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2012年 08月 31日 |
帰ってきました

(今回のおみやげ)

キメキメでステキすぎる邵峰が表紙の雑誌








もう手に入らないかと諦めていた《鉄牙銅歯紀暁嵐(铁齿铜牙纪晓岚)》第一部のDVDを発見!
同じ店で霍青老師出演作《全家福》も購入




路上で買った《男人的戦争》
于和偉いつのまにこんなドラマに出てたんだ・・・




(お知らせ)

エキサイトが繋がらない時のために、はてなブログを同時更新しています。
緊急事態回避用に作ったのですべて同歩ではありませんが、リンクをつけておきます。
香炉待薫記別墅(測試版)


(おまけ)

町中でこんな店を見かけました


孔明少爺ってとっても萌え~という意味なのか、それとも孔明って萌えが少ないって意味なのか?


そしてまたもテレビで新《水滸伝》の最終回を見てしまった。
最終回(だけ)4回くらい見てるんですが・・・たまには西門慶も見てみたいのに・・・


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 13日 |
この散文の“挨”は「近寄る」なので発音はāiだと思うのですがCDの朗読はái (ひどいめにあう)になってた。
どっちでもいいのかな。

「訥廠先生」は当時の人気作家だそうですが、ネットで検索しても「張愛玲の《雨傘下》に出てくる訥廠先生って誰?」というのばかりヒットします。張愛玲が言及しなければ消えていたのでしょうか・・・


■挨 āi 靠近
■钻(鑽)zuān 进入
■躲 duǒ 隐藏;退让
■掩蔽 yǎnbì 遮掩;遮蔽;蒙蔽
■稀湿(稀濕) xī shī 很湿。
■说教(説教) shuōjiào 宣传宗教教义。比喻生硬枯燥地空谈理论,教训别人
■寓言 yùyán 文学作品的一种体裁。常带有讽刺或劝戒的性质,用假托的故事或拟人手法说明某个道理或教训
■赔本(賠本)péiběn 做生意本钱、资金亏损;商业上的亏损 
■讷厂 nèchǎng 讷厂,原名严谔声,三四十年代上海知名的小报作家。


《雨伞下》

下大雨,有人打着伞,有人没带伞。没伞的挨着有伞的,钻到伞底下去躲雨,多少有点掩蔽,可是伞的边缘滔滔流下水来,反而比外面的雨更来得凶。挤在伞沿下的人,头上淋得稀湿。
当然这是说教式的寓言,意义很明显:穷人结交富人,往往要赔本,某一次在雨天的街头想到这一节,一直没有写出来,因为太像讷厂先生茶话的作风了。




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 12日 |
『新編 対の思想―中国文学と日本文学』
駒田 信二( 岩波書店)

駒田 信二先生といえば中国文学の大御所だけに中国への理解力も超越してらっしゃったんじゃないかしら、とか勝手に思っていたのですが、あらためて著書を読んでみると、普通の人と同様に中国とどう向き合うか日々試行錯誤しておられたのだなあと親近感を覚えました。
(普通の人よりずっと真剣に向き合っておられたというのもよく分かりました)


吉川 英治「三国志」の種本について考察した部分。


『三国志演義』の翻訳者である立間祥介氏がつぎのようなことを書いている。
・・・吉川「三国志」の読者という方から、きついお叱りの投書をもらったことがある。/お前の訳書は原典から訳したといっているが、吉川「三国志」とはまるで違い面白くない。もっと原典忠実にやれ。
立間氏のところへ行ったのと同じような投書を、私も十何通か受けとったことがある。私の『水滸伝』(平凡社。立間氏の『三国志演義』も同じ)を買ったという読者からのもので、彼らはみな吉川英治本『水滸伝』の読者なのだった。
吉川英治の『水滸伝』が途中で終わっているので、おまえの『水滸伝』を買ったが、百二十回本の完訳だといいながら、省略が多すぎる。看板にいつわりありではないか。例えば「この話はそれまでとする」とか「くどい話はぬきにして」などと勝手に省略しているくせに、なにが「完訳」か。
大体そういう投書だった。「この話はそれまでとする」とか「くどい話はぬきにして」とかいうのは『水滸伝』の語り癖なのである。翻訳だからこそそのまま訳しているのに、読者は訳者自身が「それまで」としたり、「ぬきに」したりしているのだと思ったようである。
(略)
だが翻訳となれば、これは私自身の例だが、原典に「不在話下」とあれば「この話はそれまでとする」と訳さなければならないし、「話休絮煩」とあれば「くどい話はぬきにして」と訳さなければならなのであって、そこにはまた、それなりのおもしろさもあるのだけれども。

「翻訳と語りなおし」
『新編 対の思想―中国文学と日本文学』駒田 信二



確かに三国演義も水滸伝も現代人が読んで面白い本ではないですが・・・昔の日本の読者って無邪気だったのね。

それで吉川 英治「三国志」の種本のところに『通俗三国志』のことがありまして


「通俗」というのは、今日使われている言葉の意味とはちがって、中国書の翻訳のことをいう。俗に通じるようにする、中国文の読めない一般の人に読めるようにした、という意味である。

「翻訳と語りなおし」



・・・知りませんでした・・・「俗っぽい三国志」なのかと思ってた(無知)

ところで(唐突ですが)、関羽の顔がよく「重棗」と形容されていますが、重棗って何かご存知でしたか?


この<面如重棗>の<重棗>が問題である。
立間祥介氏はこれを
・・・顔色はくすべた棗のごとく・・・
と訳している。

「関羽の顔の「重棗」について」



立間祥介氏は曲亭馬琴が「万暦版の演義三国志を見るに、面如薫棗とあり・・・」といってるのを根拠に薫→重の筆写ミスと判断したそうです。


小川環樹氏は同じところを、つぎのように訳している。
・・・顔は熟した棗のように赤黒く・・・

「関羽の顔の「重棗」について」



小川環樹氏の典拠は魯迅の「重棗」とはどんな棗であるか、わたくしは知らない。要するに赤い色には違いあるまい」という文章だそうです。みなさん博識ですね・・・
(「紅表忠勇,是從關雲長的“面如重棗”來的。“重棗”是怎樣的棗子,我不知道,要之,總是紅色的罷。在實際上,忠勇的人思想較爲簡單,不會神經衰弱,面皮也容易發紅」魯迅《且介亭雑文》)


水滸伝にも同じような表現が出てくるそうです。


吉川幸次郎氏はここをつぎのように訳している。
・・・棗を重ねたやうな顔つきにて・・・


「関羽の顔の「重棗」について」



そして駒田 信二先生ご本人は


私は<重棗>の<重>を「大いなる」と考えて、「大きな棗」と訳したが、これは、立間氏の「くすべた棗」を取る確信もなく、小川氏の「熟した棗」を借りることも憚られたからである。吉川氏の「棗を重ねる」も棗の実の群がり成っている形として心ひかれたが、これを取ることもやはりできない。翻訳者のつらさがここにある。誰が訳してもそうとしか訳せないところはともかくとして、ひとりの役者が苦心して考え出した訳語を、易々として頂戴するわけにはいかないのである。

「関羽の顔の「重棗」について」



ひとつの訳語にもいろんな工夫がこらされているのがよく分かりました。

ところで私も「重=腫」で「はれぼったい棗のような顔」という説をいま思いついたので発表してみます。
無根拠です。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 11日 |
「中国共産党 支配者たちの秘密の世界」
リチャード・マクレガー (著), 小谷まさ代 (翻訳)
草思社 (2011/5/25)

ちょうどこの本を読んでいるときに「アモイ事件(遠華密輸事件)」の判決のニュースと、陳光誠さん出国のニュースが報じられていました。(読んだのはかなり前です)

中国:アモイ事件首謀者に無期判決 汚職疑惑に幕引き
中国:人権活動家の陳光誠氏、米に向け出国

現代中国のことは分からないことだらけですが、私にとってその中でも理解不能なのが、それまで経済界でもてはやされていた企業家が突然贈賄や密輸で逮捕される事件と、人権運動弁護士や活動家が軟禁されたり逮捕される事件。
普通の中国人と話をしていると「中国には言論規制はない。何を言っても大丈夫」「中国人はお金儲けが好きだからお金を儲ける人が偉い」って感じなのに、なぜ突然逮捕される人がいるの・・・?と線引きの根拠が全然分かりません。

この本にはそのあたりも解説されていてとても勉強になりました。中国ではすべてに「党の判断」という視点が加わるのですね。
「中国共産党」という手に取りにくいタイトルですが、内容は中国社会全般に渡っていて、一見無関係そうな事項のつながりが見えてくる良書でした。現代中国に興味のある人にはきっと役立つと思います。


第8章で紹介されている《墓碑-中国六十年代大飢荒紀実》(楊継縄)という本は読みごたえがありそう。日本語訳が出ればいいのに。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 10日 |


《啼笑因緣》
作者:張恨水




《紙酔金迷》 にひきつづき張恨水です。

(ネタバレあらすじ)

杭州から大学入学のために上京してきた主人公が入学準備と称して北京の下町をぶらぶらしてるうちに三人の若い女性と知り合い、それぞれにモテモテにもてる話です。

一人目は街角で歌う芸人(美少女)。二人目は武術の達人の侠女。三人目はリッチなモダンガールとそれぞれ違うタイプの女性たち。
主人公は一人目の美少女歌手を囲って(自分も大学入学前なのに・・・)、女学校へ通わせて将来は結婚しようとするのですが、権力者が彼女に目をつけて無理やり側室にしてしまうの。

美少女はいろいろ理由があってやむなく権力者に嫁いだのに、主人公はお坊ちゃまで人の気持ちのまったくわからんやつなので、彼女は金に目がくらんだと逆恨みするのです。
しかし侠女は捨て置けず、権力者の家に忍び込んで美少女を助けようとするものの、自分自身も権力者に目をつけられてしまう。かっこいい侠女は結婚を承諾したふりをして権力者を暗殺するのです。男前すぎる!!

主人公はいくじなしで、侠女の行為を見て助けるどころか巻き添えになるのを恐れて逃げ出してしまうのです。なんというしょうもない男でしょう。
しかも金目当てで誘拐されたところを侠女に助けてもらったりして、当時の読者はこんな主人公でOKだったのか!?

恐ろしい目になった美少女は頭がおかしくなってしまい(身も蓋もない話だ)、主人公は自分と階級のつりあったモダンガールとくっつくというラストです(たぶん)。


章回小説なので、一章が短く、しかも毎回最後に謎の人物が登場して「この人物の正体は?それは次回をお読みください」で終わるので、ついつい次の章も読んでしまいます。
けっこう面白かったけど主人公をまったく好きになれなかったのでちょっとつらかった。
侠女がめちゃくちゃカッコ良い。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 09日 |



《這個詞,原來是這個意思!:重返語文的歷史現場,讓你的中文功力迅速破表》
作者:許暉
出版社:漫遊者文化
出版日期:2011年03月03日
語言:繁體中文 ISBN:9789866272493
裝訂:平裝


日本にもよくありますね、語源や漢字の読み方を解説した本。
《這個詞,原來是這個意思!》(この「詞」はそういう意味だったのか!)は現代中国語でよく使われるけど、考えてみたらどういう意味?な言葉を解説した本です。
取り上げられているのは文語から成語や俗語に使われるようになった言葉です。語彙を増やしたい中級学習者には良い本だと思います。

こんな言葉が解説されています。
「門外漢」原來是指蘇東坡
「毛病」為什麼跟「毛」有關?
「定心丸」的藥方是什麼?
「東西」為什麼不叫「南北」?



私が面白く読んだ章

◆「洒家」其實不是和尚的自稱(「洒家」は本当は和尚の自称ではない)

《水滸伝》の魯智深は自分のことを「洒家洒家」と連呼してます。和尚さんの自称だと思ってましたが、「洒家」は宋や元の頃の関西(中国の)方言で男性の自称で、お坊さん以外も使ってたそうです。


◆「赤子」原來是指嬰兒(「赤子」はもともと嬰児のことだった)

タイトルを見て「そりゃ「赤子」は赤ちゃんに決まってるだろう、赤ちゃんは赤いし」と一瞬思いました。
でも、現代中国語では「赤子」といえば心の清らかな人のこと。また色彩のredは「紅」です。
中国では意味が変わってしまった漢字を日本ではそのまま使い続けているのは面白いですね。


◆「相公」為什麼變成男妓的稱謂?(「相公」はどうして男妓の呼び名になったのか?)

解説文に

「相公」最早是對曹操的稱謂,而且特指曹操一人。
(「相公」は一番最初は曹操に対する呼称で、特に曹操だけを指した。)


とあって何かと思いました。続きは


西漢的丞相封侯不封公,東漢的丞相不封侯,到了曹操以丞相的官職封魏公,因此成為「相公」。這當然是對曹操的敬稱。
(前漢の丞相は侯に封じるが公には封じなかった、後漢の丞相は侯に封じなかった、曹操の時になって丞相の官職をもって魏公に封じたため「相公」となった。これは当然曹操に対する敬称だった。)


最初は丞相+公爵=「相公」で最高の敬称だったものが、だんだん普通の役人も「相公」と呼ぶようになり、そのうち民間の人でも「相公」と呼び合うようになり、清朝には京劇の女形を指すようになったそうです。

曹魏では「主公」ではなく「相公」と呼んでいたのだろうか・・・ヘンだ・・・


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 07日 |
張子静には《我的姐姐张爱玲(亲弟弟回忆姐姐的世事浮沉沧桑变故)》という著作があるそうです。中学の英文教師だったんですね。有名人の家族って大変そう。


■惋惜 wǎnxī 表示同情、可惜
■糟蹋(糟踏) zāota 不珍惜,随便丢弃或毁坏
■回绝(回絶)huíjué 比较明确地、果断地拒绝
■妒忌 dùjì 对别人的长处感到不痛快或忿恨,同时又希望自己具有同样长处
■涂(塗)tú 乱写:~鸦
■杠子 gàngzi 批改文字或阅读中作为标记所画的粗直线
■骁将(驍將) xiāojiàng 勇将,猛将。也作“枭将”
■杏xìng 落叶乔木,叶卵形,花白色或淡红色,果实称“杏儿”、“杏子”,酸甜,可食
■铜锤 tóngchuí 铜制的锤。多用于装备机械。
■虚拟(虚擬)xūnǐ 凭想像编造的
■巴斗 bādǒu 用柳条编织的圆斗
■剖 pōu 破开
■调派(調派)diàopài 调动派遣
■泼风(潑風)pō fēng 疾风,大风。形容速度快、来势猛。
■腮 sāi 面颊的下半部,脸的两旁
■罩衫 zhàoshān 罩衣
■穆时英 mùshíyīng (1912~1940)现代小说家。
■忤逆 wǔnì 叛逆;不孝敬父母
■附和 fùhè 随着别人说或做
■和 hè 和谐地跟着唱
■诋毁(詆譭)dǐ huǐ 恶意毁谤、破坏
■挡(擋)dǎng 阻拦,遮蔽:
■淌 tǎng 流下
■闩 shuān 用闩插上门
■抽噎 chōuyē 抽咽;一吸一顿地哭泣
■掣 chè 拉,拽:
■啪 pā 象声词,形容放枪、拍掌或东西撞击等声音。
■蹦 bèng 两脚并着跳



我弟弟生得很美而我一点都不。从小我们家里谁都惋惜着,因为那样的小嘴,大眼睛与长睫毛,生在男孩子的脸上,简直是白糟蹋了。长辈就爱问他:“你把眼睫毛借我好不好?明天就还你。”然而他总是一口回绝了。有一次,大家说起某人的太太真漂亮,他问道:“有我好看么?”大家常常取笑他的虚荣心。
  
他妒忌我画的图,趁没人的时侯拿来撕了或是涂上两道黑杠子。我能够想象他心理上感受的压迫。我比他大一岁,比他会说话,比他身体好,我能吃的他不能吃,我能做的他不能做。
  
一同玩的时侯,总是我出主意。我们是“金家庄”上能征惯战的两员骁将,我叫月红,他叫杏红,我使一口宝剑,他使两只铜锤,还有许许多多虚拟的伙伴。开幕的时候永远是黄昏,金大妈在公众的厨房里咚咚切菜,大家饱餐战饭趁着月色翻过山头去攻打蛮人。路上偶尔杀两头老虎……,劫得老虎蛋,那是巴斗大的锦毛球,剖开来像白煮鸡蛋,可是蛋黄是圆的。我弟弟常常不听我的调派,因而争吵起来,他是“既不能命,又不受令”的,然而他实在是秀美可爱,有时候我也让他编个故事:一个旅行的人为老虎追赶着,赶着,赶着,泼风似的跑,后头呜呜地赶着——没等他说完,我已经笑倒了,在他腮上吻一下,把他当个小玩意。
  
有了后母之后,我住读的时候多,难得回家,也不知道我弟弟过的是何等样的生活。有一次放假,看见他,吃了一惊。他变得高而瘦,穿一件不甚干净的蓝布罩衫,租了许多连环图画来看。我自己那时候正在读穆时英的《南北极》与巴金的《灭亡》,认为他的口胃大有纠正的必要,然而他只晃一晃就不见了。大家纷纷告诉我他的劣迹:逃学、忤逆、没志气。我比谁都气愤,附和着众人,如此激烈地诋毁他,他们反而倒过来劝我了。
  
后来在饭桌上,为了一点小事,我父亲打了他一个嘴巴子。我大大地一震,把饭碗挡住了脸,眼泪往下直淌。我后母笑了起来道:“咦,你哭什么?又不是说你!你瞧,他没哭,你倒哭了!”我丢下了碗冲到隔壁的浴室里去,闩上了门,无声地抽噎着。我立在镜子前面,看我自己掣动的脸,看着眼泪滔滔流下来,像电影里的特写。我咬着牙说:“我要报仇。有一天我要报仇。”
  
浴室的玻璃窗临着阳台,啪的一声,一只皮球蹦到玻璃上,又弹回去了。我弟弟在阳台上踢球。他已经忘了那回事了。这一类的事,他是惯了的。我没有再哭,只感到一阵寒冷的悲哀。




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 06日 |


「日中同形異義語1500―日本語と中国語の意味をより深く理解するための」
郭 明輝 、谷内 美江子、磯部 祐子
国際語学社 (2011/03)




出版社のサイトより


内容説明
「愛人」は中国だと「妻」の意味。「手紙」は「トイレットペーパー」。では「発毛」は……?現代日本語と常用中国語1500単語超を、①同じ意味②日本語独自の意味③中国語独自の意味の三パターンに分類し、それぞれを詳細かつ丁寧に分析しました。日本語⇔中国語対訳形式なので、中国語学習者はもちろん中国人の日本語学習にも使えます。



「内容説明」にある「愛人」「手紙」「発毛」は分かりやすい掴みですね。
説明だけ見ると入門者向けのように思えますが、上級者にもじゅうぶん使いごたえのある本です。
「①同じ意味②日本語独自の意味③中国語独自の意味の三パターン」にわかれているのが一見ちょっとややこしいようですが、本当に役立ちます。


私が感動した項目


【意見】

(同義)あることについての考え
積極的に意見を交換する/积极交换意见。

(日)自分の考えを述べて人を諌めること。
父に意見されて私は考えを変えた/父亲提出的劝告使我改变了想法。

(中)人やことがらに対しての不満や異議。
市民对物价上涨意见很大/市民の物価上昇に対する不満は大きい。



日本人の中国語学習者は、「ちょっとアドバイスがあるんだけど」というつもりで

“我对你有意见”(君に文句がある)

と言って相手をムッとさせてしまいそうです。
しかもその場で激怒してもらえればまだしも、相手が黙りこんでしまうとお互いに永久に誤解したままってことになるかも。


この例もいいですよ


【運営】

(日)組織や機構などを機能するように動かすこと。
事業の運営/企业的经营

(中)船や列車の運行。
高速铁路已投入运营/高速鉄道はすでに運行を開始した。




鉄道の「運行開始」を“开始运行”で平然と済ませていませんか?(←私)
ちゃんと“投入运营”と言えてますか?(←私)

本当は一つづつ辞書を引いて覚えるべきなんでしょうが、「漢字は同じでも意味が違う」語だけまとまっている本はありがたいですね。


ただ、この本にはちょっと不満があります。
とても丁寧に作られていて、著者の熱意と愛の感じられる良い本なので、出版の経緯をもっとくわしく書いてもらいたかった。まえがき50ページくらいあっても良かったのに。

著者はみなさん富山の方のようなので、きっと富山では優れた中国語教育が行われているんだろうなあと想像しながら読んでいます。


「◯◯日で中国語がペラペラに」とか「聞くだけで中国語をマスター」なんて無責任な中国語学習書が書店にあふれている中、本当に誠実な良い本にめぐりあえてとても嬉しく思いました。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 05日 |
『京劇役者が語る京劇入門』
魯大鳴 (駿河台出版社)


私のような京劇のド素人が読むには面白くて良い入門書でした。
よく知ってる人には物足りないかも。

以前から詳しく知りたいと思っていた(団音と尖音 その2)団音と尖音について説明がありました。



京劇としての特賞

十三轍(十三音韻)は、北京の言語発音に従って、歌や台詞の中にちりばめられた十三種類の音韻です。また、発音が舌尖音系の声母のものを尖音と言い、舌根音(舌面音)系の声母のものを団音と言います。例えば心、酒、先などの声母(中国語の発音字母〔z〕〔c〕〔s〕など)が舌尖音、新、九、肩などの声母(中国語の発音字母〔j〕〔q〕〔x〕など)が舌面音です。
具体的には、「中東(-ong)」「一七(-i)」「言前(-an)」「灰堆(-ei)」「梭波(-o)」「摇条(-ao)」「発花(-a)」「人辰(-en)」「由求(-ou)」「乜斜(-e)」「姑蘇(-u)」「江陽(-ang)」「懐来(-ai)」が十三轍の音韻です。そして、言葉の調子を中国語の声調である四声(陰平、陽平、上、去)でまとめています。

第一章 京劇の歴史 P.28



ここがよく分からなかった。
心、酒、先が〔z〕〔c〕〔s〕と書かれていますが、

現代普通話:
心〔x〕
酒〔j〕
先〔x〕

に対して

京劇の十三轍:
心〔s〕
酒〔z〕
先〔s〕

となるという意味かしら。

確かに広東語だと
心sam1
酒zau2
先sin1

なので納得できなくもないのですが・・・他の読者は分かったのだろうか。
あとの章でもう少し詳しく解説されてます。でもこれも似懂非懂だった。



十三轍は第一章で述べたように、「中東(-ong)」「一七(-i)」「言前(-an)」「灰堆(-ei)」「梭波(-o)」「摇条(-ao)」「発花(-a)」「人辰(-en)」「由求(-ou)」「乜斜(-e)」「姑蘇(-u)」「江陽(-ang)」「懐来(-ai)」の十三の音律を言います。
(略)
『中州音韻』の中に書かれている尖子(舌前音)、団子(舌面音)の基準に従って、京劇の舞台では発音されます。〔z〕〔c〕〔s〕の場合には声母の字を尖字として読みます。例えば「将」は意識して舌の先端を使って〔ziang〕と読みます。〔zh〕〔ch〕〔sh〕〔j〕〔q〕〔x〕の場合は声母の字を団字として読みます。例えば「期」は意識して舌の面を使って〔qi〕と読みます。

第七章 京劇の音楽 P.134



〔zh〕〔ch〕〔sh〕を団子(舌面音)で読むということはそり舌は使わないという解釈なのでしょうか?それとも「意識して舌の面を使って」そり舌にするのか?(難しそう・・・)

京劇って面白そうだなあと思いました。次に中国へ行ったら見てみたい。(と毎回思って毎回見れない)

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 08月 04日 |


《重見.重建》
作者:許芷盈
出版社:三聯(香港)
出版日期:2008年01月26日
語言:繁體中文 ISBN:9789620426759
裝訂:平裝






深水埗の再開発地区、取り壊し予定の建物で暮らす人々を取材した本。

香港好きなら深水埗(サムスイポー)という地名だけで下町の雰囲気が想像できるのでは。
『転がる香港に苔は生えない』(星野 博美)の舞台も深水埗でしたね。金持ちは住んでいない、観光客もあまり来ない、小商いの多い地域というイメージです。

この本に登場するのは老舗の手作り醤油屋さん、ビルの入り口で営業する新聞スタンド、最近めっきり見かけなくなったお祝いの花牌(花飾り)職人など、若者はやりたがらないような仕事を何十年も黙々と続けている人たち。

大陸から来た「自梳女」(一生独身を守ると誓った女性)たちがグループで暮らしている(それもビルの屋上に小屋を立てて)部屋があるんですね。
「自梳女」については映画や小説で見たことしかなく、歴史の彼方の話だと思っていました。彼女たちが今でも香港で暮らしているとは驚きです。


イラストにも写真にも文章にも失われていく香港への愛が感じられる良い本でした。
今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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