江は二人いたか」「水滸伝と江南民屋」が収録されています。

水滸伝の後半がつまらない理由がズバリ指摘されていました。

四十回以後が精彩を欠くのは、それから後が軍記物になったのも一つの主な理由である。集団戦争になって了うと、個人の存在が没却されて、個性を発揮する余地に乏しい。作者は努めてこの単調を打破ろうとして、楊雄や慮俊義の家庭騒動を点綴するのであるが、内容も平几で西門慶事件の筆致に比ぶべくもなく、無用の重複だという感を与える。
四十回以後が面白くない他の大きな理由は鼻もちのならない貴族臭である。宣和遺事の呼延綽は何程の地位か分からないが、水滸伝では開国の名将呼延賛の子孫となり、全くその生写しになっている。また花石綱運搬の指使にすぎなかった関必勝は関雲長嫡流の子孫となって、これまた関羽そのままの再来に描こうとしている。尤も既に周密の時から両者の関係が暗示されているが、当時はまさかこんな貴族臭いものではなかったであろう。更に噴飯にたえないのは河北の玉麒麟、慮俊義であって、仰々しい威風の形容は張紙の虎にすぎない。こんな連中がずっと後からのこのこと出てきて、魯智深や武松の上座にむずと坐るのだからやりきれなくなる。市井の豪傑、草沢の英雄から出発した水滸銘々伝は、四十回を過ぎると忽ち貴族化し士大夫化してしまった。

「水滸伝的傷痕」
宮崎市定全集12 水滸伝                                 



「水滸伝的傷痕」って中国語っぽいタイトルですが(傷痕文学みたい)、全文日本語です。

「こんな連中がずっと後からのこのこと出てきて、魯智深や武松の上座にむずと坐るのだからやりきれなくなる。」というのはすべての読者の思いなのではないでしょうか。


そういえば、ドラマの新版《水滸》では席次は呉用と公孫勝が招安準備のために決めたという設定になっていました。朝廷に高値で売りつけるための名簿だから官職や家柄の高い順番なんでしょうね。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 01月 22日 |

「ほめそやしたりクサしたり」
高島俊男(大和書房)

エッセイ集ですが、「中国白話小説への御招待」という章は雑誌『中国語』に発表されたものなので、読者対象は中国語学習者です。
とても良いことがたくさん書いてあります。


この前、「三言」と『水滸伝』が口語文のベートーヴェンだと言ったが、三言にしろ水滸にしろ、はじめからしまいまでベートーヴェンというわけじゃない。(略)
小生がベートーヴェンと言うのはこの最後のもので、「賣油郎」などがその代表です。御用とお急ぎのかたは、この「賣油郎」一つでいいから、声を出して読んでみてください。ベートーヴェンを実感できるから(発音のわからない字はかならず新華字典で調べてくださいよ。いいかげんにとばし読みしちゃベートーヴェンは姿をあらわしてくれません)。
さてそこで水滸伝だが、これは三言とちがってはじめからしまいまでひとつづきの話だけれど、実はこれも編纂ものなんだ。部分部分によって書いた人もちがうし、文章のスタイルも質も大きくちがう。一人の作家がはじめからしまいまで通して書いた近代の長篇小説なんかとは全然ちがうものなのである。翻訳するとそのちがいが全部消え失せてしまうから、翻訳なんか読んじゃダメですよ。水滸伝にかぎらず、十九世紀までの中国の文学作品はすべて言語の芸術なんだから、翻訳を読んじゃダメ。わかってもわからなくてもとにかく、発音をしらべて声を出して読んで、音のつながりの美しさを味わう習慣を身につけましょう。なにしろベートーヴェンなんだから!

「ほめそやしたりクサしたり」
中国白話小説への御招待---水滸伝



中国の小説は原文を音読すべしってことですね。
もちろん発音は正確に(←これば難しいのですが)


武松が西門慶を殺す場面の解説。
原文はこの部分。

那西門慶一者冤魂纏定,二乃天理難容,三來怎當武松勇力,只見頭在下,腳在上,倒撞落在當街心裏去了,跌得個發昏章第十一。街上兩邊人,都喫了一驚。


まず「一者」「ニ乃」「三來」に注目。日本語に訳せば、一つには、二つには、三つには、くらいにしかならないが、こんなふうに同じことを言うのにいくつものちがった語(それも声調のことなる語)を用意してあるところがかの国の言語の自慢なのだ。そうでないと「対杖」を柱とする独自の言語芸術は成りたたない。たとえば「まるで・・・のよう」というのに「猶」「如」「宛」「似」「若」などいろいろあって、これらを前後の声調との取り合わせや対になる句とのひびきあいによって適宜選択できるようになっているようなのがそれだ。
このばあいはいわばトリオの対で、「一者」と「ニ乃」のところは四音、「三來」のところは六音で、一種の四六の形になっている。もし「三來」も四音だったらこれは音調局促、単調で寸づまりでつまらない。四、四、とたたみかけてきて、そのあと「怎當武松勇力」と六音でのびやかにおさめてあるから読んで気持ちがいいのである。各句末の音も、一句目「纏定」と沈め、ニ句目「難容」と沈め、三句目「勇力」としっかりおさえて、これも無意識裡にかもしれぬが重い音と軽い音の交替変化が法にあっている。ただしここのところが特にうまいというのではなく、当時すでに千数百年の歴史をもつありきたりの技巧なのであるが、二重に下等な口語文芸にもそれがちゃんとひきつがれていることにちょっとご注意いただくしだい。

「ほめそやしたりクサしたり」
中国白話小説への御招待---水滸伝



1995年当時の『中国語』読者にどの程度この文章の意味が分かったのか知りませんが、私は読んでしばらく魂が抜けてました。いまの私には高島先生がどれほど重大なことを言っておられるのかよく分かります、が、これが1年前だったらまったく理解できなかったと思う。

中国語の文章のかなめは「音」である、それも声調と発音の無数の組み合わせから瞬時に適切な音を選び取ってもっとも美しい配置となるよう心を砕く、しかもすべては無意識のうちに行われる
・・・こんなの読んじゃったらもう怖くて中国語の文章なんて書けません・・・・


同様のことは《現代漢語》『間違いだらけの漢文―中国を正しく理解するために』にも書いてあったのですが、そのときは「どうせ中国人のことだからおおげさに言ってるんだろう」と信じてませんでした。
日本人で一般学習者にきちんと説明した人って高島俊男先生以外にはあまりいないのでは?(私が無学なだけか?)

「中国語の○○と●●って何が違うの?」と疑問に思うことがよくありますが、品詞が違うとか、、口語と文語の違いとかの他に「音節の数」「声調」の違いもありえるってことですよね。
「音節の数」の違いは日本の中国語のテキストにも載ってますが、「声調」の違いを指摘してるのは見たことがありません。


夏目漱石の漢文について書かれた「『木屑録』のこと」という文章にも声調について説明がありました。


わたしが特に感心するのは、たとえば「乃」(nǎi)の使い方が適切で、まことにぴったりしていることである。「乃」は日本語で言えば「そこで」だが、時間的なら一拍かニ拍の間(ま)がある。空間的ならまっすぐではなくぐるりとまわってくる。気持の上ならためらいやたゆたいがある。そういう気分の「そこで」である。なお、同じ「そこで」でも「遂」(suì)ならば曲折もなくスッと行く「そこで」である。

『木屑録』のこと



史記 《張良伝》を読んでいるときに「どーして同じ意味なのに“乃”とか “遂”とか書くんだろう。どれかに統一してくれ」と思ってました。
しかし同じではないのですね。これもおそらく声調と関係があるのでしょう。同じ意味で語感と声調の違う語を常に複数準備しておかなければいけない。恐ろしい言語です。


最後のほうにある汪曾祺の小説『歳寒三友』についての文章にも音節と声調について書かれていました。
民国時代の貧しい毛糸屋の娘が運動靴をねだる場面。


右の「娘は母に買ってと言った」と訳した所、原文は「女兒跟媽要」である。たった五文字、五音節。
欧陽脩が同志とともに『新唐書』を作った時、『旧唐書』に比べて事実は増えたのに次数が減ったことを誇った。昔の文学者は、文章を精煉すること、端的に言えば字の数をギリギリまで削ることに精魂を傾けたのである。(略)
汪曾祺の答が「女兒跟媽要」である。もちろんギリギリに削ってある。余計な字は一つもない。リズムは五言の詩と同じ、ニ、ニ、一。音律は低、上昇、高、高、下降。こころよい音の流れである。わたしの訳はせいぜい短くしてみたが、それでも十四音節。約三倍に間延びしている。これでは話にならぬ。リズムは日本語として耳にこころよい七七にしてみたが、もとより五音のリズムとはまったく別のものである。高低の変化に至っては移しようもない。中国の古典文学の翻訳が多くばかばかしくて読めないのはこれと同じ道理で、作者の最も意を用いたところが影も形もないからである。

墨を惜しむこと金の如し


とても面白くてためになる本でした。が、私の中国語学習意欲は徹底崩壊了。


『歳寒三友』の全文はここ
歲寒三友1
歲寒三友2


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 01月 19日 |

「水滸伝と日本人」
高島俊男(筑摩書房)


江戸時代から昭和にかけての日本での《水滸》受容の歴史の研究書。高島俊男先生の本にしてはずいぶん硬い内容です。

日本の水滸伝といっても、日本人の個人創作作品(吉川水滸伝とか横光水滸伝とか)は対象外で、原書の翻訳または翻案作品が取り上げられてます。

江戸時代に白話小説《水滸》が入ってきて、それまで「漢文」しか見たことがなかった日本人がなんとか読みこなそうと奮闘しているさまがいじらしく涙ぐましい。


最初のころは白話を訓読しようとしてるのです。
「第三回 史大郎夜走華陰縣 魯提轄拳打鎮關西」が見本として取り上げられています。かなり珍妙です。

史進慌忙身ヲ起シ礼ヲ施シ、便道官人請坐セヨ茶ヲ拝セン、那ノ人史進長大魁偉、條ノ好漢ニ相(像同)タルヲ見了、便来他與礼ヲ施ス、両個坐下ス、史進道、小人大胆、敢問官人高姓大名、那ノ人道洒家是経略府ノ提轄、姓ハ魯、諱ハ箇ノ達ノ字、敢テ問阿哥你ノ姓甚ソ麼

「水滸伝と日本人」
第四章 岡島冠山と和刻本『忠義水滸伝』



「你ノ姓甚ソ麼」って・・・
ここはウィキソースの百二十回本では

史進忙起身施禮道:“官人請坐拜茶。”那人見了史進長大魁偉,象條好漢,便來與他施禮。兩個坐下。史進道:“小人大膽,敢問官人高姓大名?”那人道:“洒家是經略府提轄,姓魯,諱個達字。敢問阿哥,你姓甚麼?”


現代中国語学習者には原文のほうが分かりやすいですね。
しかしテキストも老師もいないのに奮闘した江戸時代の人は偉かった。


全巻を原文で読むのは面倒なので先に翻訳を読みたいのですが、いろいろ出ててどれが良いのか分からない。そんな疑問にもちゃんと答えてくれる高島俊男先生。

私の理解したところでは
・版本としての価値:吉川幸次郎訳(岩波文庫、百回本)
・律儀な翻訳:駒田信二訳(ちくま文庫、百二十回本)
・読みごたえがあって訳文が良心的:松枝茂夫訳(岩波少年文庫、百二十回本)

私は岩波少年文庫を読んでみようと思います(いちばん冊数が少ないし)



せっかくですのでキャプチャを取ってきました(驢龍)











史大郎はカワイイな

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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