カテゴリ:■評論・評伝( 74 )
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2012年 08月 03日 |
「中国貧困絶望工場 「世界の工場」のカラクリ」
アレクサンドラ・ハーニー (著), 漆嶋 稔 (翻訳) 日経BP社


どうして日本の出版社は中国に関する本には否定的なタイトルをつけたがるのかな、売れるから?
原題は“The China Price: The True Cost of Chinese Competitive Advantage ”。

「中国価格」(安い製品)は確かにお金を少し節約できるけれど、そのコスト(ツケ)は決して安くはない。
搾取工場の実態、環境汚染や労働で障害を負っても保障されないワーカーの話も紹介されていますが、一方で事故を乗り越えてNGO組織を作った若者や、農村出身で中卒の学歴しかない女性が大都会でホワイトカラーを目指してステップアップするエピソード、働きやすい環境でワーカーが定着し、品質も安定した工場の試みも載っています。
必ずしも暗い話ばかりではありません。

中国にも問題はあるけれど、安さだけを求める先進国の消費者が「中国価格」を作り出しているのがよく分かります。


作者が女性だからかも知れませんが、先進国の記者の上から目線ではなく底辺の労働者の心情によりそうような表現で共感できました。
シンセンの工場の女子寮での共同生活の様子がとても生き生きと描写されています。
わたしも工場を訪問しても寮の中までは入ったことがありません(とても入る勇気ないし日本人は立ち入り禁止だろうし)。作者は心が温かくて中国人に歓迎される人なんだろうなと思います。憧れます。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 07月 22日 |


十年後的台灣
作者:楊照/著
出版社:印刻
出版日期:2005年06月22日
語言:繁體中文 ISBN:9867420667




2005年に出版され、台湾でベストセラーになった本。
冒頭に2015年(10年後の台湾)の未来予想図が描かれています。

経済はずっとマイナス成長、先見の明がある市民はどんどん台湾を捨てて移民してしまい、二大政党は選挙で勝つことしか考えておらず、対立が行きすぎて暴動が起き、株価は暴落、アメリカには見捨てられ、大国になった中国はもう統一にも分裂にも興味がなく、世界から忘れられる台湾・・・

こんな風にならないために、10年後を見据えて今から改革を始めよう!という本なのですが、なんだか他人ごとと思えないですね。

「內容簡介」にあるように

書中強調台灣最大的危機不在於中共武力犯台,而在於快速地從全球化世界體系中被邊緣化。為擋住將台灣封閉起來的趨勢,努力將台灣拉在世界網絡之內,不要向邊緣孤立情境流離出去,應當保存台灣好不容易擁有的多元異質性,拒絕一元同質的壓迫性力量。


台湾の最大の危機は世界から孤立することだと繰り返し強調されています。
台湾の現況と歴史を丁寧に解説しているので、外国人が読んでも台湾のことがよく分かる本です。



youtubeに「楊照跟蠹魚頭談杉浦日向子」という動画がありました。



いつもありがとうございます

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2012年 07月 19日 |



《成為「日本人」:殖民地台灣與認同政治》
Becoming “Japanese”: Colonial Taiwan and the Politics of Identity Formation
作者:荊子馨
譯者:鄭力軒
出版社:麥田
出版日期:2006年01月16日
語言:繁體中文 ISBN:986173032X
裝訂:平裝



もともとカリフォルニア大学から英語で出版された本を台湾で翻訳出版したもののようです。
Becoming Japanese: Colonial Taiwan and the Politics of Identity Formation(Ching, Leo T. S./Univ of California Pr)

「中国・台湾・香港映画の中の日本」を読んだとき、そういえば似たようなテーマの本を持ってたような・・・と思い出して積ん読の山から引っ張り出してきました。

私だけじゃないと思うのですが、日本の脱植民地化について今まで考えたことなくないですか?
学校で習ったかどうかも忘れましたが、第二次大戦の終わり方というのは日本が負けて、アメリカが来て、大陸とかにいた人たちが引き上げてきて、焼け跡から復興したことしか知らないような・・・
この本に書いてある、たとえば下の文章を読んで植民地政策の事後処理なんて全然考えたこともなかった自分がショックでした。


日本不像英國與法國,它不必去考量自身在去殖民化過程的角色,日本內部並未就其屬地的命運展開辯論;就像戰敗這件事也從未引起論辯一樣。日本帝國就這樣無聲無息的消失了。結果是,去殖民化從來不曾成為國內議題;它是其他國家的問題。「到底什麼構成了日本帝國的去殖民化了?」這個問題正是戰後的日本知識界與大眾論述中同時遭到剝除的課題。因此,日本免除了(或是很方便地逃脫了)任何有關其戰爭責任以及整體殖民責任的討論與論辯。

《成為日本人》p.61



学術書のため中国語能力では歯が立たないところも多かった。ぜひ日本語訳を出してほしい作品です。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 07月 17日 |
「中国・台湾・香港映画の中の日本」
林 ひふみ (明治大学出版会 (2012/04))

明治大学のサイトより

陳凱歌、張芸謀、侯孝賢、楊徳昌、王家衛‥…。中国、台湾、香港出身で、20世紀末の国際映画祭を席巻した監督たちは、いずれも戦後生まれながら、例外なく日中戦争のトラウマを作品に映し出していた。
そして21世紀。中国の馮小剛、台湾の魏徳聖が生み出した記録的大ヒット作のクライマックスシーンで日本語の歌が流れ、観客の心を癒した。 日本と中国語圏の近現代史を映画によって読み直す。


力作です。
いままで中国・台湾・香港映画を見ててよく理解できなかったことがかなりスッキリしました。

どの章もとても良かったのですが、特に「狙った恋の落とし方。」と「海角七号-君想う、国境の南」についての解説が本当に目からウロコでした。同じ映画を見ても日本人には見えてない部分があるんですね。

「狙った恋の落とし方。」の熊の場面と知床旅情の場面は冗長だし不要なんじゃないの?と思ってました。
中国人にとってはあの場面に重要な意味があったとは全然気づいていませんでした。

「海角七号-君想う、国境の南」も私はとても面白い映画だと思ったのですが、他の(複数の)日本人から「良い映画だけどどうして台湾で大ヒットしたのか分からない」と言われて、そう言われればそこまで大ヒットするような内容でもないような・・・と答えられずにいました。
この本を読んで、自分なりに考えるヒントを得た気がします。そうかそういうことだったのか!とヒザを叩きました。


中国・台湾・香港映画に興味のある方、とくに抗日映画を見てしまってモヤモヤしたものを感じている方にはオススメです。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 04月 02日 |
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中国訪問使節日記 (東洋文庫 277) [新書]
ジョージ・マカートニー (著), 坂野 正高 (翻訳)



何の予備知識もなく読んだのですが、とても面白かった。
イギリスの外交官が中国へ来て乾隆帝に謁見するものの、条約改正の要求はお断りされてすごすご帰る過程が書かれています。

乾隆帝に会った外国人ってそんなに珍しくない気がするのですが(勝手な思い込みか?)、このジョージ・マカートニー先生の接待役が和珅だったんですよ!!

乾隆帝はどうでもいいけど和珅に接待してもらったというのがうらやましい、うらやましすぎる。


清朝の中国人の役人っていうとどうしようもない怠け者ってイメージがありますが(私だけか)、この本に出てくる官人はけっこうてきぱきしてて好奇心が旺盛で明るい人たちだったようです。


乾隆帝(左)と和珅(中央)  ※画像はイメージです




いつもありがとうございます

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2012年 03月 27日 |
「人を名前で呼ぶのと字で呼ぶのとはどう違うのでしょう?」というご質問をいただいたので、「三国志人物縦横談」(高島 俊男)を引っ張り出してみたところ、懇切丁寧に説明がありました。高島先生は本当に素晴らしい。

以前にも引用したけどまたします。高島先生ありがとう。


友人に「「劉備玄徳」や「諸葛孔明」はちゃんと姓名四字(!!)そろっているのに、曹操はなぜ半分しかないのか?」と珍問を投げられた高島先生が追い詰められて「「劉備玄徳」という呼び方がゆるされるなら「曹操孟徳」ということになる」と答えてしまい、友人は満足するという前段があって


ちっともよくないのである。曹操孟徳なんて言いかたはない。どこで聞いてきたのか知らないが劉備玄徳なんて言いかたもない。(略)
中国人は誰でも姓がある。曹操の姓は曹、劉備の姓は劉、諸葛亮の姓は諸葛である。
姓はたいてい一字なのだが二字の姓もある。これを「複姓」と言う。(略)
曹操の操、劉備の備、諸葛亮の亮が名である。(略)
名は重大なものであり、大事にとっておくべきものだから、通常は使用しない。通常に使用する名前が字(あざな)である。曹操の字は孟徳、劉備の字は玄徳、諸葛亮の字は孔明である。
名と字は何か関係がある。しかしその関係はなかなかむずかしくて、容易にわからぬことが多い。
曹操の場合は比較的わかりやすい。『荀子』の勧学篇に「生くるも是に由り、死するも是に由る。夫是を之れ徳操と謂ふ」とある。この「徳操」を名と字に分け、字の方は長男を意味する「孟」を冠して「孟徳」としたのである。
劉備はわからない。(略)
名と字をくっつけることはない。つまり「操孟徳」「備玄徳」「亮孔明」などと言うことは絶対にない(上に姓をくっつけても同じこと)。わたしが友人に「曹操孟徳」と言ったのはヤイヤイ言われてせっぱつまったからである。
姓と字をくっつけることはごく普通である。曹孟徳、劉玄徳、諸葛孔明という呼び方である。ただし、ある人は姓名、ある人は姓字にして、曹操、劉備、諸葛孔明と並べたら、これはおかしい。

P.305「曹操」
「三国志人物縦横談」高島 俊男


ここまでが「名」と「字」についての一般常識。

で、親しさによってどう呼び方を使い分けたかというと


若いころ、あるいは親しいあいたがらでは字で呼び合う。曹操が年少のころの友だちは曹操に対して「孟徳」と呼んだ。同様に諸葛亮の友だちは彼のことを「孔明」と呼んだ、というわけだ。
やがて官職がつけば官職で呼ぶ。封建されれば封号で呼ぶ。さらに、死んで諡号が贈られれば諡号で呼ぶ ということになる(諡号というのは当人が死んだあとでつく名前。わが国の近時でいえば「昭和天皇」というのがそれである)。
もし曹操が高官になってからも彼のことを「孟徳」と呼んでいる人があったとすれば、それは必ず子供の頃のガキ仲間か、少年時代の勉強仲間である。そうでもないのに「孟徳」と呼んだら、それは大変失礼である。もし曹操にむかって「操」と名を呼ぶ者があるとすれば、それは必ず、負けてつかまってこれから殺される敵将である。つまり百パーセント殺されるとわかって罵る時のみである。

「蜀志」の「馬超伝」に引く『山陽公載記』にこういう話がある。馬超が劉備に帰した時、劉備は馬超を手厚く待遇したので、馬超はつい気安くなって、劉備と話すときはいつも「玄徳」と字で呼んだ。関羽が怒って、馬超を殺そうとしたが、劉備になだめられて思いとどまった。劉備は馬超に威厳を見せつけて、以降字で呼ばないようにさせた。---というのである。
裴松之が、この話は信用できない、馬超が劉備を字で呼ぶなどという傲慢なことをするはずがあろうか、と言っている。つまり、馬超の傲慢を示すためにこんな話が作られ、いくら傲慢でもまさかそんな失礼なことのあろうはずがないと裴松之が否定しているのであって、すでに相当の地位にある人を字で呼ぶというのはそれくらい失礼なことなのである。

P.306「曹操」
「三国志人物縦横談」高島 俊男




劉備を親しみを込めて字で呼ぶと関羽に斬られる・・・乱暴だな関公。

なぜか劉備のコーナーに呉の人たちの字の解説が

たとえば、周瑜の字は公瑾、魯粛は子敬、呂蒙は子明である。友人が周瑜に呼びかける際は「公瑾」と言い、周瑜について他人同士が話す際も「公瑾」と言って、「瑜」とは言わぬのである。右の三人がみな死んだあとで孫権が彼らについて思い出話をする際も、「公瑾は偉かった」とか「子敬は手柄もあったが失策もあった」などと言っている。

P.348「劉備」
「三国志人物縦横談」高島 俊男



高島先生の引用だけでは手抜きな気がするので《世説新語》を見てみるとこんなのがありました。


鍾士季目王安豐:阿戎了了解人意。謂裴公之談,經日不竭。吏部郎闕,文帝問其人於鍾會。會曰:「裴楷清通,王戎簡要,皆其選也。」於是用裴。
(世說新語 賞譽第八)



日本語訳は

鍾士季(鍾会)は王安豊(王戎)を評して言った。
「戎君は、人の気持ちがはっきりわかる。」
また、こうも言った。
「裴公(裴楷)の談義は何日も尽きることがない。」
吏部郎に欠員ができたので文帝(司馬昭)は適任者の心当たりを鍾会に訪ねた。会は言った。
「裴楷は清通(すっきりしていてこだわりがない)、王戎は簡要(簡にして要を得ている)、いずれもそれにふさわしい候補者でございます。」
そこで〔文帝は〕裴楷を任用した。

中国古典小説選〈3〉世説新語(明治書院)



このエピソードに登場するのは
偉い人順(たぶん)に

司馬昭〔文帝〕
鍾会〔鍾士季〕
裴楷〔裴公〕
王戎〔王安豊、阿戎〕


☆司馬昭は皇帝なので地の文でも会話の中でも決して字も名も呼ばれず、諡号だけ。
☆鍾会は地の文で名と字で呼ばれてる。
☆裴楷は地の文でも会話の中でも「裴公」と呼ばれています。裴楷の字は「叔則」なので、「裴公」は敬称ですよね。裴楷は最後には中書令になったので「裴公」「裴令公」とも呼ばれたようです。
しかし、ここでは鍾会に吏部郎に推薦されて出世の階段を上るところなので(=まだ無職)、鍾会が会話の中で「裴公」と呼んでるのはヘンだと思います。(それに鍾会のほうが8歳くらい年上。)作者が字で呼ぶのは失礼だと思って過剰修正しちゃったのでしょうか。
☆王戎は字、名だけでなく会話の中では「阿戎」(戎ちゃん)と愛称でも呼ばれてます。王戎のほうが裴楷より年上なのに戎ちゃん呼ばわりなのは、それだけ鍾会と親しかったのでしょうか。竹林七賢だし。

オチの「於是用裴。」がとても気になります。
中国では姓だけで人を呼ぶことはとても少なく、これが史書だと「於是用楷。」と名を記すと思うのですが、《世説新語》には姓だけ書かれてることがわりとあるのはなぜ?


と疑問も増えながら終わる。


<おまけ>

友人が周瑜に呼びかける際に「公瑾」と言う例



周瑜について他人同士が話す際に「公瑾」と呼ぶ例






何の珍しさもないおまけでごめん


自分用追記

「中国古典小説選〈11〉子不語」にも同じようなことを書いてた
中国古典小説選〈11〉子不語




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 03月 26日 |
d0127061_21222837.jpg「老乞大 朝鮮中世の中国語会話読本」
平凡社(東洋文庫 699)
鄭光=編 金文京 玄幸子 佐藤晴彦=訳



平凡社のサイトより

老乞大とは,高麗末から朝鮮で広く読まれた中国語会話の教科書。大都(北京)へ交易に赴く商人が道中で交わす会話という設定で,当時の言葉と社会,日常生活がいきいきとよみがえる。新発見の古い版本を底本とし,注釈を加える。



お恥ずかしい話ですが(最近お恥ずかしいネタばっかり)、韓国の歴史ドラマを見るようになってはじめて「朝鮮半島は無人の野ではなかった」と気がつきました。

いやもちろん隣に韓国という国があってその北には北朝鮮があって、古代にはそこから渡来人が日本にも来てた、というのは知識としては知ってましたけど、実際にそこで何千年ものあいだ人が生活してきたというのが実感としてなかった。
朝鮮半島の歴史とか世界史で(習ったんだと思うけど)習った記憶もないし。


「老乞大 朝鮮中世の中国語会話読本」は副題通り高麗で出版された「チャイ語旅行会話」のテキスト。このときの中国は元です。

高麗は元に征服されて王妃を元から受け入れてたって知ってましたか?
私は本当に1ミリも知りませんでした。国母が元の女性なら、高麗の王様は元とのハーフなんですよね。
しかもただ服従してたわけではなく、高麗女性が元の皇后になったり、高麗出身者が朝廷の実力者になったりと相互で人材が行き来していたんですって。

当然物資の往来もあって、「老乞大」は大都(北京)へ高麗の物産を売りに行く高麗商人のための会話集になってます。
日本が神風で元を追い返したと国をあげて大喜びしてたころ、高麗の商人は中国語会話を習って、元の首都へ行って高麗産品を売って、中国産品を仕入れて帰ってきてたわけ。

他民族に征服されなくて良かったと思う一面、日本って本当にグローバル社会から取り残されていたんだなあとも感じました。


そして本文を読んでさらに驚きます。
これ・・・中国語!?

古代の漢文とはまったく違うのですが、現代中国語ともかなりかけ離れた変体白話文とでもいえばいいのでしょうか。
一人称なんて「俺」だし、動詞が文末に来てたりするし、単語もだいぶ違います。

文言文と普通話のあいだにこんな会話体が挟まってたのか・・・
あまりに衝撃的で感想がまとまらないので、気になったところだけ引用して終わります。


注(1)漢児言語
「漢児」とは異民族の支配下にあった漢民族を指し、彼らが使う言語を「漢児言語」といった。便宜上「中国語」と訳したが、当時の一般的な中国語に比して語順や語彙の面で特徴があり、一種ブロークンな響きを感じさせる。

P26 第一章 出会い





「漢児」というのは、中国周辺の異民族、特に北方の遊牧民族が中国人を指す言葉としてすでに南北朝の頃からみえ、同じ意味の「漢人」にくらべて口語的な言い方であった。周知のごとく中国の特に北方地域は、歴史的に遊牧民族の侵略をしばしばこうむり、特に長期にわたりその支配を受けた。ことに遼金元と三代にわたる征服王朝が中国北方に君臨し、民族間の融合が進むと、この名称の意味する範囲は次第に広まり、元代には漢民族および中国化した契丹人、女真人さらには高麗人までをも含む北中国の住民全体を指すものへと変化した。「漢児言語」とは、このような民族融合の状況において用いられた一種の共通語としての中国語に他ならない。
この言葉がきわめて変則的なのは、契丹語(モンゴル語の一種)、女真語(満州語の一種)、モンゴル語などが、おおまかに言って日本語や朝鮮語と同じ系統に属する膠着語(「てにをは」などの助辞によって語の機能を示す言葉)であるのに対して、中国語がこれとはまったく系統を異にする孤立語(助辞を用いず、語順によって語機能が決まる言葉)であるため、膠着語を母語とする人々が中国語を学習する場合、その母語の影響によるひずみが出てしまうためであると考えられる。「漢児言語」に特徴的な句末の「有」や「根底」などの使用、また「俺自穿的不是」、「外路的不是」のような直訳的な語順は、その現れであろう。

P368 解説 五 「漢児言語」と「蒙文直訳体」





なお南宋人が「漢人」「漢児」と言う場合、それは必ず北方の金朝治下の中国人を指している。したがって「漢語」も北方で使われている中国語を意味したであろうが、それは南宋人には奇妙な言葉に聞こえたらしい。

P371 解説



ピジンというかクレオールというか、こんな中国が標準語だった時代もあったのですね・・・驚きの連続でした。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 03月 12日 |
「張愛玲 愛と生と文学」
池上 貞子 (東方書店)

東方書店からあまりに何度もお知らせメールが来るので根負けして読みました。
作者は「傾城の恋」を翻訳された方ですね。

「張愛玲 愛と生と文学」はあちこちに書いた文章を集めた本らしく、同じことの繰り返しが多いのと、張愛玲以外の人物研究の文章も収録されてるためにまとまりがなくて残念です。
一冊まるまる掘り下げて書いてあるのかと期待したのですが・・・

でも内容はとても良かったので、最初から最後まで一貫して張愛玲のことだけ書かれた一般書が出る時代が早く来るとよいですね。
(なんか他人事みたいな言い方になってしまった・・・)


こんなことが書いてありました。

チャイナドレスを着た場合、よくハンカチをわきの下に近い打ち合わせのところや、次項三のように袖口のなか、腕輪に挟んだりしていたようだ。

張愛玲文学に見る絹の諸様相と“恋衣” 「張愛玲 愛と生と文学」




《紙酔金迷》 を読んで疑問だった脇の下のハンカチ問題の謎が解けました。ポケットじゃなくて、打ち合わせの間に挟んでたんですね。
→《紙酔金迷》 小説版

そういえば昔の中国婦人はハンカチを持ってたのですね。いつの間に消えてしまった風習なのでしょうか。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 03月 08日 |
d0127061_211287.jpg「英語は女を救うのか」
北村 文 (筑摩書房)



筑摩書房のサイトより

それは「幸せ」への扉!?
英語に憧れる女性は少なくない。英語力を活かして仕事をする女性も多い。ならば英語は女を「救う」のか? 女性たちの声に深く耳を傾け、その現実に迫る。



うまいタイトルです。
華やかに見える英語のお仕事も舞台裏は楽じゃないのよ、という体験談がいろいろ語られて興味深い。

よく言われる女性のほうが語学に向いてるとかいう説についてちょっとドキっとすることが書いてありました。


学校の英語の授業でも英会話スクールでも、授業中に元気があるのは女性だとか、旅先で外国人とのコミュニケーションに熱心なのも、ワーキングホリデーや留学に積極的なのも、女性のほうだと言われる。なぜなら、女性脳は男性脳に比べて語学の習得に向いているからだとか、いやいやそういうことではなく、女の子は左脳が発達するように教育されてるから語学が得意なんだとか、言いたくなる人もいるだろう。
しかしながら、女たちが英語に向かうのは、彼女らが救われたいから、そして今ある彼女らの現実が救われないからだ、ということも言われてきている。社会学や人類学、社会言語学や応用言語学といった分野の研究者たちは、「周縁化」「家父長制」「抑圧」といったキーワードでこのことを説明する。
日本の社会は男性中心主義で、女性は職場では単調な仕事ばかりを押しつけられ、家庭では家族に尽くすことを期待される。いずれの場においても中心的な役割を担うのは男性ばかりで、女性はすみっこで補助的なことばかりをやらされる。当然、経済的にも不利な状況におかれるし、社会的地位は低いままだし、自由は奪われている。こんなやりがいのない仕事はいやだ、生きがいのない人生はいやだ、という救いのなさこそが、女たちを英語に突き動かす原動力だと言われる。

「英語は女を救うのか」 第1章 英語と女



この本を読むと「語学を生かしたお仕事」で食べていくのは大変そうだと分かります。
せっかくなのでインタビューのプロフィールに現在の年収も書いてもらえると参考になったのに。


そして、疑問に思ったのは、通訳や翻訳や語学教師が労力のわりに報酬の安定しない仕事というのはよく分かったのですが、こういう職種には同業者組合みたいなものはないの?みんなで団結して報酬アップを要求したりしないの?ってことです。

中世のギルドや昭和の労働争議みたいな汗臭いのは嫌なんじゃ~!という独立心の強い人たちだからこそ、組合とかにわずらわされない語学の仕事に就くのかな?それで報酬や労働条件が保障されないのかしら・・・(そりゃ企業でも組合なんてあってもあんまり意味ないことも多いですが)


会社やめて語学方面に進もうと思ってる人は辞表出す前に読んどくと良い本だと思います。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2012年 02月 27日 |
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「これが見納め---絶滅危惧の生きものたち、最後の光景」

ダグラス・アダムス , マーク・カーワディン (著)
みすず書房



内容紹介
『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスが世界中の絶滅危惧種を見に行くという少々不謹慎な(!)旅に出た。
そこで目にしたのは……。

1990年の刊行以来、愛読者の絶えない不朽のネイチャー・ルポ。待望の初邦訳である。

種の存亡の瀬戸際にある生きものたちをとりまく荒涼たる現実、
人間の浅はかさが生む悲喜劇や、動物たちそれぞれの興味深い生態が、
小気味よいウィットと諧謔味満載で語られる。
いたるところに皮肉のきいたドタバタ劇の奥には、
ヨウスコウカワイルカの苦境をとことん思い描いて震えあがり、
観光資源化したコモドオオオトカゲを目の当たりにして恥じ入ってしまう著者の、
欺瞞のない鋭敏な眼差しがある。その観察眼は、
天安門事件前の中国社会やザイール行政の腐敗へも向けられている。


さすがダグラス・アダムスだけあって文章もユーモアがあって、深刻な話題なのに暗くない良い本です。


本文とはあんまり関係ないのですが、ヨウスコウカワイルカの取材のところにこんなことが書いてあります。


先に説明しておくと、これは1988年10月の話である。わたしは天安門広場の名を聞いたことはなかったし、世界じゅうのほとんどの人がそうだった。(略)
ただ残念ながら、中国でこれほどの安心感を---というより、少しでも安心感を覚えたのは、たぶんこのときだけだったと思う。たいていの場合、中国は不可解でいらただしく、あくまでも不透明な国だった。しかし、天安門広場のあの夜は気安かった。だからなおさら、数ヵ月後の驚きは大きかった。天安門広場があんな凶悪な変身を遂げて、広く人々の心のなかであらゆる災厄の現場に変わってしまうとは。天安門広場は現実の場所ではなく、時間のなかの基準点になったのだ。「天安門広場以前」とは、わたしたちがそこにいたときのことだ。「天安門広場以後」とは、戦車が突入したとき以後のことである。



中国語を勉強する弊害と私が思ってるのは、中国語の新聞やテレビをよく見るようになって、中国政府の一方的な言い分ばかり入ってくるようになる点です。
(人民日報やCCTVのニュースを教材にに使ってると、いつのまにか自分の思考回路も人民日報化、CCTV化しちゃいそうで心配になる)

中国では天安門事件はなかった扱いなので、だんだんあれは本当にあった事件なのか自分の記憶違いなのかと不安になってました。
でもイギリス人も目撃したんだから、あの戦車が突入して人民を殺した事件は実際にあったんだと改めて思いました。

そんだけです。



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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