カテゴリ:■評論・評伝( 74 )
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2012年 01月 27日 |
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词家有道:香港16词人访谈录
黄志华, 朱耀伟), 梁伟诗
广西师范大学出版社; 第1版 (2010年10月1日)




香港の作詞家16人のインタビュー集。

このところほとんど広東ポップスを聴いてないわたしが言える立場ではないのですが、このままでは香港歌謡界は衰退してしまうのでは?という業界の危機感と焦燥感が感じられる本です。

「広東語のポップスに将来はあるのか?今後どうするべきか」「香港の作詞家は林夕と黄偉文の二人しかいない状況をどう考えるか」という質問を複数の作詞家に投げかけています。


この本を読むまで知らなかったのですが林夕の本名は梁偉文なんですね。それで「二人の偉文で600万人の歌詞を書いてる」と言われてるそうです。
黄偉文は最近は新しい作詞家も出てきてると楽観的な見方をしていますが・・・


もうひとつ何度も出てきてたのが「台湾の方文山の中国風をどう思うか」という質問。
作詞家業界にとってはやはり衝撃的なことだったんでしょうか。
(業界の人たちはあんまり評価してないっぽい印象を受けましたが。負け惜しみか?)


「影響を受けた作家は?」という質問に唐詩や宋詞を挙げてた作詞家が多かったのも印象的でした。
日本のポップスの作詞家で「古今和歌集に影響を受けた」って人はあまりいないと思う。
古典詩の中国人に対する影響は大きいのですね。

現代詩の詩人に影響を受けてるという答えもあったのですが、張愛玲の小説という答えも複数あって香港人って本当に張愛玲好きなんだなーと感心しました。


知らない曲で面白そうな歌詞がたくさん紹介されてました。
香港ポップスには頑張ってもらいたいので私もちゃんと聴いてみようと思います。


広東語だけで書かれてる歌詞ってあまりないのですが、黄偉文作詞の「你唔愛我啦」は本当に普通の香港の女の子の喋り方で可愛い。
你唔愛我啦 with Cantonese Romanization/Cantonese Pinyin



音が悪くて聞きづらいのですが、広東歌を歌えなくなるのではと心配するイーソン・チャンのインタビュー
陳奕迅擔心冇得唱廣東歌


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 01月 21日 |
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「壁と卵」の現代中国論: リスク社会化する超大国とどう向き合うか
梶谷 懐(人文書院)


すごく面白い本でした。
著者は経済が専門なので、政治面だけでなく経済面から中国を見る方法をいろいろ教えてくれます。




中国産野菜の品質と価格について考えさせられる部分。


問題は、(略)消費者に「安さ」しか求められない、という日本における中国産食品の位置づけが、当初とまったく変わらなかった点にある。
(略)
もちろん、日本に輸出される食糧は〔中国〕国内で販売されるものとは比較にならない厳しい検査を受けており、検査に引っかかる輸入食品全体の平均よりも明らかに低いことが厚生省による「輸入食品監視統計」の数字からも裏付けられる。しかし、現在では中国産食品の「安さ」こそがすっかり「危険さ」のスティグマとなってしまったことは否定できない。

第1章 自己実現的な制度と私たちの生活



「輸入食品監視統計」なんて初めて見ました。※
確かに2008年の資料では平均の違反率0.59%に対して中国産の違反率は0.29。エクアドルの違反率なんて20.53%なので、この統計によれば中国の食品のほうがエクアドルの100倍も安全。

しかし、「安いから中国産野菜を買」っていた消費者が、「中国産野菜が安いのは品質が悪いせいでは?」と買わなくなり、「中国産野菜は安いから売れない」ので悪質な業者が「中国産野菜に国産の偽装ラベルをつけて高く売る」(または「質の悪い国産品に中国産のラベルをつけて安く売る」)という偽装事件が起こるようになったというのが目からウロコでした。

消費者が情緒に流されて合理的でない行動をとると、結局損をするのは消費者ってことですね。


「統治の倫理」と「市場の倫理」の矛盾、対立についての章がとくに興味深く、政治と経済の両輪をバランスよく走らせる難しさがよく分かります。


また、このように考えるならば、尖閣諸島における事件以降混迷を極める日中関係に関して、日本人の立場からどのように考えていけばよいのか、おのずからその方向性が見えてくるのではないだろうか。この点に関して問題なのは、事件後の日本のマスコミやインターネットの論調を見る限り、中国に対して「取引を避けよ」「勇敢であれ」「復讐せよ」「排他的であれ」「剛毅たれ」「名誉を尊べ」といった、まるで「統治の倫理」から抜き出してきたような、いわば「武士と軍人の言葉」ばかりが飛び交っているように思えることである。
しかし、やはりそれでは問題の根本的な解決はもたらされないだろう。現代の日本および中国に生きる人のほとんどは政治家でも軍人でもなく、市場での自発的な取引を通じて生計を立てている「商人」に他ならないからである。その意味で、「市場の倫理」への配慮を欠いた強攻策によって一般の人々が得るものはほとんどない、といってよい。

第7章 分裂する「民主」と「ビジネス」



参考文献にあげられている本もどれも面白そう。


※H21年度についてはネットでも閲覧できます。
平成21年度輸入食品監視統計(平成 22年8月厚生労働省医薬食品局食品安全部)
http://www.mhlw.go.jp/topics/yunyu/dl/07toukei.pdf

しかしものすごく見にくい・・・
特定の国の輸入食品の安全性についての統計は載ってなくて、最初の概要に


5 . 生産・製造国別届出・検査・違反状況(表5,図4)
国(地域を含む)別の届出件数をみると、中国の539,069件(29.6%:総届出件数に対する割合)が最も多く、次いでアメリカの198,297件 (10.9%)、フランス16 6, 894件(9.2% )、タイ 139,896 件(7.7% )、韓国 122,671件(6.7%)、イタリア78, 252件(43% )の順であった。
また、違反状況をみると、中国の387 件(24.8%:総違反件数に対する割合)が 最も多く、次いでアメリカの187件 (12.0%) 、ガーナ182件(11.7 %)、タイ118 件(7.6% )、ベトナム 83 件(5.3% )の順であった。


一見やっぱり中国産の食品は危険!?と思ってしまいますが、よく読むと「総違反件数に対する割合」が一番高い(件数が多い)のは、届出件数が一番多いからで、そりゃ当然なんじゃ・・・???という気もしますが・・・
なんか消費者をわざと混乱させるような書き方だな・・・

中国は届出件数29.6%で、総違反件数に対する割合が24.8%
アメリカは届出件数10.9%で、総違反件数に対する割合が12.0%

こうやって見ればアメリカの食品のほうが危険ってことになるのでは?
ガーナなんて届出件数はベスト5にも入ってないのに、総違反件数に対する割合は第三位ってかなり危険なのでは・・・

消費者が一番知りたい「どの国の食品が安全でないのか」は自分で数字を拾って再計算してみるしかないようです。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 01月 15日 |
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我的靈魂騎在紙背上-三毛的書信札與私相簿
作者:三毛
出版社:皇冠




遠藤 光暁先生の「中国語のエッセンス」に毎日1~2時間音読をしていたと書かれてたので、マネをして今年は音読学習法をやってます。

とはいえ《唐詩三百首》は長期的見ればに中国語のリズム感を養うのには役立つのでしょうが、即効性はないし、読んでても意味が分かんないので時々徒労感に襲われます。
音読はやはり現代の文章のほうが楽しいし続けられそう。


数年前にどうしても三毛を読まないと!という衝動にかられて何冊か買いこんであったので、まだ読んでない《我的靈魂騎在紙背上-三毛的書信札與私相簿》を教材に音読してみました。

この本を選んだ理由は

・字が大きい
・本が薄い
・家族あての書簡集なので難しい単語が出てこない
・手紙なので語りかけるように朗読する練習ができる


一日一時間はちょっと無理なので、一日15分程度音読して半月ほどで読了。

音読は時間がかかって面倒な気がしますが、実際にはスピードは黙読とあまり変わらないような気がします。
声を出しているかぎり絶対に前に進むので、あらぬことを考えて目が泳いでちっとも先に進まない黙読より建設的な読み方かもしれません。


三毛の作品は「サハラ物語」だけしか翻訳されてないようですが、ぜひ日本語でも読めるようになってほしい作家です(まだ何冊も積読のままだし・・・)


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 01月 12日 |
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「漢文と東アジア――訓読の文化圏」
金 文京(岩波新書)



内容紹介
漢文の訓読は従来日本独自のものと思われてきたが、近年、朝鮮、ウイグル、契丹など中国周辺の民族の言語や中国語自体の中にも同様の現象があったことが明らかになってきた。仏教の漢訳の過程にヒントを得て生まれた訓読の歴史を知ることが東アジアの文化理解に必要であることを述べ、漢文文化圏という概念を提唱する。


この本は他の漢文の本と違い、現代中国語や韓国語学習者にも役に立つことがいろいろ書いてある本なので普通の人にも面白いと思います。(べつに漢文の本が役に立たないって意味じゃなくて~汗)

「はじめに」の駅の「改札口」の中国語表記と韓国語表記の話題が面白く、「개찰구」なんて日本語の漢字をハングル読みにしただけで大丈夫なのか・・・というこれまでの心配が杞憂だったと分かりました。

朝鮮語の「千字文」の読み方も興味深く

하늘天(천) 따地(지) 검을玄(현) 누를黄(황)・・・


ってなってるそうです。これだとハヌル=天と分かって覚えやすい気がする。 しかも天の読み方(천)も覚えられるし。

そして、「中国にもある訓読現象」って章がいいんですよ!

中国語はなるほど太宰春台が述べるように、日本語など周辺地域の言語と語順が逆の言葉であるが、厳密に言えば、それは古代の中国語であって、近世以降の中国語、特に現在、標準語となっている北京語など北方の言語は必ずしもそうではない。古代中国語と周辺言語の語順の顛倒は、おもに動詞と目的語の関係についてであり、古代中国語では動詞+目的語の語順が原則であったが、近世以降の中国語では動詞が後置される傾向にある。


例が出てます。サンプルは「三国志」の原文と現代語訳。さすが金 文京先生。

三顧臣於草廬之中。(三たび臣を草廬の中に顧みる)
三次到茅廬中去,訪問臣。(三たび茅廬の中に行って、臣を訪ねた)

この場合、原文の「顧」は、「行って、訪ねた」と分けて訳されているが、うち「行く」に相当する部分は「到」と「去」で「茅廬中」の前後に置かれている。ただし「到」はもと動詞であるが、すでに動詞の機能は失い、英語の「to」と同じような前置詞とみなされる。すなわち「茅廬中へ」の「へ」に相当し、真の動詞である「去」は後置されている。



そう言われればそうですね。

普通話で
我去中国。

我到中国去。
の2種類の言い方がある理由をこれまで説明してもらったことがありません。

この本で初めて理由を教えてもらいました。

これらの例から、現代中国語では動詞が前置される場合と後置される場合があることがわかるであろう。また形容詞の比較級の場合、古文では形容詞の前置、後置どちらの言い方もあるが、現代語では原則として後置される。現代語と古代語で、このような語順のちがいが生じたのはなぜであろうか。

それにはさまざまな理由が考えられるが、もっとも重要なのは、北方遊牧民族のアルタイ語系言語の干渉であったと思える。
(略)
その結果、もともと口語とは乖離したところで成立した文言文としての漢文と口語の距離は、時代とともにますます広がり、のち口語にもとづく白話文が生まれると、同じ中国に二種類の構造の異なる文体が存在することになった。古代語の語法は、広東語など南方の方言には残っているが、しかし近代になって標準語とされたのは、遊牧民の影響がもっとも顕著な首都、北京の言葉であり、その北京語にもとづく口語文が正式の文体とされた。



中国語を教わるときにはどうして中国語の歴史的変化は教えてもらえないんでしょうね。
英語だったら素人でも英語の変遷について書いた本はいくらでも手に入れられるのに、中国語になると「普通話は完全無欠の姿で生まれてきた」ような教え方になるのはなぜ!?(プチ八つ当たり)


それで思ったんですが、

*我打電話給他。
(→我給他打電話。)

*我回去日本。
(→我回日本去。)

も、普通話ではNG(南方ではOK)とされているけど、動詞が前置されてるので実は正統な用法なのでは?
(思っただけです)


良い本だった。漢文読者だけに読ませるのは惜しいので、みなさんもぜひどうぞ。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2011年 11月 09日 |
「中国の食卓―茶余閑話」
筧 久美子 筑摩書房 (1993/09)

内容(「BOOK」データベースより)
油条、髪菜、面筋、話梅、羅漢果、銀耳…。中国のことなら何でも知りたい著者が、見てびっくり、食べてびっくりの中国の食物に挑戦する。それらを通して、庶民の暮し、文化や政治までもが見えてくる。


出版は1993年ですが、題材は著者が中国に滞在していた文革初期から改革開放のころの経験がもとになっています。そのため今では日本でも珍しくなくなった食材もあれば、もう中国でも食べないような食品もあります。

中国グルメについて最新情報や珍料理の載ってる本はほかにもたくさんあると思います。
この本が貴重なのは食べ物の話ではなく、登場する日本人と中国人がお互いに敬意と情愛を持って暖かく接しているところです。

いまの日中の状況ではここまで愛のあふれる本を出版するのは難しいのでは。(日中どっちでも)
改革開放前って日中友好の面では良い時代だったんだなあと思わされます。


あ、紹介文に「面筋」が。思い起こせばこの本で初めて眼にした言葉だったかも。
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2011年 10月 04日 |
「コーチングの神様が教える「できる人」の法則 」
マーシャル・ゴールドスミス(日本経済新聞出版社)

みなさん自己啓発本は好きですか?私は大好き。ときどき憑りつかれたようにむさぼり読みます。
この本は自分の「絶対読みたい本リスト」の上の方にあったので図書館で借りました。

一読してすぐ思ったのが


「・・・これもう2~3回読んだ・・・orz」


読むたびに「すごい本だな!絶対覚えておいて仕事に生かさなくちゃ!!」と思ったことも思い出しました。(つまりその都度忘れている)
今回再読してみてやっぱりすごい本でもう絶対忘れないようにしたいのでメモしておきます。


最初のほうの「20の悪い癖」という部分がこの本のキモですね。何度読んでも冷や汗が背中に流れます、え、これ全部アタシのことですか?

左に挙げたリストは、対人関係の行動、とくにリーダーシップの行動にかかわる問題点だ。不必要に職場を著しく不愉快な場所にしてしまう。日々の許しがたい、いやな行動だ。それは一人でいるときには起こらない。一人の人が他の人に対して何かをするときに出てくる「悪い癖」だ。それらを挙げると以下のようになる。

1.極度の負けず嫌い。何を犠牲にしても、どんな状況でも、まったく重要でない場合でも、勝ちたいと思う気持ち。
2.何かひとこと価値をつけ加えようとする。どんなことにでもちょっと口出ししたいという強い欲望。
3.善し悪しの判断をくだす。他人を評価して、自分の基準を他人に押しつけようとする気持ち。
4.人を傷つける破壊的コメントをする。不要な皮肉や痛烈なコメントをする。そうすれば自分が切れ者で機知のある人に見えると思う。
5.「いや」「しかし」「でも」で文章を始める。これらの否定的・限定的な言葉を使いすぎる。ひそかに「私が正しいんだ。あなたは間違っている」と言っているようなものだ。
6.自分がいかに賢いかを話す。他人が考える以上に私は賢いんだと見せたい欲望。
7.腹を立てているときに話す。感情的な興奮を経営ツールとして利用する。
8.否定、もしくは「うまくいくわけないよ。その理由はね」と言う。頼まれもしないのに否定的な考え方を他人に吹きこもうとする。
9.情報を教えない。優位な立場を保つために、情報を他人と共有しようとしない。
10.きちんと他人を認めない。賞賛し報奨を与えることができない。
11.他人の手柄を横どりする。成功に対する自分の貢献度を過大評価するいちばんいやな手口。
12.言い訳をする。不愉快な行動を、変えることのできない生まれつきのものとして片づけ、他人がしかたないと思うようにさせる。
13.過去にしがみつく。自分の責任を過去の出来事や人のせいにする。自分以外の人すべてのせいにすることの一角。
14.えこひいきする。誰かを不公平に扱っていることに気づかない。
15.すまなかったという気持ちを表さない。自分の行動に責任をとらない。間違いを認めない。自分の行動が他人にどう影響したかを認めることができない。
16.人の話を聞かない。職場の人に対して敬意を払わない。もっとも受動攻撃的な形。
17.感謝の気持ちを表さない。非常に基本的な悪いマナー。
18.八つ当たりする。たんに手助けしようとする罪のない人を攻撃したいという誤った欲望。
19.責任回避する。自分以外の人みんなを責める。
20.「私はこうなんだ」と言いすぎる。自分の欠点をまるで長所のようにほめそやす。それが自分なんだと主張する。




この20の欠点のところだけ読むと説教されてるような気分になっちゃいますが、そのあとの一つ一つの説明にユーモアがあるので楽しく読めます。

深刻なんだけど笑ってしまうのが「13.過去にしがみつく」

過去にしがみついて「治療」することを私はあまり認めない。過去にさかのぼることは変化させることにはならない。理解するだけのことだ。
私がこの仕事を初めて間もないころ、「マーシャル、君はわかっていない。なぜ、私がこういう問題を抱えているのか説明しよう。私の父と母のことを説明しよう」と何時間も話す顧客がいた。それは耐えられないほど長い愚痴だった。とうとう私はポケットに手を突っ込み、25セント硬貨を出して「はい、どうぞ。これで誰か話を聞いてくれる人に電話をしてください」と言った。



それから「20.「私はこうなんだ」と言いすぎる」
他人を褒めることのできないトップとの会話がおかしいの。

私は彼に尋ねた。「なぜこういう姿〔部下を褒める〕もまたあなたらしい側面であってはいけないのですか?そうすることは不道徳なことですか?違法なこと、倫理に反することですか」
「いいや」
「そうすれば人はいい気分になるでしょうか」
「ああ」
「正当に評価してあげれば部下はもっと成績をあげるでしょうか?」
「かもしれない」
「そうすればあなたのキャリアのプラスになりますか」
「たぶん」
「ではなぜそうしないのですか」
「なぜなら」彼は笑った。「私らしくないから」
この瞬間、彼の代わる可能性が見えた。自分自身の定義にきっちり忠実であることは、意味のないくだらないことだと、彼は気づいた。



あ、そうだ。最初のほうにすごく良いことが書いてあったので忘れないように引用して終わります。

もし、あなたが変りたいと思っているのなら、まず、行動をポジティブあるいはネガティブに表現するのを一切やめてしまおう。行動は単純に悪いこと、よいことに分けられるものばかりではない。たんに「ニュートラル」、中立的なこともある。よくも悪くもない状態だ。
たとえば、あなたはいい人だと思われていないとしよう。そのイメージを変えたいと考え、「もっといい人になろう」と決意する。
そこで、あなたは何をするか?
たいていの人は、気の遠くなるような作業にとりかかるだろう。ポジティブな行動を書きだして、長いリストを作成するのだ。(略)
さいわい、「もっといい人になる」目標を達成するにはもっと簡単な方法がある。やるべきことはただ一つ、「いやなヤツであることをやめる」ことだ。
(略)
あなたがしなければならないことは・・・何もしないことだ。


私がやらなければならないことは、相手が喋ってるあいだ静かに聴いていて、話が終わったら「ありがとう」という。
愚痴や泣き言や皮肉が出そうなときは口を閉じる。
「でも」とか「だって」とか「性格は変えられないし」とか「子どものころ病弱でママが甘やかしすぎたから」と言いそうになったら黙る。とくにママのせいにしてはいけない。
これだけですね。簡単簡単。


また忘れるのかな?
忘れても忘れたことを忘れてまた読むから大丈夫!

いつもありがとうございます

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2011年 09月 29日 |
「フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略」
クリス・アンダーソン(日本放送出版協会)

いまの「無料」が昔の「無料」とどう違うのかすごく勉強になる本です。
中国のコピー商品についてこんな記載がありました。


不正コピーは事実上、中国のすべての産業に及んでいる。それにはこの国の発展状況や法制度も関係しているし、さらに儒教では、他人の作品をまねることは敬意の表明であり、教育の基本になるという知的財産に対する考え方がある(アメリカで学ぶ中国人留学生に模倣の何が悪いのかを説明するのに苦労することは多い。師のまねをすることは、中国では学ぶことの中心にあるからだ)。



そういう考え方もありか(笑

中国で最近感じるのは、もはやドラマの制作費をDVDの販売で回収しようとしてないんだろうなってことです。
テレビ放送とほぼ同時に公式サイトでダウンロードできるようになってるし、著作権をクリアした動画のみアップ(と謳っている)動画サイトも出て来ました。

人手と資金を使ってDVDを製作して販売してもすぐニセモノが出回ってしまうので、いっそネットで無料公開して広告収入を得るほうが取りはぐれがないという考え方なんでしょうか。

こういう割り切り方は中国らしいと思います。
日本だといろいろ反論が出て踏み切れなさそう。

いつもありがとうございます

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2011年 07月 28日 |
d0127061_2205154.jpg早速買いました。
お知らせくださった皆様ありがとうございました。

「漢文訓読入門」
古田島洋介・湯城吉信


明治書院のサイトより転載

(内容紹介)
大学入試に「漢文」を課さない大学が増え、授業で「漢文」に十分、時間を割けない高校も多い。いきおい、先人が発明した貴重な文化遺産である「漢文訓読」の伝統が失われようとしている。漢字・漢文脈は日本語の骨格をなしており、「漢文訓読」を学ぶことは日本語を理解することでもある。高校の漢文を復習し、大学の専門課程へと橋渡しする、高校生・大学生向けの「漢文訓読」の初歩の初歩のテキストとして本書は編集された。全30講。用例には現代語訳を付し、適宜・確認用の練習問題(解答・解説)を設けた。



漢文の訓読を学ぶ人には非常に良い本だと思います。内容紹介にもあるように、このままでは日本の伝統文化「漢文訓読」は失われてしまう!という危機感にみちた本です。

とくに送り仮名のつけかたが詳しく、日本語の古文の活用も学べます。
ハングルやベトナム語も援用して説明してあるので、いろいろ比較できて楽しい。

「漢和辞典と参考書」の章には現代中国語に通じている人のための参考書などもあってとても便利。
ただ、中国語の辞書を読める人はたぶん訓読で読まないだろうと思いました。中国語で読むほうがラクだ。
(でもこの参考書の部分はきっと私のために書いてくださったと思ってとても感謝しています)


読んでいるうちにウィリアム ソウルゼンバーグの「捕食者なき世界」とか思い出しちゃった。
とても良い本で本当に力作なのですが、それだけに失われゆく伝統文化を守る職人さんが「この仕事も跡継ぎがいなくてねえ・・・私の代で廃業ですよ」と寂しそうに語るのを見てるような気分になってきました。漢文の先生って大変なんですね・・・

NHKのラジオ講座ですら「即戦力のビジネス中国語」などに走ってしまう昨今、漢文訓読の明日はどっちだ!


いつもありがとうございます

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2011年 06月 27日 |
「復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録」を読んでたら何だか辛くなってきたので、「私の日本語雑記」を先に読みました。こっちは気軽に読めて楽しい。

d0127061_195340100.jpg私の日本語雑記
中井 久夫
岩波書店




中井先生の本はどのジャンルを読んでも得るところが多い。

日本の翻訳文体について


「英文解釈法」という日本独特の方法は最近まで基本的な英語解釈読解法であったが、元祖はペリーのもたらした日米間の条約の解釈であるという。公使ハリスが条約の違反に抗議してきた時、達意の日本文だった日本語版の条約文では、ハリス指摘の箇所がどこかわからない。幕府は通辞に命じて、いかに滑稽に聞こえてもよいから一語一語を逐語訳せよとした。「~するところの」式の翻訳文はこうして生まれた。この文体は不平等条約の傷痕である。

6 生き残る言語



日本人が必死に外国文化を取り込もうとした結果があの文体なのですね。
中国語についても面白いことがいろいろ書いてあった。


中国語は古代から孤立語だった。しかし元来はどうか。格助詞のような文法的小道具があったが、布の貴重さ、竹に彫る手数の故に省かれ、ついで失われたという推測を聞いた。
かりにそうだとしても、それとは別に、西から来た少数の周人が平原に住む多数の殷人を征服したようなことは繰り返し起こったにちがいない。「歳」と「年」など、同じ意味なのに二種類ある文字は、一方が多数被征服者である殷人の、他方が少数支配者である周人の字であると教わった。

6 生き残る言語



数千年前にすでに異文化(っていうのか?)の言語が混ざってるのでは、現代中国語がごちゃまぜ感ありなのも仕方がないですね。
竹に彫るのが面倒だったから省略というのが他人事と思えない・・・


言葉はわかりやすいほどよいというのは、たいていの人の固定観念かもしれない。しかし、片言のような未熟言語がないのはそのような言語は生き残れなかったということではないか。(略)
言語世界は一種のジャングルであり、個々の言語はそこに生きる生物であるとみることもできる。生物が一方で捕食法を発達させつつ、他方では針や刺や毒物や何やかやで武装しているように、英語の複雑な綴り字もわかりにくいイディオムも、ハングルの「パッチム」の難しさも武装である。(略)「簡単にわかってたまるか」という防壁でもある。その他どの言葉にもあるあらゆるとっつきにくさも、文化防衛的バリヤーでもある。これがあって初めて、外来の言語文化を安心して取り入れることができる。

6 生き残る言語



パッチムが苦手なのですが(みんな苦手よね)、これも韓国語(とハングル)の防御なら「ふふふ、愛いやつじゃのう抵抗しても無駄じゃぞ・・・」と優し~くしてあげようと思いました。


「拾遺愚草」に残る藤原定家の漢詩和訳というのが載ってて、あまりに自然な日本語(和歌だから当然)に翻訳されてて驚きました。

漢詩の日本語訳(書き下し文っていうのか)の生硬な文体が嫌いなので、やればまともな日本語に翻訳できるじゃないか!と一瞬思ったのですが、これも条約の翻訳と同じで不自然な訳文が必要だったからあーゆー文体になったのでしょうか・・・そうは言っても定家の和訳のほうが美しい。


往時渺茫都似夢
舊遊零落半歸泉

見しはみな夢のただちにまがひつつ昔はとほく人はかへらず

南窗背燈座
風霰晴紛紛

風のうへに星のひかりはさえながらわざともふらぬ霰をぞ聞く

15 日本語長詩の現実性



もとの漢詩はこれかな?

《三游洞序》白居易
往事渺茫都似夢,舊遊零落半歸泉

《村雪夜坐》白居易
南窗背燈坐,風霰暗紛紛


中国語をやってよかったと思うのは白居易のどこが良いのか分かるようになったことです。
普通話で読んでもリズムが素晴らしい。当時の音で朗読するともっと美しいんでしょうね。
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2011年 04月 11日 |
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《蔡康永的说话之道》
沈阳出版社



《蔡康永的説話之道》は台湾でも大陸でも長い間ベストセラーリストに載ってて、まだ書店でヒラ積みになってたので買ってみました。

トークショーの司会者が「話し方」を教えてくれる本です。

日本人から見ると中国人はあまり気を使わずに思ったままを口にしてるように思えますが、この手の本がベストセラーになるということは、中国人も悩んでいるのでしょうか。

内容は日本でもよくある「人に好かれる話し方」と同じようなものです。
相手の気持ちになって話す、専門用語ばかり使わない、金を使うより心を使うなど常識的なことが多かった。

1章が短くて文章も読みやすいので、中級くらいの閲読練習には良いと思います。
私が読んだのは大陸版なので、あまりにも台湾國語な単語には注釈がついてて便利でした。


けど蔡康永って好き放題に喋ってるようでいて、けっこう細心な人なんですね(当たり前か)
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