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2014年 11月 09日 |



哈比人(全新修訂譯本)
作者: 托爾金 原文作者:J. R. R. Tolkien
譯者:朱學恆
出版社:聯經出版公司

「ホビット」の中文版を買ってみました。
中文訳は何種類か出てるのですが、「最新の翻訳」と銘打ってる聯經出版公司版にしてみた。表紙がマーティン・ビルボで可愛かったから。

翻訳者の朱學恆さんのプロフィールを見ると、中央電機系とあります。國立中央大學電機工程學系の略称のようなので理系なんですね。
日本で英語専門でもトールキン研究家でもない若い人がトールキンを訳したりしたら非難ごうごうではないかと思うのですが、そのへん台湾は寛容なんでしょうか。
訳文もちょっとこれは?と思う部分がときどきあるのですが、こども向けの冒険小説と割り切って読めば良いのでは。
ドワーフの喋り方が台湾っぽくてすっごく可愛い。

有名な出だしの
“In a hole in the ground there lived a hobbit. Not a nasty, dirty, wet hole, filled with the ends of worms and an oozy smell, nor yet a dry, bare, sandy hole with nothing in it to sit down on or to eat: it was a hobbit-hole, and that means comfort.”
はこんな訳文。


在地底洞穴中住著一名哈比人。這可不是那種又髒又臭又濕,長滿了小蟲,滿是腐敗氣味的洞穴。它也不是那種空曠多沙、了無生氣、沒有家具的無聊洞穴。這是個哈比人居住的洞穴,意思是。舒服極了。

第一節 不速之客


ホビットは「哈比人」、ドワーフは「矮人」、魔法使いは「巫師」と訳されてました。

ドワーリンが登場する楽しい場面はこんな中文。

「抱歉讓你久等了!」他本來準備這樣說,卻發現眼前的人並不是甘道夫,對方是一名將藍鬍子塞進腰帶中的矮人,他戴著深錄色的帽子,擁有一雙非常明亮的眼睛。門一打開,他就闖了進來,彷彿主人和他是換帖的好兄弟一般。
他將連著兜帽的斗蓬,找了個最近的衣帽架掛了起來,接著深深一鞠躬說..「德瓦林聽候差遣!」
「比爾博.巴金斯聽您差遣!」哈比人驚訝的忘記該問什麼問題,當隨之而來的沉默變得讓人尷尬的時候,他補充道..「我正準備要喝茶,請你和我一起用。」這話或許轉的有些生硬,但他的確是真心誠意的..而且,如果有個矮人不請自來的殺進你家,一句解釋的話也沒有,你又能怎麼辦呢?

第一節 不速之客



ドワーリンって緑帽子かぶってるんですねえ、中文で読むと意味深長。

「他就闖了進來,彷彿主人和他是換帖的好兄弟一般。」の「換帖」って何だろうと思ったら

換帖的

結拜兄弟、拜把兄弟。朋友間因為感情親密而結拜成義兄弟,以求患難時能夠相助,有時也有女性參加。結拜時要互相交換庚帖和相關家族資料,並且將結拜的原因書寫下來,通常會拜請關聖帝君做見證,這種習俗在臺灣早期很盛行。



英文では単に
he pushed inside, just as if he had been expected.

中文はちょっとやりすぎのようですが、ドワーリンとビルボが親密な義兄弟・・・とか妄想して楽しめるのでいいですね。

「而且,如果有個矮人不請自來的殺進你家,一句解釋的話也沒有,你又能怎麼辦呢?」の部分もドワーフが「殺進」してくるとは?と驚いたら単に

And what would you do, if an uninvited dwarf came and hung his things up in your hall without a word of explanation?

でした。
でもドワーフがとにかく可愛いのでまあいいや。





今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 04月 12日 |
【こんな本】

全六十八回 上下本。

最初の「凡例」に「この本は七十回本《水滸》の続きだ」と書いてあります。(凡例ってそういうことを書く部分なのだろうかw)

1940年代の中国には七十回本しか出回ってなかったのかな?と一瞬思ったら、そのあとに「七十回本の後日談には三種類あり、《征四寇》、《後水滸》、《蕩寇志》だ。《水滸》の古本には百回本、百五回本、百十回本などがあり・・・」とちゃんと書いてあったので、百回本etcも読まれていたようです。

張恨水は疎開先には100冊足らずの書物しか持ち出せなかったようで、《水滸》のすべてのバージョンは参照できなかったと断り書きがありました。それでも《宋史》や《金史》を持って逃げたんですね。さすが作家だ。

文体はできるだけ《水滸》に似せるようにしたが、やりすぎると現代の読者に理解不能になるので、まったくの模倣ではないそうです。なかなか上手なパスティーシュになっていて面白かった。

七十回本の続きとはいえ、魯智深の坐化や武松が片腕で敵をやっつける場面は人口に膾炙しているので、話の展開を勝手に変えることはせず、英雄好漢たちの最後はおおむね百回本と同じ。


【内容はこんなの】

七十回本の続きなので、梁山で108人聚義した夜、大宴会で酔っ払った玉麒麟・盧俊義が好漢たちが皆殺しにされる場面を夢で見て汗びっしょりで眼が覚めるところから。「男たちの挽歌」のオープニングみたい。

首尾よく招安のあと、魯智深が坊主は役人になれないと言い出して脱退。他の英雄も各地に散らばって、しばらくは個人の話が続きます。

この小説でいちばん良かったのは孫二娘。
東京で夫の張青と料理屋を経営して繁盛している。

徽宗が宮廷で「お店屋さんごっこ」を開催するというので宮中に呼ばれて、ブースを出店することに。
すると模擬店に乞食が来て食事をめぐんでほしいと頼む。
追い払おうとする孫二娘だが、考えてみれば宮中に乞食がいるはずはない。顔に泥がついているが肌は白く、耳の裏も汚れていないので(さすが孫二娘は眼のつけどころが違う!)きっと皇帝の変装に違いないと気づいて、ご馳走を椀に入れてやると、乞食は黄金をばらまいて去っていった・・・

このあと孫二娘には入宮の命令が下り、徽宗とあわやというところへ張青が!!!という展開を期待したのですが、《水滸》は女色厳禁なので、孫二娘はそのまま家へ帰りましたとさ。つまらんのう・・・


太平を謳歌していた東京の人々でしたが、金が攻め込んできます。
抗日小説なので金=日本です。
魯智深や孫二娘は金兵をバッタバッタと殺しまくりますが(・・・抗日小説ですから・・・、)多勢に無勢、張青が殺されてしまいます。
私は張青のファンなので、日本兵に殺されるのを見るのはつらかった・・・。
孫二娘も重傷を負います。魯智深が連れて逃げようとするのを、張青の遺体を捨てていけないと拒否する孫二娘。
魯智深はやむなく一人で金兵を突破して逃げます。

このあとはほとんど金との戦闘のお話。

梁山の好漢たちは果敢に戦いますが、朝廷の高官たちは腐敗してて愛国心もないので金に負けちゃいます。
徽宗は退位して臣下の張昌明(たぶん記憶違ってる)とかいう人に天下を譲ります。
徽宗が溥儀で、臣下が汪兆銘の暗喩なのかも知れません、分かりません。


孫二娘は生き延びてました。東京で曹正たちと料理店を経営しています。
「金兵に監禁された貴人に食事を運んでくれ」と依頼されて行ってみると、徽宗と皇后がみすぼらしい姿で閉じ込められていました。おいたわしや陛下。
かつて徽宗にもらった黄金をそっと手渡す孫二娘。


原作の《水滸》では好漢たちは金に圧勝しますが、張恨水バージョンではそんな都合よくはいかず、国を蹂躙されて歯噛みしながら一人ずつ退場していきます。悲しい・・・
(でも金はわが国なので悲しいとか呑気なことは言ってられない)


魯智深は史進を連れて出家できる寺を探しもとめるうち、海鳴りを聞いて成仏。
なんか唐突だったわ・・・しかもなぜお供が史大郎?

武松は金の将軍と戦って片腕を失い、宋江と別れの大酒を酌み交わしながら絶命。

宋江は敵に降伏するよう命令されて、李逵と心中。鉄牛けなげだった・・・



面白くないわけではないんですが・・・
でも恋愛小説にしてくれたら大喜びで読んだのに・・・
林冲がほとんど背景だった。張恨水は豹子頭きらいなのかな。
玉麒麟はけっこうピンで出番多かったのに。


前の記事
張恨水 《水滸新伝》 自序


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 08日 |
《蒋勋说宋词》
蒋勋(中信出版社)2012-03-01




そろそろ宋詞が分かるかも知れない・・・と思って読んでみた本。
この本を選んだ理由は表紙がとても綺麗だったのと、書店で平積みになってて、何人も買っていくので面白いんだろうなと思って。(買ったとき最新刊だったようです)

大当たりでした。
作者の蒋勲氏は台湾の小説家・詩人だそうです。とても有名みたい。知りませんでした。

日本ではあまり一般向けの宋詞の解説書ってないと思います。
数少ない貴重な本も、いまひとつ宋詞の魅力がよくわかんない感じでした。日本語で中国語の詞を解説するのは無理がありますね。

この本は宋詞の魅力がどこにあるのか凡人にも分かりやすい言葉で解説してくれるので楽しかった。
宋詞は詩人が鏡を覗きこんで美貌の衰えを嘆いたり、夜中に雨で目が覚めて孤独を感じたり、と退廃的な内容が多く現代台湾の流行歌みたいなんですって。

しかしよく分からないのは春雨が降ると憂いを感じるという宋人の感性です。
江南はやたらに春雨が降るようです。そのたびに憂いに沈む宋人たち・・・
日本的な感覚では憂いは秋雨に感じるものだと思えるのですが。春雨は色っぽいイメージなんですが。
江南では違うのだろうか。



蒋勲老師のラジオ番組(?)《美的沈思》が土豆に音声がたくさんアップされています。
本当に優しい話し方で、言葉も美しいのでいつまででも聞いていられる感じ。
ブリジット・リンが蒋勲老師の「紅楼夢」の解説を聴くためだけに台湾に戻っていたというのもうなずけます。

蔣勳【美的沉思】李後主的文學成就與影響


youtubeにも少しありました。楚辞の話は全然分からなかった・・・(楚辞が分からないから)

蔣勳 從唐詩到元曲



蔣勳【美的沉思】:談楚辭《九歌》(六)




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 10月 30日 |

 
《夕阳红中话朱旭》
宋凤仪 著 吉林人民出版社

作者の宋鳳儀さんは朱旭先生の奥様。金婚記念に出版された伝記のようです。

あまり中国の映画やドラマを見ない人でも、ある程度の年齢なら“「大地の子」の中国人のお父さん”で分かるのではないでしょうか。
あのドラマ放映当時、朱旭先生が演じた温和で高潔な中国人は日本人の心に忘れられない印象を残しました(やや遠い目)。


奥様の手になる伝記なので、仕事のことだけでなく家庭生活のことも書かれています。
奥様のほうが年上で階級も上だったんですって。果敢にアタックする若き日の朱旭爺爺が愛らしい。

「大地の子」放映のあと日本を訪問して大歓迎されたエピソードは、いま読むとなんだか隔世の感があります。あのころの日中関係は良かった・・・(遠い目)


日本人にはちょっと想像がつきにくいのですが、中国では演劇も重要な国家事業なので、演劇学校の行事に周恩来が出席して学生を励ましたりしてたみたいです。
そしてトップ俳優は当然共産党員でもあり、党員として立派に振舞わないとけないようです。(←このへん誤解してるかもしれません)

あまり政治的なことは書かれていませんが、やはり文革は演劇界に大きな傷を残したようです。
朱旭先生と親友だった童超さんも政治闘争に巻き込まれてしまい、近くに住んでいながら避けあう仲になり、うわさ話でお互いの消息を知るだけでした。
文革から何年も経って、散歩中に偶然出会う場面がまるで映画の1シーンのよう。


童超两鬓斑白,显出过早的体态衰老,眼神也有些呆滞。朱旭困难地吐出四个字:
“你还好吗?”
过了半天,童超含混地说出两个字:“你看!”他轻轻举起一下手杖。
朱旭双手按住他的肩头说:“我没去看你。”
他表示理解,苦笑的点点头说:“我明白。”

《夕阳红中话朱旭》



“我没去看你。”(きみに会いに行かなかった)という短い言葉に苦しみがこもっていると感じました。
中国の人もいろいろ大変だったんですね。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 10月 28日 |
長年(このブログ始めてからずっと)「現代中国語で古代の中国語を読むための教科書がない」と文句ばっかり言ってたのですが、ふと「ないなら自分で勝手にやってもいいんじゃないの?」と思いついたのでやってみます。

他のブロガーの方たちが原書読書会とかテキスト勉強会を開いてらっしゃるので羨ましくなったの。
でも現代中国の小説は好きじゃないし、テキストの地道な勉強も苦手なので。
(・・・じゃあお前は何ができるんだよ・・・)

これから来年の電視劇《楚漢伝奇》の予習を兼ねて、史記《留侯世家》を原文で読みます。

ルール:
1.訓読不可
2.日本語資料は原則参照しない


進め方:
1.原文を読む
2.現代中国語の注釈を参照にしながら現代中国語として理解する
3.現代日本語に訳す(面倒になったら訳さなくてもOK)

テキストはネットから拾ったので正しいかどうか分かりませんが、あまり細かいことは気にしません。
興味のある方は生ぬるく見守っていただければ幸いです。

今日はこの部分


史記《留侯世家》

留侯張良者,其先韓人也。大父開地,相韓昭侯、宣惠王、襄哀王。父平,相釐王、悼惠王。悼惠王二十三年,平卒。卒二十歲,秦滅韓。良年少,未宦事韓。韓破,良家僮三百人,弟死不葬,悉以家財求客刺秦王,為韓報仇,以大父、父五世相韓故。



・・・しかしいきなり壁にぶつかりました。
ネットには現代中国語訳はいくらでもあるけど、単語と文法の注釈が見つからない。
日本語の資料に頼るしかないのか・・・
とりあえず今日は自力でやってみて、今度ちょっと図書館で史記を借りてきます。(・・・買えよ・・・)



■留侯 liú hòu 秦末, 张良运筹帷幄,佐刘邦平定天下,以功封留侯 。诗文中常用为称颂功臣之典。
■者 zhě 助词,表示语气停顿并构成判断句的句式:陈胜~,阳城人也。
■先 xiān 家族或民族的较早的一代或几代。


留侯張良者,其先韓人也。

(日)留侯・張良は祖先が韓人でした。



張が姓、良が名、留侯は領地にちなんだ敬称(?)ですね。
史記は字(あざな)は教えてくれないのかな。

ところで「韓」って大韓民国のことじゃないって知ってました?
私はいま地図を見て始めて知りました(こんなので史記を原文で読もうというのは無謀すぎる・・・)
小国なのに秦と魏と楚に囲まれてますね。こりゃ早晩滅びるね。

資料 from wiki(画像も)

韓國國土主要包括今山西南部及河南北部,初都陽翟(今河南省許昌市禹州),滅鄭國後遷新鄭(今河南鄭州新鄭)。






■大父 dàfù 祖父
■韓昭侯 韓昭釐侯(?-前333年),名武。前362年─前333年在位。戰國時代韓國的第六任君主。
■韓宣惠王 韓威侯,即韓宣惠王(?-前312年),戰國時期韓國君主,韓釐侯之子,在位21年。
■襄哀王 韓襄王(?─前296年),原名韓倉,在位期間楚攻韓雍氏城五個月
■韓釐王(?-前273年),韓襄王之子,名咎。
■韓悼惠王 韓桓惠王(?─前239年)


大父開地,相韓昭侯、宣惠王、襄哀王。父平,相釐王、悼惠王。

(日)祖父の張開地は韓の昭侯、宣惠王、襄哀王の相でした。父の張平は相釐王、悼惠王の相でした。



張パパはウィリアム・チョンみたいな名前ですね。(無関係)
相っていうのは総理大臣のことでいいのかな。


■卒 zú 死亡
■年少 niánshào 年纪轻
■宦 huàn 官,做官:官~。仕~。~海。~游。


悼惠王二十三年,平卒。卒二十歲,秦滅韓。良年少,未宦事韓。

(日)悼惠王の二十三年(BC250年)に父の張平が死にました。張平が死んで20年すると、秦が韓を滅ぼしました(BC230年)。張良は若くてまだ韓の役人になっていませんでした。



wikiによると「前230年:秦滅韓,虜韓王安,以其地置潁川郡。韓亡。」だそうです。
秦が滅びたときパパが亡くなって20年ってことは、張良は少なくとも成人はしてたと思うんですけど、仕事はしてなかったんでしょうか。たぶんニートだったのですね。


■破 pò 打败
■家僮 jiā tóng 亦作“ 家童 ”。 旧时对私家奴仆的统称。
■葬 zàng 掩埋死人,泛指处理死者遗体。
■悉 xī 尽,全:~力。~心。~数(shǔ)(完全列举,如“不可~~”)
■客 指奔走各地从事某种活动的人:说~。政~。侠~。
■刺 暗杀:~客。被~。行~。
■故 gù 原因:缘~。原~。


韓破,良家僮三百人,弟死不葬,悉以家財求客刺秦王,為韓報仇,以大父、父五世相韓故。

(日)韓が敗れると、張良には奴隷が300人いましたが、弟が死んでも葬式も出さず、家財はすべて秦王を暗殺するための刺客の募集に使い、韓のために復讐しようとしました。それは祖父と父が韓で5代の王の宰相を務めたからです。



二人で5代の宰相って在任期間長いですね!選挙がないと任期が長いね。(そこか)
あ、今日の部分終わっちゃった。

まるで自分一人で訳したように見えたかも知れませんが、現代中国語訳を参照にしながら訳しました(ていうか現代中国語を日本語に訳しただけっていうか)。

だから答えだけは分かるのですが、どうしてそうなるのか分からない。特に文法部分。
上の部分でも

家財求客刺秦王
大父、父五世相韓故。

とどっちも“以”があるけど、どうしてこんなところに“以”があるの?これ何?
そういえば「古漢語字典」を持ってたんだった、と思い出して引いてみると


・动词。用,任用,使用。
・介词。把。
・介词。因。由于。

と載ってました。
“悉以家財求客刺秦王”は現代中国語訳が“用全部財產尋求勇士謀刺秦王”なので動詞の「使う」なのかな。介詞の“把”ではなさそう。
“以大父、父五世相韓故”のほうは介詞の「因。由于。」ってことですね。


これが現代中国語訳です。

白話:
侯張良,他的先人是韓國人。祖父開地,做過韓昭侯、宣惠王、襄哀王的相。父親平,做過釐王、悼惠王的相。悼惠王二十三年(前250),父親平去世。張良的父親死後二十年,秦國滅亡了韓國。張良當時年紀輕,沒有在韓國做官。韓國滅亡後,張良家有奴僕三百人,弟弟死了不厚葬,用全部財產尋求勇士謀刺秦王,為韓國報仇,這是因為他的祖父、父親任過五代韓王之相的緣故。



原文の注釈(史記の注釈か?)だけネットに載ってましたのでつけておきます。しかしあまり役にたたない。
文法説明もしてほしい。

〔一〕索隱韋昭云「留,今屬彭城」。按:良求封留,以始見高祖於留故也。正義括地志云:「故留城在徐州沛縣東南五十五里。今城內有張良廟也。」
〔二〕索隱漢書云字子房。按:王符、皇甫謐並以良為韓之公族,姬姓也。秦索賊急,乃改姓名。而韓先有張去疾乃張譴,恐非良之先代。
〔三〕索隱良既歷代相韓,故知其先韓人。顧氏按:後漢書云「張良出於城父」,城父縣屬潁川也。正義括地志云:「城父在汝州郟城縣東三十里,韓(里)〔地〕也。」
〔四〕集解應劭曰:「大父,祖父。開地,名。」
〔五〕集解韓系家及系本作桓惠王。
〔六〕索隱謂大父及父相韓五王,故云五代。


こんな感じでできれば来年のドラマ開始までに読み終わりたいと思います。

ところで韓の始祖って韓厥なんですね。
映画《趙氏孤児》で魔性のヒロイン屠岸賈に利用されるだけ利用されてボロ雑巾のように捨てられてたあの人。
韓は美人の名産地ってことでよろしいか。




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 10月 07日 |


《北大中文文库:朱德熙文选》
朱德熙 (作者), 袁毓林 (合著者), 郭锐 (合著者)
北京大学出版社


「これこれ探してたのよ~」と大喜びで買いました。
でも文章が難しすぎる・・・何が書いてあるかぜんぜん理解できません。
あーこの部分引用で見たことあるわ~というのは多いのですが。


「说“的”」「“的”字结构和判断句」なんてものすごく良いことが書いてあるっぽいのにな~
日本語訳出ないかな~
指をくわえて目次だけ眺めてます。早く読めるようになりたい・・・

目录
现代汉语形容词研究
说“的”
“的”字结构和判断句
与动词“给”相关的句法问题
汉语句法里的歧义现象
“在黑板上写字”及相关句式
潮阳话和北京话重叠式象声词的构造
自指和转指——汉语名词化标记“的、者、所、之”的语法功能和语义功能
汉语方言里的两种反复问句
现代书面汉语里的虚化动词和名动词——为第一届国际汉语教学讨论会作
变换分析中的平行性原则
从方言和历史看状态形容词的名词化兼论汉语同位性偏正结构
古文字考释四篇


同じシリーズの《王力文选》も同時購入したのですが、たぶん読めないでしょう。
記念に表紙だけのせとこ



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 10月 05日 |


《香港已成往事》
作者:平路
出版社:牛津大學
出版日期:2009年07月01日
語言:繁體中文 ISBN:9780198016939
裝訂:平裝


地味なタイトル地味な装丁地味な著者名。きっと老境の趣味人の綴る枯れ切った散文・・・と思って読んでみたら、お洒落な台湾女性作家のエッセイでした。

マノロ・ブラニクを履いて『セックス・アンド・ザ・シティ』を見に行く香港の独身女性たちを描いた《高跟鞋的寂寞城市》、香港のセレブな化粧室(って何)が登場する《魔鏡啊魔鏡》、楽しくてファショナブルでかっこわるくて寂しい香港。読んでるとすごく香港に行きたくなってきます。


「寂寞紅顔」の章は女性たちの小伝記。取り上げられているのはダイアナ妃、蒋放良(蒋経国の妻)、程念慈、梅艷芳、江青など。どれもひねりが効いていて、あまり好きでなかった人物(江青とか)でも興味が湧きました。
とくに蒋経国の妻がロシア人だったなんて驚きです。蒋介石の妻、宋美齢の華やかさと対照的に地味な人生を送った人だったんですね。

アニタ・ムイとテレサ・テンの孤独について書かれた「Anita與Teresa」もとっても良かった。


いちばん笑えたのはコンピューターのアップグレードと格闘する話です。

拒絕「升級」?這個留在原地的堅持異常困難,就好像女人硬要留在原來的少女群組,儘管她竭盡所能,想要拒絕一步步成為廣東話裏的「師奶」,mission impossible,這幾乎是不可能的任務。

《香港已成往事》




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 10月 03日 |


《现代汉语欧化语法现象研究》
贺阳 ( 商务印书馆2008年)

中国語は五四運動以降、西欧言語の影響を受けて大きく変わったそうです。
そんな事情は日本で中国語を学習するときには教えてもらえないので、学校で習う漢文と現代中国語の違いの大きさに混乱しちゃいますよね。言語の変遷についてもちょっとくらい教えてくれればいいのにね。(愚痴)


中国語は「動詞+名詞」の語順と教わったのに、なぜか文中に「名詞+動詞」の語順が出てきて戸惑ったことはありませんか。
「文化交流」は「交流文化」が正しいんじゃないんですか?と老師に食ってかかって「まあどっちでもいいから」といなされたことは?(私だけ?)

なんと古代漢語には「名詞+動詞」の構文はとても少なく、五四運動以降、西欧言語の影響で出てきた新たな構文だったのですって。
古代漢語に登場する「名詞+動詞」の構文というのは

人立而啼(《左傳》)
ブタが人のように立って鳴いた

みたいなのです。あんまり見ませんよね。
他はほとんど官職(「牛羊饗応所」とか)だったそうです。

それで、西欧言語からの翻訳の過程で生み出された語の例が掲載されてるんですけど


air pollution 空气污染
business management 企业管理
cultural interchange 文化交流
physical examination 体格检查
space exploration 宇宙空间探索

第2章 动词、形容词的欧化现象
2.3 “NV”结构的兴起和发展


・・・これは・・・むしろ日本語なのでは・・・?

この本では日本語の影響については全然触れられていませんが、用例には魯迅や郁達夫や陳独秀も取り上げられています。日本留学組の文章は日本語からの輸入語が使われてると考えるほうが自然な気がするんですけど・・・。
いずれにしても外国語の影響だったわけですね。疑問がとけてちょっとスッキリ。


介詞についてもとても面白いことが書いてありました。

語頭に介詞“在”があったりなかったりして「どっちが正しいの!?」と思ったことはありませんか?
もともと漢語で時間詞語を語頭に置く時には介詞は必要なかったのです。

古文では

趙惠文王十六年,廉頗為趙将,...(《廉頗傳》)
今日拒之,事更不順。(《周瑜傳》)

たしかに語頭に介詞はありません。

五四運動以降、西欧言語の影響で本来は不要な“在”が使われるようになり、現在では「使わないとおかしい」ことになったのですね。


五四以来,受英语这种时间表达习惯的影响,汉语书面语中介词“在”的使用范围扩大了,原本处在句首或分居句首而不需要用“在”的时间词语,也常常用上了这个介词,下面这些句子中的时间词语依汉语原有的习惯都是不用“在”的,现在也都用上了。

(1)在这时候,众人也都哄笑起来,...(鲁迅《孔乙己》)
(5)譬如在吃饭的时候,我一见了...(郁达夫《过去》)

第5章 介词的欧化现象
5.3.1 介词“在”用于句首的时间词语




いつも苦しめられている語頭の“在”が五四運動のせいだったとは・・・。
でもこの“在”は口語の会話では使われず、書面語でも使われないケースが多いという指摘が意外でした。使うか使わないかはネイティブの感覚によるのでしょうね。


就目前情况来看,介词“在”用于句首时间词语的现象虽有一定的出现频率,但这一用法在汉语中还不能说十分活跃,它还仅仅是一种书面语现象,在日常口语里人们依然遵循汉语原有的习惯,句首的时间词语是不用“在”的,例如,人们在日常交谈时说“五一那天我们去颐和园了”,而不说“在五一那天我们去颐和园了”;说“昨天晚上我没看电视”,而不说“在昨天晚上我没看电视”。即使是在书面语中,也还是汉语的传统用法占优势,句首的时间词语用“在”的现象并不是很多。



その後の「5.3.2 介词“在”用于存在句句首的处所词语」では“在”を語頭の場所詞の前に置くかどうか解説されてます。これも本来の漢語にはなかった用法なんですね。


あと日本人にはとてもわかりにくい“着”も本来は不必要だったのに五四運動以降(以下略)

もともとは動作性の動詞のあとにつくので

他不停的说着
画儿在墙上挂着

のような使い方。それが


王力认为““着”字本来是由“附着”的意义变来,所以它必须跟在动作性颇中的动词的后面”。一般来说,五四前“着”附着在抽象的、动作性不明显的动词之后的现象是不多见的。五四以来,在书面上,不少没有什么动作性的动词也长航被加上一个“着”,例如。

(1)这就说明着我的工作的切实。(鲁迅《伤逝》)
(2)然而因为这新兴阶级的自身内包含着若干矛盾,...(茅盾《“五四”运动的检讨》)

第6章 连词、助词的欧化现象
6.4.1 “着”使用范围的扩大



そのうちに持続性のない動詞“发生”“产生”などにも“着”がつくようになり、もともと持続の意味が含まれている“存在”にまで“着”をつけるようになったそうです。
さらには“着”をつけられなかった“有”にもつけるようになりました。“有着”を認めるかどうかは学者の間で論議が起きたそうです。確かによく考えるとヘンだ。でもいまは普通に使ってますよね。


と、いろいろ知識が増えて楽しい本でした。
無理だと思うけど日本語訳が出て欲しい一冊です。




日本人学習者はあまり使わないかもしれない“N的V”について。
現代中国語では“N的V”は普通の表現ですが、旧白話ではあまり使わなかったそうです。
五四運動以降、西欧言語の翻訳の過程で編み出された方法だそうです。


如前所述,英语等印欧语严重大量的由动词派生或转化而来的行为名词,他们可以像一般名词那样受定语的修饰。由于汉语缺乏将动词转化为自指性名词的词法手段,五四以来,在翻译过程中,人们只能用汉语的动词去对译印欧语言定中结构中的行为名词,于是“N的V”结构便在汉语书面语中兴起。

第2章 动词、形容词的欧化现象
2.2 “N的V”结构的兴起和发展


「的」の要不要が人によって違うのは、もともと中国語になかった用法をけっこう無理やり輸入したせいでルールが決まってないせいなのかなーと思いました。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 09月 22日 |
時節柄、しばらくのあいだ語学ネタのみをアップしています。
ドラマや映画の記事を読みに来てくださる方はお手数ですが「こっけいせつ」以降にまたお越しください。

ゴタゴタの早期収束を祈っています。

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《外国人实用汉语语法(修订本)(中英文对照)》
李德津, 程美珍


外国人学習者向けに書かれた文法書。英訳つき。
分かりやすく全体を網羅している良い本です。中級レベルの学習者なら十分読みこなせると思います。


日本の文法書とは章立てや切り口が違うところがあって面白い。
ずっと悩んでいた“在”の要不要について意外な説明があったので引用しておきます。

説明があったのは“在”(介詞)の項目ではなくて、「方位詞」(名詞)の項目でした。
まず「方位詞」の説明は


(三)关于方位词

1.方位词是表示方向或位置的名词。方位词有单音节的、双音节的两种。举例如下:

《外国人实用汉语语法》
p.20
第二章 此类
第一节 名词
四.使用名词时需要注意的几个问题



例は表になってます。挙げられているのはこんなの

单音节
上、下、前、后、左、右、里、外、中、内、间、旁、东、南、西、北

双音节
上边、上面、以上、之上、上下......




2.方位词的用途
单音节方位词很少单独使用.双音节的方位和一般名词用法基本相同,但除了能做主语、宾语和定语外,还可以做状语。例如:
您里边坐。
我们外边谈。

3.注意事项:

(1)单音方位词“里”、“上”常单独用在名词后边。例如:
屋子里 院子里 楼里
桌子上 书架上 树上

(2)“里(边)”的用法:
当我们要表示“在......里边”的意思时,要注意“里(边)”的使用方法。

①地理名词后边不用“里(边)”。例如:



ここで挙げられているのはこんな例文

◯我在北京。
×我在北京里(边)。

“北京里(边)”が間違いなのは「地名の後ろに“里(边)”は使えない」からなんですね。


②表示物件的名词后边需要“里(边)”。例如:



ここで挙げられているのはこんな例文

◯书在抽屉里。
×书在抽屉。

これはけっこう日本人が間違えてしまうところではないでしょうか(私はいまだに間違える)。
「北京」には“里(边)”はつけられないけど、「引き出し」には必ず“里(边)”が必要なんですよね。


“在”の要不要について書いてあるのはこのあと


(3)方位词可以直接做句子成分,做主语或状语时前边都不用介词“在”。例如:

里面有一架钢琴。
旁边是我的卧室。

“您里边坐”是“请您到里边坐”的意思。不说“您在里边坐”



そういう理屈だったのか・・・と目からウロコでした。
「方位詞が主語または状語のとき、前に介詞“在”はつけない」
シンプルで分かりやすい説明です。“在”から考えるのではなくて、方位詞から考えれば良かったんですね。

◯里面有一架钢琴。(方位詞が主語)
×在里面有一架钢琴。

◯旁边是我的卧室。(方位詞が主語)
×在旁边是我的卧室。

◯您里边坐。(方位詞が状語)
×您在里边坐。



ちょっと混乱したのはこの後。
状語の解説に「状語になれる詞と詞組」という項目がありました。



(二)介词结构。介词结构的主要作用是做状语。

(三)名词(时间词、方位词)

我们外边散散步吧。
你里边坐一会儿。

《外国人实用汉语语法》
p.263
第四章 句子成分
第五节 状语
三.可以充当状语的词和词组



方位詞が状語のとき前に“在”が不要なのは、さっきの説明と合致していますね。
でもこの後、また分からなくなってしまったのです。



(十二)方位词组

我们花园里走走。
你们屋里谈吧。
我两点以前在公园门口等你。



どうして最後の例文は“在公园门口”と“在”があるんだろう?
どうしてどうして?としばらく悩みました。

だいぶ考えたやっと気づいたのですが、この例文の方位詞組は“两点以前”なのですね。(“以前”が方位詞)。

じゃあ“在公园门口”は何かというと、これは「介詞結構」。
“公園門口”は方位詞ではなくて普通の名詞なんですね。

方位詞ではない普通の名詞は“在”を使って「介詞結構」にしてあげないと状语として使えないのです。



「介詞結構」の説明を読むとこうありました。



一.介词结构的定义
介词带着宾语结构的词组叫介词结构。介词结构可以表示动作的方向、处所、时间、对象、目的、原因、方式、被动、比较、处置、排除等等。

三.介词结构的用途
(一)做状语。
介词结构的主要作用是在句子里充当状语。

例如:

你们在北京大学学习。


《外国人实用汉语语法》
p.213
第三章 词组
第十节 介词结构




今回学んだことをまとめると

1.方位詞が主語または状語のとき、前に介詞“在”はつけない
2.“在”を使った介詞結構が状語のとき、前に介詞“在”をつける

2.は書いてみると当然すぎてアホみたいですが、1.と2.の区別がついてなかったことに気づいて良かった。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 09月 18日 |
張愛玲音読マラソン今日で終わりです。
唐詩マラソンのときは辞書引かなかった(引いてもどうせ使わない漢字ばかりだから)のですが、今回は100%自信のある漢字以外はすべて引いたので、辞書引いてる時間のほうが長く、音読の回数が少なくなってしまったのが残念。

それでも「朗読している内容が理解できている」と朗読してても楽しいものですね。
唐詩のときは何を読んでるのかさっぱり理解できなくて辛かった(←教材の選択を間違っている)


“披霞 pīxiá”が辞書に載ってないのですが、現代中国人にも謎の物体らしく
湖南日報のサイトに披霞追踪という記事がありました。
文中に“电气石,又名碧玺、披耶西、披霞……”とあるので、电气石で検索するとTourmalineのようです。
この散文中の“披霞 pīxiá”はピンクトルマリンだったのでしょうか。

「姑姑」は父の姉妹。
小説《小團圓》では主人公は小さいころに実父(次男)の兄(長男)の養女になったという設定らしく(よく分からなかった)、実の父親のことを「二叔(二叔父さん)」、母親のことを「二嬸(二叔父さんの奥さん)」、「姑姑」のことを「三姑」と呼んでて、読んでて大混乱しました。家族構成が複雑すぎる。


■撇清 piēqīng 掩饰自己与坏事的关系,表示自己清白;辩白;分清
■冲淡 chōngdàn 谦虚淡泊
■唠叨(嘮叨)láodao 闲聊或漫无目的地说个不停
■厌烦(厭煩)yànfán 厌恶;腻烦
■龙钟(龍鐘)lóngzhōng 年老体衰、行动不便的样子。也指潦倒不得志的样子
■清样(清樣)qīngyàng 从最后校改的印刷版上打下来的校样,有时也指最后一次校定、准备付印的校样
■将就 jiāngjiu 对事物不太满意,勉强适应;凑合
■妇女(婦女)fùnǚ 成年女子的统称
■譬如 pìrú 举个例子,打个比方;例如
■挑剔 tiāoti 在细节上过分苛刻指摘
■挑 tiāo 选,拣:~选。~拣。~剔。
■挑 tiǎo 拨弄,引动
■隐(隱)yǐn 藏匿,不显露
■阴(陰)yīn 不露出表面的,暗中的
■名目 míngmù 名称;名义。
■唾珠咳玉 tuò zhū ké yù 言辞高妙优美,形容出言不凡。珠、玉,比喻妙语或美好的诗文。
■喉咙(喉嚨) hóulóng 笼统指咽喉部
■粘附 niánfù 粘性物质附着在别的物体上
■无告(無告)wúgào 孤苦无处投诉。亦指无处投诉的人。
■纳(納)nà 补缀,缝补
■浙沥煞辣 zhè lì shā là
■脆响 cuìxiǎng [声音]∶清脆响亮
■辩驳(辯駁)biànbó 提出理由或根据来反驳对方的意见
■周瘦鹃 zhōushòujuān 现代作家,文学翻译家。原名周国贤。江苏省苏州市人。
■缝(縫)féng 用针线连缀
■缝(縫)fèng 空隙,裂开或自然露出的窄长口子
■复元(復元) fù yuán 复原;恢复健康。
■恹恹(懨懨)yānyān 精神萎靡的样子
■披霞 pīxiá 碧玺又称为电气石,英文名称Tourmaline,是从古僧伽罗(锡兰)语Turmali一词衍生而来的,意思为“混合宝石”。
■冻疮(凍瘡)dòngchuāng 又名冻风。冷风严寒伤及皮肉,气血凝滞而成。多发于手足、耳廓等处
■肿(腫)zhǒng 皮肉浮胀
■衬(襯)chèn 搭配上别的东西:~托。陪~。映~。
■脏 (髒) zāng 玷污,不干净或不纯洁
■脏 (臟) zàng 内脏;五脏六腑
■宕 dàng 放荡,不受拘束
■扇坠(扇墜)shànzhuì 扇柄下端系的装饰物,多用玉石等制成



《姑姑语录》

我姑姑说话有一种清平的机智见识,我告诉她有点像周作人他们的。她照例说她不懂得这些,也不感到兴趣——因为她不喜欢文人,所以处处需要撇清。可是有一次她也这样说了:“我简直一天到晚的发出冲淡之气来!”
有一天夜里非常的寒冷。急急地要往床里钻的时候,她说:“视睡如归。”写下来可以成为一首小诗:“冬之夜,视睡如归。”
洗头发,那一次不知怎么的头发狠脏很脏了,水墨黑。她说:“好像头发掉颜色似的。”
她有过一个年老唠叨的朋友,现在不大来往了。她说:“生命太短了,费那么些时间和这样的人在一起是太可惜——可是,和她在一起,又使人觉得生命太长了。”
起初我当做她是说:因为厌烦的缘故,仿佛时间过得奇慢。后来发现她是另外一个意思:一个人老了,可以变得那么的龙钟糊涂,看了那样子,不由得觉得生命太长了。
她读了苏青和我对谈的记录, (一切书报杂志,都要我押着她看的。她一来就声称“看不进去”。我的小说,因为亲戚份上,她倒是很忠实地篇篇过目,虽然嫌它太不愉快。原稿她绝对拒绝看,清样还可以将就。)
关于职业妇女,她也有许多意见。她觉得一般人都把职业妇女分开作为一种特别的类型,其实不必。职业上的成败,全看一个人的为人态度,与家庭生活里没有什么不同。普通的妇女职业,都不是什么专门技术的性质,不过是在写字间里做人罢了。在家里有本领的,如同王熙风,出来了一定是个了不起的经理人才。将来她也许要写本书关于女人就职的秘诀,譬如说开始的时候应当怎样地“有冲头”,对于自己怎样地“隐恶扬善”……然而后来她又说:“不用劝我写了,我做文人是不行的。在公事房里专管打电报,养成了一种电报作风,只会一昧的省宇,拿起稿费来太不上算了!”
她找起事来,挑剔得非常厉害,因为:“如果是个男人,必须养家活口的,有时候就没有选择的余地,怎么苦也得干,说起来是他的责任,还有个名目。像我这样没有家累的,做着个不称心的事,愁眉苦脸赚了钱来,愁眉苦脸活下去,却是为什么呢?”

从前有一个时期她在无线电台上报告新闻,诵读社论,每天工作半小时。她感慨地说:“我每天说半个钟头没意思的话,可以拿好几万的薪水;我一天到晚说着有意思的话,却拿不到一个钱。”
她批评一个胆小的人吃吃艾艾的演说:“人家唾珠咳玉,他是珠玉卡住了喉咙了。”

她说:“爱德华七世路”(爱多亚路)我弄错了当做是“爱德华八世路,爱德华八世还没来得及成马路呢。”

她对于我们张家的人没有多少好感——对我比较好些,但也是因为我自动地粘附上来,拿我无可奈何的缘故。就这样她也常常抱怨:“和你住在一起,使人变得非常唠叨(因为需要嘀嘀咕咕)而且自大(因为对方太低能)。”
有一次她说到我弟弟很可怜地站在她眼前:“一双大眼睛吧达吧达望着我。”“吧达吧达”四个字用得真是好,表现一个无告的男孩子沉重而潮湿地(目夹)着眼。
她说她自己:“我是文武双全,文能够写信,武能够纳鞋底。”我在香港读书的时候顶喜欢收到她的信,淑女化的蓝色字细细写在极薄的粉红拷贝纸上,(是她办公室里省下来的,用过的部分裁了去,所以一页页大小不等,读起来浙沥煞辣作脆响。)信里有一种无聊的情趣,总像是春夏的晴天。语气很平淡,可是用上许多惊叹号,几乎全用惊叹号来做标点,十年前是有那么一派的时髦文章的吧?还有,她老是写着〔犬字偏的〕“狠好”,“狠高兴”,我同她辩驳过,她不承认她这里应当用〔双人偏的〕“很”字。
后来我问她:“那么,‘凶狠’的‘狠’字,姑姑怎么写呢?”她也写作“狠”。我说:“那么那一个‘很’字要它做什么呢?姑姑不能否认,是有这么一个字的。”她想想,也有理。我又说:“现在没有人写‘狠好’了。一这样写,马上把自己归入了周瘦鹃他们那一代。”她果然从此改了。
她今年过了年之后,运气一直不怎么好。越是诸事不顺心,反倒胖了起来。她写信给一个朋友说:“近来就是闷吃闷睡闷长。……好容易决定做条裤子,前天裁了一只腿,昨天又裁了一只腿,今天早上缝了一条缝,现在想去缝第二条缝。这条裤子总有成功的一日吧?”
去年她生过病,病后久久没有复元。她带一点嘲笑,说道:“又是这样的恹恹的天气,又这样的虚弱,一个人整个地像一首词了!”

她手里卖掉过许多珠宝,只有一块淡红的披霞,还留到现在,因为欠好的缘故。战前拿去估价,店里出她十块钱,她没有卖。每隔些时,她总把它拿出来看看,这里比比,那里比比,总想把它派点用场,结果又还是收了起来。青绿丝线穿着的一块宝石,冻疮肿到一个程度就有那样的淡紫红的半透明。襟上桂着做个装饰品吧,衬着什么底子都不好看。放在同样的颜色上,倒是不错,可是看不见,等于没有了。放在白的上,那比较出色了,可是白的也显得脏相了。还是放在黑缎子上面顶相宜——可是为那黑色衣服的本身着想,不放,又还要更好些。
除非把它悬空宕着,做个扇坠什么的。然而它只有一面是光滑的,反面就不中看;上头的一个洞,位置又不对,在宝石的正中。
姑姑叹了口气,说:“看着这块披霞,使人觉得生命没有意义。”



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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