<   2010年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧
|
|
2010年 07月 26日 |
日本で出版されてる中国語の文法書って個別の例ごとの解説になってて、総括的なものがないと思ってたのですが、この本はなかなか良さそう。

まだ最後まで読んでませんが、最初のほうの「単語と連語」という部分は、「中国語会話」のクラスなどではあまり説明してもらえない文の成り立ちを詳しく学ぶことができます。

特に「動賓連語」のところは目からウロコが何枚も落ちました。


上に挙げた“住人”(人が住む)と結合関係が同様の動賓連語に“有人”(人がいる)、“来人”(人が来る),“死人”(人が死ぬ)などがある。“救人”(人を救う)、“杀人”(人を殺す)などの例と形式は似ているが、動詞と賓語の結びつき方はまったく異なる。動詞に対して前者の賓語は送り手であり、後者の賓語は受け手である。両者の意味関係を示す外形的な標識はないが、前者の例における動詞は、いずれも存在、出現、消滅を表すものであり、この種の動詞に対しては賓語意味上の主体になることを、一つの文法規則として提示できる。しかし、日本語ならば「人を求める」と読める“求人”が中国語では「人に求める」の意味であり、“求职”(職を求める)とは用法が平行しないのはなぜか。“救人”,“杀人”と“求人”の意味関係を分ける根拠は何か,動賓連語における動詞と賓語の関係には類型化し難い例もある。

Ⅱ単語と連語 23 動賓連語
「中国語わかる文法」
輿水 優, 島田 亜実 (著) 大修館書店


このちょっと前に

動詞と賓語の結びつき方を示す,日本語のいわゆるテニヲハにあたる助詞などはないので,意味関係の類型を把握する必要がある。



とこれまた目からウロコなことが書いてあって。

このあとさらに

上に掲げた“来客人了”(客が来た)の例も出現の表現で,賓語が動詞に対し送り手の関係にある。この文を“客人来了”と主述連語の組み立てに変えても,日本語の訳文ではやはり「客が来た」となって,両者の区別ができない。しかし,中国語では主語の位置に置く人や物は特定される人や物であるのに対し、賓語の位置に置く人や物は特定されない,不特定の人や物である。“客人来了”は話し手と聞き手が事前に来客があることを知っていた場合(既知)であり,“来客人了”は話し手にも聞き手にも不意の来客があった場合(未知)である。このように存在、出現、消滅を表す“現存句”は存在、出現、消滅自体に表現の意図があり,送り手(動作主)は主語の①でなく,賓語の位置に置かれる。


こうやって「動賓連語」のあとで学ぶと「現存句」もちょっとは頭に入りやすいかも。
[PR]
2010年 07月 25日 |
今回陳老師はとってもサラっと説明してらっしゃいましたが、この間違いってかなり厄介ですよね。


今天早上用吸尘器吸地的时候,不小心扭的。
Jīntiān zǎoshang yòng xīchénqì xī dì de shíhou , bù xiǎoxīn niǔ de .

今朝、掃除機で掃除をしていたとき、うっかりとひねってしまいました。
日本語で言う「~する時」「~の時」を中国語に訳す場合、“时”は動詞または形容詞フレーズの後に直接つけ、“时候”は動詞または形容詞フレーズの後に“的”を置いてつける、という違いがあります。意味上の区別はありませんが、“~时”は書き言葉的、“~的时候”は話し言葉的です。



日本語と同じく(というかどんな言語でも)中国語にも書き言葉と話し言葉がありますよね。

私が厄介だと思うのは日本語も中国語も漢字を使うこと、しかしその漢字を使った語彙のレベルが同じでないことです。(ヘンな文章・・・)


今回の例だと

<中国語>
时:書き言葉
时候:話し言葉

<日本語>
時候(じこう):書き言葉
時(とき):話し言葉:

おおむね日本語だと「漢字の数が多い方が書き言葉」、中国語だと「漢字の数が少ない方が書き言葉」になってるようですね。
日本人の感覚だと「时候」を使ったほうが正式な気がするのでヘンな感じ。


そして陳老師の説明にもあるように


意味上の区別はありませんが、“~时”は書き言葉的、“~的时候”は話し言葉的です。


この意味に区別がないっていうのが困っちゃうのよー。明らかに違う意味ならまだしも、書き言葉か話し言葉かの違いのだと、どっちを選択すべきか迷う。

たとえば上司に遅刻の言い訳をするときは

今天早上用吸尘器吸地时,不小心扭的。
今天早上用吸尘器吸地的时候,不小心扭的。

どっちを使うべきなのか?裁判で製品(掃除機)の不具合を争う場合は?

そして


“时”は動詞または形容詞フレーズの後に直接つけ、“时候”は動詞または形容詞フレーズの後に“的”を置いてつける、という違いがあります。


これも困る。“的”をつけていいのかどうかの明確な規定ってたぶんないですよね。「時」は一文字だから“的”をつけないのかなと思ったら、そのあとの練習問題で「以前的事,我全都忘了」みたいなフレーズがあって混乱。

こういうつなぎ方を決定するのって語感?っていうの?フィーリング?孔子がそう言ったから?
全部介詞なしで成語みたいにドンドンつないじゃっていいのか、やっぱりどっかに“的”とか“之”とかつけんのかねコレ?と迷います。

こういう疑問が毎日無限に湧いてくるんですけど・・・みなさんはどうですか?


いまちょうど銭鐘書の「囲城」を読み始めたところなんですが、主人公が父親(科挙に合格したインテリ)に書く手紙が文語なんですね。家庭の状況を報告するだけなのに「之乎者也」・・・orz
中国語の広さと深さに溺死しかけです。


7/26追記:

「中国語わかる文法」にこんなのがあったので書いておきます。

「接続成分が必要な連帯修飾語〔定語〕」のところに

「中国語の場合、「形容詞+名詞」で熟語化していなければ、すべて中間に“的”が必要である。朱徳熙は、この点について(略)熟語か否かは外国人には判定しにくいといっている。(略)
やはり熟語化の有無、音節数の制約なども関わりがあり(以下略)」

とあり、
「接続成分が不要な連帯修飾語〔定語〕」のところには

「この文法項目だけではないが、中国語の文法規則は、概して強制的、普遍的ではなく、例えば接続成分“的”が必要か不要か、とすべて明確には分けられず、あってもなくてもよい、という場合が少なくない。」

とこれまた目からウロコなことが。


7/26さらに追記:

吕叔湘は<现代汉语单双音节问题初探>において、中国語では連語を組み立てる場合、音節数が語句の安定性に関与することを多くの用例で明らかにしているが、その中で“的” が音節数の調整に関わる事実を述べている。例えば、2音節語同士を結ぶ場合「名詞+名詞」の例で“塑料鞋底”は連語であるはずだが、“的” で修飾語を結ばず、また「形容詞+名詞」で“详细(的)计划” は同様に連語であるはずだが、“的” を使うことも使わないこともあり、一方、同じ形容詞“详细”でも1音節の名詞に結ぶ場合は“详细的图”のように必ず“的” を使うという。この他にも規則性が見出しにくい面があることを実証的に指摘している。

Ⅴ.品詞 225構造助詞“的”
「中国語わかる文法」


前回エントリー
“接到您的电话就我们两个人来了。”はヘン?(まいにち中国語応用編 第29課)
[PR]
2010年 07月 21日 |
今日のポイントは副詞「就」の位置ですね。



接到您的电话我们两个人就来了。

Jiēdào nín de diànhuà wǒmen liǎng ge rén jiù lái le .
あなたのお電話を受けて、私たち2人はすぐに来ました。

“就” のような副詞は、基本的に動詞や形容詞などの前に置きます。ただし、一部の副詞は数量フレーズの前に置くこともでき、“就”もその一つです。“就”はこのフレーズのように動詞の前に置くと「~するとすぐ」という意味になりますが、もし数量フレーズ“我们两个人”の前に置くと「私たち2人だけが」という意味になってしまいます。



「中国語文法用例辞典」の「就」の項目を見ると

【副詞】
①短時間で発生することを表す。
(a)就+動
我就去(私はすぐ行きます)

⑤範囲を確定する:ただ・・・だけ。
就〔+有〕+名
老俩口就〔有〕一个儿子(老夫婦には息子が一人いるだけだ)


語順が違うだけで意味が変わっちゃうんだなあ・・・いつになったらすべての副詞の語順を覚えられる日が来るのだろうか。


しかしこの「就+名」で「ただ・・・だけ」というのは日本人には使いにくいですね。作文とかでじーーーっくり考えれば思いつくかも知れないけど、普段の会話ではとても出てきません。


ところで常々疑問に思っているのですが、日本語のあまり上手でない中国人が

「これは安いです。1000円だけね。」

と(日本語で)言う時、彼らの頭の中に浮かんでいる中文はどのようなものなのでしょうか?

  才1000日元

なのか

  就1000日元

はたまた

  只有1000日元

なのか、それともまったく違う文章なのか?
「ごめん今のもう一回中国語で言って」と襟首をつかんで聞きなおしたいのですが、それも失礼かと思って出来ません・・・



前回エントリー
「対牛弾琴」(まいにち中国語応用編 第15課) 
[PR]
2010年 07月 10日 |
今期の応用編は、おそらく陳淑梅老師が長年日本人を教えてらっしゃった中で出あった「見るに見かねる間違い」の集大成になっているのでしょう。

それだけに日本人には耳の痛い内容。しかしあまりに初級すぎる間違いの指摘は、ある程度のレベルの学習者にはかえって混乱のもとになるのでは。
できれば「すごく初級の間違い」「中級にもある間違い」「上級でもまだやっちゃう間違い」に分けて説明してもらえるとありがたい(俺要求真多)。


今回の間違いは「昨天夜里十二点半家里回来了我爸爸。」
正しい文章は「我爸爸昨天夜里十二点半才回来。」

先にテキストだけ読んだ段階では時間詞の語順の間違いかと思ってたのですが、メインは存現文の説明でした。


我爸爸昨天夜里十二点半才回来。
Wǒ bàba zuótiān yèli shí'èr diǎn bàn cái huílai .


昨日の夜、父は12時半ごろになって帰ってきました。
中国語には存在、出現、消失を表す「存現文」という構文がありますが、存現文は未知もしくは不定の人やモノについてしか使えません。“我爸爸”は既知の人なので、「時間/場所+動詞+人/モノ」という存現文の語順ではなく、このフレーズのような語順で言わなければなりません。

まいにち中国語【応用編】
2010年07月02日
講師:陳淑梅



これは・・・15分で説明するのはちょっと難しい問題なのでは。
スキットとか日本語訳とか要らないので、文法解説だけみっちりやってもらえないだろうか。1時間枠に拡大を希望。


ここで存現文の例として

从屋里走出来了一个人


というのが出てくるのですが、練習リハビリには


房间里走出来了三个人。


という例文も。

“从”は要るのか要らないのか、どっちでもいいのか?それはなぜ???


《实用现代汉语语法(增订本)》 の「存現句」の項目にはこんなふうに説明がありました。この本では「存在句」と「表示人或事物出现、消失的句子」に分けて説明されてるのですが、まず「存在句」。



一、存在句

在汉语里,当要说明某个处所存在着什么人或事物时,一般采用下列句式:
处所词语+动词+名词(表示存在的事物)
例如:

1 桌子上有一本书。
2 桌子上是一本书。
3 桌子上放着一本书。

也就是说,在表达此类意思时,说汉语的人总是把处所词语放在句子的开头(不用"在"、"从"等介词),而表示存在的事物的名词放在谓语动词后。


《实用现代汉语语法(增订本)》
第五节 存现句
一、存在句



あらためて説明を読むとなるほどーと思います。
そのあとの語法特点の部分に


存在句句首的处所词语是不可缺少的,他正是被描写的对象。



というのも思わずヒザを叩きたくなる指摘でした。
次に「表示人或事物出现、消失的句子」


二、表示人或事物出现、消失的句子

表示出现或消失的句子,有人叫"隐现句"。在此类句子中,表示出现的句子更常用。

在汉语里,当要叙述某个处所或某一时间有什么人或事物出现或消失的时候,一般用下列句式表达:
处所词语(时间词语)+动词+名词(表示出现或消失的事物)
例如:
1 前面来了一个人。
2 昨天发生了一件大事。
3 邻居家死了一只猫。

与存在句相比,表示出现、消失的句子,句首常常有或可以加上时间词语,而存在句,除了表示动态的以外(如"这时天空盘旋着几架飞机"),多不包含时间词语。
与存在句一样,位于句首的表示处所、时间的词语一般也不加介词"在"、"从"等。

《实用现代汉语语法(增订本)》
第五节 存现句
二、表示人或事物出现、消失的句子



一般には介詞の"在"、"从"はつけないという結論がわかって満足しました。



存現文とは関係ないのですが

来了一个人
だと
人が一人来た

なのに

一个人来了
だと
一人で来た

になっちゃうことに(いまさら)気づいて語順って厄介だ・・・と思いました。




前回エントリー
“请写黑板好吗?”はヘン? (まいにち中国語応用編 第19課)
[PR]
2010年 07月 01日 |
「黒板に書いてください」と言いたいのに“请写黑板好吗?”と言ってしまったんですね。
“在”がぬけてます。

しかし今回のキモはここではないと思いました。
“在”を忘れるのは初級の間違いですが、“黑板”のあとの“上”は中級以上でもけっこう忘れてしまいませんか?(私は忘れる)


ネットでの説明



请写在黑板上好吗?

Qǐng xiězài hēibǎnshang hǎo ma ?

黒板に書いてもらえますか。
動作・行為が行われ、最終的に落ち着く場所や方向・位置を表す場合、動詞の前に前置詞“在”をつけます。また、“在”の後に来る場所を表す名詞には、“上/下”、“里/外”など方位・方向を表す言葉をつけなければなりません。



テキストの説明には

ここで注意してほしいのは、“在”の後に来る場所を表す名詞には“上/下”、“里/外”など方位・方向を表す言葉をつけなければならないことです。

坐在椅子上
埋在地下
放在抽屉里
站在门外



"るもんが" の外国語学習日記さんの中国語の方位詞について3つの分類(6月11日)にもありましたが、これは文法教学のカリキュラムにもちょっと問題があると思うんです。

“在”を使う例文で最初に習うのは

A:你住在哪里?
B:我住在东京。

とかではないでしょうか。
これは“在”の位置こそ前にありますが、日本語の「どこに」「東京に」の「~に」に1対1で対応してるので、日本人でも理解は難しくないと思います。

これで“在”はマスターしたと思っていたら、ある日何の説明もなく“坐在椅子上”というのが登場するようになってて、でももう中級なんだから“在・・・上”は分かってて当然よね、という雰囲気なことないですか?(←こんな説明・・・orz)*

でもこの“在・・・上”って日本語と1対1で対応してないんですよね。
そりゃ無理に「椅子の上に座る」と言うこともできますが、普通日本語だと「椅子に座る」ですよね。「地面に埋める」と言っても「地面の下に埋める」とは考えないのではないでしょうか。

日本語だと「~に」だけで済むのに、中国語だと“在”と“上”と両方必要になるというのがなかなか(頭では分かっても)カラダで納得できない。


挂在墙上
放在书架上

などになるとさらに納得できない感がつのってしまう。「壁の上に掛ける」って当たり前でしょう壁の内側に掛けたら忍者屋敷だよ。「本棚の上に置く」って家具の天板の上に乗せるの?ヘソクリ?と違和感がわきあがってくるの。

日本人と中国人って空間のとらえかたにかなり違いがあると思うのですが、そういう日本人にはない感覚をどうやって身につけるか、文法教学はそのための手助けをするツールであってほしいと思います。


“在”には中国語の「世界観」みたいなのが凝縮されてる気がするので、「どうして中国人には世界がそう見えるのか」という点からの説明もほしい。
そのうち“在”をつけられない文章なんてのにもぶつかるわけですし。


外边有很多树。

とかね。



*ちょうど同じ6月号テキストの入門編第5課「图书馆在哪儿?」に“在”が出てきてました。学習者が怖がって逃げないように簡単にしてあるのでしょうが、読んでみてもやはり文法説明が足りない気がします。




前回エントリー
“写俳句是真难的事情”はヘン? (まいにち中国語応用編 第14課)



アタシ細かいこと気にしすぎですね。
でも中国語を勉強してると常にものすご~~~く違和感を感じるんです。
「どーして中国人はこんなふうに考えるんだろう」とそればっかり気になってしまう。何年もモヤモヤしてることがいっぱいあります。
[PR]