カテゴリ:■小説・散文・詩文( 89 )
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2013年 11月 05日 |
前回の記事が長くなりすぎて肝心の部分が紹介できませんでした。
前回記事「漢文スタイル」



漢詩を白文なしの読み下しのみで掲載している本というのがあるんですね。
そこから日本語における漢詩の二重性の話になって


ともあれ、直読とは原始を字音(どの地域のどの時代の字音かはとりあえず問わずに)そのままで読むことであるから、訓読を軸にして考えると、直読/訓読の「二重性」は原詩/訓読とパラレルになりそうなのだが、じつは二つの「二重性」はすんなりとは重ね合わせられない。直読/訓読の「二重性」では、前者は詩の音声を担い、後者は詩の意味を担う・「訓読漢詩」では、原詩は「視覚的・観念的」であり、訓読こそが「聴覚的・音声的」である。音声を担う項が反対なのだ。
(略)
訓読という行為と訓読されて紙面に定着した文とのあいだを見きわめること。とりわけ、訓読された文が音声の優位性をともないつつ現れるときには、注意が必要である。訓読という行為と読み下しの暗誦とを混同してはならない。
訓読があくまで訳読であるなら、読み下しは何通りもあり得るはずで、たまたま書きとめられた読み下しはさまざまな読みの痕跡の一つに過ぎない。だが、近世後期以降、教育の手段として広まった素読によって、訓読の結果としての音声が訓読という行為に先立って与えられるようになると、読みの痕跡が逆に読みを指示するようになる。漢籍の和刻も、細かい読みが施されたものが増えてくる。それはいずれ忘れられる筌跡であったはずだ。しかし、身体に刻まれた音声の威力は、あなどれない。

「訓読の自由」
「漢文スタイル」
齋藤 希史 (羽鳥書店)




「身体に刻まれた音声の威力は、あなどれない」
本当にその通りですね。


訓読(翻訳)だけならまあそれほど害はなかったと思うんですよね。
外国語が分からないなら何とかして翻訳するしかないんだし。

でもそれを素読して暗誦して、日本語の音として記憶してしまったのが致命的だった。
外国の文字(漢字)が並んでるのを見ても日本語の音で読む習性が身体に叩き込まれてしまった。

それで、子孫が英語や中国語を学ぶときに、外国語を見ているのにそれが外国語の「音」を表しているとどうしても認識できなくなっちゃんたんじゃないかな。


中国語を勉強してると、時々漢字が中国語の文字だとどうしても理解できない(としか思えない)日本人学習者に会います。
皮肉なようですが、中国の文化や歴史がお好きな年配の男性だったりします。

ご本人も頭では分かってるのでしょうが、漢字は中国語の「音」を表しているというのが身体で分からないんだと思う。どんなに努力しても日本の音で読んでしまう。
江戸時代の朱子学を勧めた偉い人とかを恨んでください・・・とお気の毒になります。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 06月 30日 |
(なぜ自分にこんな高いハードルを課しているのか分からなくなってきた)



「劉邦の宦官」
黒沢 はゆま(双葉社)


内容(「BOOK」データベースより)
紀元前二〇二年。劉邦は楚漢戦争で項羽を破り、前漢の初代皇帝となった。その四年後、新たに都となった長安の長楽宮に、小青胡と張釈という二人の幼い少年が宦官として仕えた。貧しい生まれの二人は宮殿での悲惨な生活のなか、強く惹かれ合う。やがて二人は大后・呂稚に挙用され、新たに築かれた未央宮の後宮に入り愛を深め合う。しかし劉邦の死後、後継者争いが激化するなか、劉邦の息子・劉盈に仕える小青胡と、権力の虜となった張釈の関係が変化していく。それは、待ち受ける悲劇の序章に過ぎなかった―。


歴史小説コーナーに華々しく飾られてたので読んでみました。
タイトルと表紙イラストと「BOOK」データベースの内容紹介の通りです。
amazonなどですごく評価が高くて、世間と自分の小説に対する考え方の違いをひしひしと感じました。

(つまりこの本に対する私の評価は低いわけです。だから作者およびファンの方はこの記事を読まないでほしいの。)


気になったのが現代中国語が頻出することです。
もちろん作者は分かっててわざとやってるのでしょうが、漢代の皇后を「老娘々(ラオニャンニャン)」と呼んだり、皇帝が宮殿に戻ってきて「我回来了」と挨拶したりするのはやりすぎなのでは。
現代中国語を使って中国っぽい味わいを出したいなら、清朝の宮廷もののほうが向いてるんじゃないかしら。「蒼穹の昴」の二番煎じになるからダメなのかな。

それなら全篇現代中国語で通すのかといえばそうではなく、他の箇所では劉邦が漢文の白文で罵ったり、当時の楚音(たぶん)の発音の解説がまざったりするのは読者を混乱させる気がします(私は混乱した)。
かと思えば「自宮者募集」って看板は日本語だったのには失望しました。そんな看板中国語でどう表記するのかすごく知りたかったのに。

本場中国でも「女子向け歴史小説はその時代に応じた擬古中文で書く」というルールになってるようですので、今後はそのあたりも配慮いただければと思います。

リピはないですが(@コスメ風)、戚夫人の部分はとても良く書けてました。ういういしい美少年が醜い大監へ変貌していくところも良かった。
今後はグロの才能を開花させるとよいかも知れませんね。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 04月 12日 |
【こんな本】

全六十八回 上下本。

最初の「凡例」に「この本は七十回本《水滸》の続きだ」と書いてあります。(凡例ってそういうことを書く部分なのだろうかw)

1940年代の中国には七十回本しか出回ってなかったのかな?と一瞬思ったら、そのあとに「七十回本の後日談には三種類あり、《征四寇》、《後水滸》、《蕩寇志》だ。《水滸》の古本には百回本、百五回本、百十回本などがあり・・・」とちゃんと書いてあったので、百回本etcも読まれていたようです。

張恨水は疎開先には100冊足らずの書物しか持ち出せなかったようで、《水滸》のすべてのバージョンは参照できなかったと断り書きがありました。それでも《宋史》や《金史》を持って逃げたんですね。さすが作家だ。

文体はできるだけ《水滸》に似せるようにしたが、やりすぎると現代の読者に理解不能になるので、まったくの模倣ではないそうです。なかなか上手なパスティーシュになっていて面白かった。

七十回本の続きとはいえ、魯智深の坐化や武松が片腕で敵をやっつける場面は人口に膾炙しているので、話の展開を勝手に変えることはせず、英雄好漢たちの最後はおおむね百回本と同じ。


【内容はこんなの】

七十回本の続きなので、梁山で108人聚義した夜、大宴会で酔っ払った玉麒麟・盧俊義が好漢たちが皆殺しにされる場面を夢で見て汗びっしょりで眼が覚めるところから。「男たちの挽歌」のオープニングみたい。

首尾よく招安のあと、魯智深が坊主は役人になれないと言い出して脱退。他の英雄も各地に散らばって、しばらくは個人の話が続きます。

この小説でいちばん良かったのは孫二娘。
東京で夫の張青と料理屋を経営して繁盛している。

徽宗が宮廷で「お店屋さんごっこ」を開催するというので宮中に呼ばれて、ブースを出店することに。
すると模擬店に乞食が来て食事をめぐんでほしいと頼む。
追い払おうとする孫二娘だが、考えてみれば宮中に乞食がいるはずはない。顔に泥がついているが肌は白く、耳の裏も汚れていないので(さすが孫二娘は眼のつけどころが違う!)きっと皇帝の変装に違いないと気づいて、ご馳走を椀に入れてやると、乞食は黄金をばらまいて去っていった・・・

このあと孫二娘には入宮の命令が下り、徽宗とあわやというところへ張青が!!!という展開を期待したのですが、《水滸》は女色厳禁なので、孫二娘はそのまま家へ帰りましたとさ。つまらんのう・・・


太平を謳歌していた東京の人々でしたが、金が攻め込んできます。
抗日小説なので金=日本です。
魯智深や孫二娘は金兵をバッタバッタと殺しまくりますが(・・・抗日小説ですから・・・、)多勢に無勢、張青が殺されてしまいます。
私は張青のファンなので、日本兵に殺されるのを見るのはつらかった・・・。
孫二娘も重傷を負います。魯智深が連れて逃げようとするのを、張青の遺体を捨てていけないと拒否する孫二娘。
魯智深はやむなく一人で金兵を突破して逃げます。

このあとはほとんど金との戦闘のお話。

梁山の好漢たちは果敢に戦いますが、朝廷の高官たちは腐敗してて愛国心もないので金に負けちゃいます。
徽宗は退位して臣下の張昌明(たぶん記憶違ってる)とかいう人に天下を譲ります。
徽宗が溥儀で、臣下が汪兆銘の暗喩なのかも知れません、分かりません。


孫二娘は生き延びてました。東京で曹正たちと料理店を経営しています。
「金兵に監禁された貴人に食事を運んでくれ」と依頼されて行ってみると、徽宗と皇后がみすぼらしい姿で閉じ込められていました。おいたわしや陛下。
かつて徽宗にもらった黄金をそっと手渡す孫二娘。


原作の《水滸》では好漢たちは金に圧勝しますが、張恨水バージョンではそんな都合よくはいかず、国を蹂躙されて歯噛みしながら一人ずつ退場していきます。悲しい・・・
(でも金はわが国なので悲しいとか呑気なことは言ってられない)


魯智深は史進を連れて出家できる寺を探しもとめるうち、海鳴りを聞いて成仏。
なんか唐突だったわ・・・しかもなぜお供が史大郎?

武松は金の将軍と戦って片腕を失い、宋江と別れの大酒を酌み交わしながら絶命。

宋江は敵に降伏するよう命令されて、李逵と心中。鉄牛けなげだった・・・



面白くないわけではないんですが・・・
でも恋愛小説にしてくれたら大喜びで読んだのに・・・
林冲がほとんど背景だった。張恨水は豹子頭きらいなのかな。
玉麒麟はけっこうピンで出番多かったのに。


前の記事
張恨水 《水滸新伝》 自序


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 04月 07日 |
張恨水が水滸伝の続編を書いていたのを知って驚きました。(単に無知なだけです)

冒頭に1943年の自序が掲載されてて《水滸新伝》執筆の経緯を説明してあります。
本文より自序のほうが面白い・・・でも中国式の1つのことを言いながら実は別のことをあてこすってるらしい文章でよく分からないところだらけ。

中国の歴史と文学事情にうといブログ主が自序を読んで、ウィペディアの力を借りながら理解したところを書いてみます。間違ってたら本当にごめんなさい。


張恨水は1930年から上海の《新聞報》に長編小説を掲載してました(《啼笑因縁》かな?)。
抗日戦争が始まったあと《新聞報》での連載は中断しました。
想像ですが張恨水が得意なトレンディー・ラブ・ロマンスは戦時下にふさわしくないので掲載しにくかったんでしょう。
そのうち新聞側からちょっとでも抗日っぽい小説なら掲載するからと頼まれ、1939年から南京漢奸を風刺した《秦淮世家》を書きました。(読んでないけどなんかつまんなさそう・・・)

このころご本人は上海を離れて、各地を転々としながら重慶へたどりついてたようですね。《紙酔金迷》みたい。

上海で小説を発表するなら抗日小説しか許されない雰囲気だったようです。
張恨水には不得意なジャンルだったのでしょう、1940年に路線変更して歴史小説に挑戦。
中国男児が侵略戦争で抗戦すれば上海の読者にも受けるし、「敵偽」の嫌疑も逃れられるだろうという作戦です。

北宋を舞台にして岳飛伝を書こうと決めたものの筆が進まず、資料を集めているうちに水滸伝のほうがいいんじゃないの?と思えてきました。
そこで重慶で《水滸新伝》を書いて上海の《新聞報》に寄稿するようになりました。

《水滸新伝》は上海の読者に好評だったようですが、1941年に上海が完全に敵(つまり日本)の手に落ちて連載は中断しました。
原稿はすでに第四十六回まで上海に送ってあり、手元には第四十七回の草稿がありました。友人たちにもっと書けと言われて続きを書こうかなと思っていた1942年、上海で別人が張恨水の名前で続きを連載しているとのニュースがもたらされました(・・・さすが中国・・・)

偽小説の内容までは分からなかったようです。
張恨水は敵の占領下では抗戦小説は書けないだろう、もしかして宋江たちが金(=日本)に降伏するラストになってたりして・・・と心配します。
そんなことになったら戦後自分が誤解されるかも知れないと思った張恨水は全編を書き上げたのです。


・・・そんな経緯で書かれた本だったのですね・・・
戦争中に「戦後の自分の評価」まで考えているところが中国の作家って眼光放遠だと感じました。


民国第一写手张恨水作者:刘继兴

という記事に

他的读者上有鸿儒,下至白丁。被尊为“教授之教授”的大学者陈寅恪也是张恨水的粉丝。早在西南联大之时,陈寅恪身染重疾,双目失明,他请好友吴宓去学校图书馆,借来张恨水的小说《水浒新传》,每日读给他听。


とありました。陳寅恪老師がお好きだったくらいならきっと民衆にも大好評だったのでしょうね。



今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 22日 |
(書くだけ書いたけど敏感すぎる話題な気がして雪蔵に入ってました。
ネタ切れにつき敢えて放出)



《刀尖:刀之阳面》 麦家


ドラマ《刀尖上行走》の原作小説。
テレビドラマも起伏のない展開だったのですが、小説はさらに平坦だった・・・

国民党の南京政府で働く主人公(実は重慶政府のスパイ)が、日本軍の恐ろしい計画を阻止しようと活躍するストーリーなのです。
でもスパイ大作戦はほとんどなく、大部分は男主役が4人の女に翻弄される場面。
恋愛小説なのか?(女ごころのよく分からない主人公が振り回されてるところはなかなか楽しいのですが)


笑ってしまった場面。
男主役を共産党員にしようと働きかける人物がいて、その人が持ってきたチョコレートの箱を開けると、チョコの下に「共産党宣言」が・・・。
越後屋、おぬしもワルじゃのう。


ラスト近く、男主役は新聞で国民党軍が共産党軍をだまし討ちにしたという記事を読んで国民党軍に失望し、その場で共産党に入ってしまうのです。
かりにも諜報員なのに新聞の記事をすべて鵜呑みにするって一体・・・!?裏とか取らないの?


キャラクターの描写がかなり雑です。
国民党政府と国民党に忠実という設定の主人公なのに
「共産党軍は追い詰められて自衛のために立ち上がり」
「壮烈な犠牲を出した」
「蒋介石は共産党軍を反乱軍と誣告した」
と共産党のプロパガンダみたいな言葉遣いなんです。
中国人作家は普段から共産党の宣伝文ばかり読まされてるので感覚が麻痺してるのだろうか・・・


あまりにも人物描写が浅くて悲しい。
ドラマもアホみたいだったけど、人物描写は小説よりマシでした。
中国amazonの書評を読むと低評価の人たちは「麦家は変わってしまった」と書いてるので、昔はもっと面白かったようです。


数ページごとに「グイズ」とか「リーベンゴウ」と書かれている本を音読するのは辛かった・・・何の罰ゲーム(自分で選んだからしょうがない)


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 15日 |
《从林冲的“折叠纸西川扇子”看《水浒传》的成书年代》という論文がネットで読めます。

林冲が「第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂」で初登場するときに「紙の扇子」を持っている点に注目。

頭戴一頂青紗抓角兒頭巾,腦後兩個白玉圈連珠鬢環。身穿一領單綠羅團花戰袍,腰繫一條雙搭尾龜背銀帶。穿一對磕瓜頭朝樣皁靴,手中執一把折疊紙西川扇子
  那官人生的豹頭,環眼,燕頷,虎鬚,八尺長短身材,三十四五年紀。


扇子はもともと日本からの朝貢品で、(皇帝から下賜されるような)上流階級だけが持てるものだったんですって。
中国で模倣品が作られるようになってからも大っぴらには使えず、こっそり楽しんだそうです。
明代になって永楽帝が大量生産させたので一般にも普及し、文人の愛好品になり、とくに四川産の扇子は紙質がよくて高級品とされたとのことです。

この論文は上流階級ではない林冲が公共の場で扇子を持っているので、水滸伝は永楽帝以降の成立と推測されると言っているのですね。


私には、軍人である林冲が初登場のときに扇子を手にしているというのが興味深く思われました。
この日は3月28日の東岳廟の神様の誕生日のお祭りなんだそうです。いまの4月末くらいでしょうか。
たしかに原文には「三月末の暑い日(那時正是三月盡,天氣正熱。)」と書いてあるのですが、扇子が必要なほど熱くないんじゃないかな。

軍人なのに文人アイテムを手に優雅に登場する林教頭。
彼の人格の矛盾を表わしているのかもしれませんね。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 11日 |
今日から《水滸》を原文で読みます。

読んでみようと思って困ったのが、資料があんまりないんです。
中国で出てる本も「李卓吾点評」とか「金聖嘆批評」はついてても現代人向けの注釈はあまりないらしく、たまに「參校他本,作分段、標點、注釋,對一些方言俗語、典章文物,和一些難懂的字詞都作了注解和必要的考證。」という素晴らしい本(彩畫本水滸全傳校注(全三冊))を見つけても絶版らしくて悲しい・・・※


そういうわけで、ちくま文庫版の駒田訳と岩波文庫版の吉川訳、そして水管の百家講壇 《新説水滸》だけを頼りに読んでいます。

テキストはネットからコピペしました。(だからテキストが正確なのかどうかもそもそも分からない)
この記事読んでくださるかたは「話半分」くらいのつもりでお願いします。



「第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂」の途中から。
魯智深は女性を助けるために人を殺し、出家して東京で野菜畑の番人をやっています。
近所のチンピラを取り巻きにして楽しく暮らしている魯智深。いつものように取り巻きにカンフーを見せてやっていると・・・


(原文)
眾潑皮道:「這幾日見師父演力,不曾見師父使器械,怎得師父教我們看一看也好。」智深道:「說的是。」便去房內取出渾鐵禪杖,頭尾長五尺,重六十二斤。眾人看了,盡皆喫驚,都道:「兩臂膊沒水牛大小氣力,怎使得動?」智深接過來,颼颼的便動,渾身上下沒半點兒參差。眾人看了,一齊喝采。



■泼皮(潑皮) pō pí 流氓;无赖
■不曾 bù céng 没有,从来就没有
■器械 qì xiè 武器
■浑铁(渾鐵) hún tiě 纯铁。
■禅杖(禪杖)chán zhàng
在《水浒传》等古典文学作品中,禅杖是一种兵器,为铲的一种,佛教僧人多持之。长约五尺,通体铁制,两头有刃。一头为新月牙形,月弯处有四个小孔,分穿四个铁环,另一头形如倒挂之钟,长约7寸。尾端两侧各凿一孔,穿有铁环,柄粗寸余。禅杖两头均可使用。
■头尾(頭尾)tóu wěi 最前与最后部分
■臂膊 bìbó 手臂,上肢
■飕(颼)sōu 同“嗖”。象声词,形容迅速通过的声音
■参差(參差)cēn cī 差池;失误
■喝采 hè cǎi 大声叫好赞美。


取り巻きの“潑皮”たちはもともとこの野菜畑から野菜を盗んだり悪いことをしてました。
新任の魯智深に懲らしめられてからは禿驢の大ファンになって毎日遊びに来ています(ドM集団)。

“器械”はキカイじゃなくて武器のことなんですね。
魯智深が使う“器械”は“禪杖”。日本語訳では「錫杖」と訳されてるのを見たことがありますが、百度百科によると僧侶が持つ“禪杖”と武侠小説などに登場する武器の“禪杖”は別物だそうです。上下ともに刃がついてて、どちら側も凶器になります。

(写真は百度百科 禅杖から拝借)


六十二斤(ってどのくらい?)もある武器でポピーたちは「両腕に水牛くらいの力がなけりゃ使えないよ」と驚きます。それを魯智深はひゅうひゅうと(颼sōu颼的)動かしてみせたので、みんなが“喝采”します。
現代中国語ではあまり“喝采”って使わない気がしますが、水滸の世界では何かというと“喝采”するのです。



(原文)
  智深正使得活泛,只見牆外一個官人看見,喝采道:「端的使得好。」智深聽得,收住了手,看時,只見牆缺邊立著一個官人。怎生打扮,但見:
  頭戴一頂青紗抓角兒頭巾,腦後兩個白玉圈連珠鬢環。身穿一領單綠羅團花戰袍,腰繫一條雙搭尾龜背銀帶。穿一對磕瓜頭朝樣皁靴,手中執一把折疊紙西川扇子。
  那官人生的豹頭,環眼,燕頷,虎鬚,八尺長短身材,三十四五年紀。



■活泛 huófan 动作敏捷灵活。
■官人 guānrén 唐朝称当官的人,宋以后对有一定地位的男子的敬称
■端的 duān dì 果真;确实;果然
■皁 zào 同“皂”。黑色
■燕颔(燕頷) yàn hàn 形容相貌威武。颔,下巴。

魯智深が機敏に武器を使っていると塀の外でひとりの“官人”が“喝采”します。水滸世界では役人でなくても“官人”と呼ぶようです。

「端的使得好。」の“端的”は現代語の“真的”と同じ。
褒められた魯智深が手を止めて相手を見ると、相手の格好は・・・というのでずらずらと服装の形容が続くのですが、さっぱり分かりません。日本語訳を見てもあまり見当がつかない・・・

“豹頭,環眼,燕頷,虎鬚”って人間と思えない形容詞ですね・・・
これは《三国演義》の張飛と同じ形容で、もとは《後漢書‧班超傳》の“燕頷虎頸”から来ているそうです(とどっかで読んだ)。
年齢は34,5歳。既婚(3年)こどもはまだいません。



(原文)
口裏道:「這個師父,端的非凡,使的好器械!」眾潑皮道:「這位教師喝采,必然是好。」智深問道:「那軍官是誰?」眾人道:「這官人是八十萬禁軍鎗棒教頭林武師,名喚林沖。」智深道:「何不就請來廝見。」那林教頭便跳入牆來,兩個就槐樹下相見了,一同坐地。林教頭便問道:「師兄何處人氏?法諱喚做甚麼?」智深道:「洒家是關西魯達的便是。只為殺的人多,情願為僧,年幼時也曾到東京,認得令尊林提轄。」



■长短(長短)cháng duǎn 长度
■鎗 qiāng 同“枪(槍)”。刺击用的长矛
■厮 sī 同“厮”。〈形〉 相互
■法讳(法諱)fǎ huì 敬辞。称出家人的法名。
■洒家 sǎ jiā 宋元时关西一带男子的自称。代词。犹“咱”。
■便是 biàn shì 即是,就是。
■关西(關西)guān xī 指函谷关或潼关以西的地区。
■令尊 lìngzūn 称对方父亲的敬词
■提辖(提轄)tí xiá 官名。 宋 代州郡多设置提辖,或由守臣兼任,专管统辖军队,训练教阅、督捕盗贼。

ポピーたちが「この師匠が喝采するなら本当にすごいんですネ!」とおまいらの喝采はただのお世辞かよと突っ込みたくなるような発言をします。ここの紹介方法うまいですよね~。
魯智深が「あの軍官は誰なんだ?」と聞くと、みんなが「八十萬禁軍鎗棒教頭の林武師、名前は林冲ですよ」と答えます。みんな知ってる林武師。

魯智深が「入ってもらって会おうじゃないか」というと林教頭は塀を飛び越えて入ってきます。
“廝見”=“相見”で良いのだろうか。
ドラマの老版も新版も林教頭が塀をひらりと飛び越えてくるので、なぜ門から入らない!?と思ってたんですが、小説に“跳入牆來”と書いてあるのですね。豹子頭は身軽です。

そして、ドラマでは老版も新版もここで一騎打ちが始まるのですが、小説ではおしゃべりするだけだった。
魯智深は出会うと常に一騎打ちするのかと思ってたら、小説では獣子のときだけのようです。


まず魯智深の自己紹介。
“洒家是關西魯達的便是。”
“洒家”は関西出身男子の一人称。日本語訳では「あっし」とか「おいら」とか可愛い。
語尾に“便是”をつけるのも魯智深の特徴。

「人をたくさん殺しすぎたので僧になった」と言ってますが殺したのは一人です。
いいところ見せようとホラ吹いてみたのね。
魯智深は若いころ東京(開封)へ来て林冲の父の林提轄に会ったことがあるそうです。よくとっさに思い出せるもんだ。



(原文)
林沖大喜,就當結義智深為兄。智深道:「教頭今日緣何到此?」林沖答道:「恰纔與拙荊一同來間壁嶽廟裏還香願。林沖聽得使棒,看得入眼,著女使錦兒自和荊婦去廟裏燒香,林沖就只此間相等,不想得遇師兄。」智深道:「洒家初到這裏,正沒相識,得這幾個大哥每日相伴﹔如今又得教頭不棄,結為弟兄,十分好了。」便叫道人再添酒來相待。




■缘何(緣何)yuán hé 因何;为何。
■恰纔 qià shān 1.亦作"恰才"。2.刚刚;刚才。
■拙荊 zhuōjīng 旧时谦称自己的妻子
■岳庙(岳廟)yuè miào 五岳之神的庙宇。特指东岳庙。
■还香愿(還香願)hái xiāng yuàn 求神保佑的人实践对神许下的烧香心愿。 
■使棒 shǐ bàng 弄棒习武。
■入眼 rùyǎn 看着舒服;顺眼;看中
■荆妇(荆婦)jīng fù 对人称己妻的谦词。 


魯智深が父親に会ったことがあると聞いた林冲は(なぜか)大喜びして、すぐに魯智深と義兄弟になります。
私の勘ですが林教頭はかなりのファザコン。
魯智深が兄なのは年齢が上なのか、それともパパの知り合い=目上ということなんでしょうか。
ドラマの新版では林冲が哥哥だったので、上下どっちも楽しめる美味しい設定でした。

林教頭は奥さんと東嶽廟へお参りにきたのです。
“還香願”は日本語訳では「お礼参り」「願ほどき」になっていました。
夫婦そろって何を祈願しに来たんでしょう。ドラマの新版では林娘子はとてもこどもを欲しがっているようでしたが。



・・・このペースだと1回に数ヶ月かかりそう・・・
続きます


下一回
〔原文で楽しむ古典〕 《水滸伝》 (2) 第七回 花和尚倒拔垂楊柳 豹子頭誤入白虎堂  其二


老版は立ち回りが優雅で美しい
水滸 - 林冲 vs 魯智深








※と思ったら《水浒词典》が大陸で再版になっている。買おう。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 03月 08日 |
《蒋勋说宋词》
蒋勋(中信出版社)2012-03-01




そろそろ宋詞が分かるかも知れない・・・と思って読んでみた本。
この本を選んだ理由は表紙がとても綺麗だったのと、書店で平積みになってて、何人も買っていくので面白いんだろうなと思って。(買ったとき最新刊だったようです)

大当たりでした。
作者の蒋勲氏は台湾の小説家・詩人だそうです。とても有名みたい。知りませんでした。

日本ではあまり一般向けの宋詞の解説書ってないと思います。
数少ない貴重な本も、いまひとつ宋詞の魅力がよくわかんない感じでした。日本語で中国語の詞を解説するのは無理がありますね。

この本は宋詞の魅力がどこにあるのか凡人にも分かりやすい言葉で解説してくれるので楽しかった。
宋詞は詩人が鏡を覗きこんで美貌の衰えを嘆いたり、夜中に雨で目が覚めて孤独を感じたり、と退廃的な内容が多く現代台湾の流行歌みたいなんですって。

しかしよく分からないのは春雨が降ると憂いを感じるという宋人の感性です。
江南はやたらに春雨が降るようです。そのたびに憂いに沈む宋人たち・・・
日本的な感覚では憂いは秋雨に感じるものだと思えるのですが。春雨は色っぽいイメージなんですが。
江南では違うのだろうか。



蒋勲老師のラジオ番組(?)《美的沈思》が土豆に音声がたくさんアップされています。
本当に優しい話し方で、言葉も美しいのでいつまででも聞いていられる感じ。
ブリジット・リンが蒋勲老師の「紅楼夢」の解説を聴くためだけに台湾に戻っていたというのもうなずけます。

蔣勳【美的沉思】李後主的文學成就與影響


youtubeにも少しありました。楚辞の話は全然分からなかった・・・(楚辞が分からないから)

蔣勳 從唐詩到元曲



蔣勳【美的沉思】:談楚辭《九歌》(六)




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 02月 22日 |
「漢詩を創る、漢詩を愉しむ」
鈴木 淳次 (リヨン社)

高島俊男先生のご本を読んで、「あ~あ、アタシには一生中国語の音韻は身につかないんだわ・・・」と深い絶望の淵に落ち込んでいたのですが、この「漢詩を創る、漢詩を愉しむ」を読んでちょっと持ち直しました。

「平仄」の説明がとても分かりやすい。
いままでは中国語がネイティブレベルの学習者むけの解説を読んでいたので(《現代漢語》とか『間違いだらけの漢文―中国を正しく理解するために』とか)説明があんなにも難しかったのですね。(ネイティブ向けだから)

この本は中国語がまったく分からない日本人のために「平仄」を説明してあるので、中国語が分からなくても分かるようになっています。(←こういう書き方しかできなくてごめんなさい)

ところで、最初のほうに「漢詩の決まりは、スポーツのルールと同じ」とあって、

決まりさえおぼえれば、漢詩づくりはけつしてむずかしいことではないのです。
「その決まりをおぼえるのが面倒なんだよ」と言う方もいるでしょうが、漢詩の決まりは、「スポーツのルールのようなもの」と考えればよいのです。

「漢詩を創る、漢詩を愉しむ」

そうだよねえ、その通りだよねえ、と思いつつも、なぜそのようなルールになってるのかはこれまで日本人は不問にしてたのではないでしょうか。というか禁断の質問というか。答えを知ってしまったら生きていけないから見ないようにしてきたというか。


この平仄の規則がむずかしいと思って、漢詩づくりに興味があつても、 一歩踏み出せない方々も多いようです。しかし、スポーツでもそうですが、ルールがあるからこそおもしろさもあるし、身につけやすいのです。すこしずつ学んでいきましょう。

【平仄について】―― 「平字」と「仄字」の組み合わせによってリズムを生みだす

古来、多くの詩人たちが、「耳で聞いたり、口に出したときに心地よく、調和がとれている詩」をつくろうと、さまざまな研究や工夫を重ねてきました。そして、「平字」と「仄字」の組み合わせによってリズムを生みだす「平仄」というたいへん重要な規則を確立したのです。
漢詩を口に出して読んだときの音楽的なバランスを図るため、近体詩では、「平字」と「仄字」をどのような順番に並べるのか、また、前後の平仄の配置をどうすればいいのかなど、守るべき規則が細かく、緊密に定められています。




鈴木淳次先生の文章に私が勝手に手を入れてみました。
私の考えるところはこうです。



古来、多くの中国人の詩人たちが、「中国語で耳で聞いたり、中国語で口に出したときに心地よく、調和がとれている中国語の詩」をつくろうと、さまざまな研究や工夫を重ねてきました。そして、中国語の「平字」と中国語の「仄字」の組み合わせによって中国語のリズムを生みだす「平仄」というたいへん重要な中国語の規則を確立したのです。
漢詩を中国語で口に出して読んだときの中国語の音楽的なバランスを図るため、中国語の近体詩では、中国語の「平字」と中国語の「仄字」をどのような順番に並べるのか、また、前後の平仄の配置をどうすればいいのかなど、中国語で守るべき規則が中国語で細かく、緊密に定められています。


・・・しつこかったですね・・・


漢詩(中国語の定型詩)って中国人が「うおお、この音の組み合わせが気持ちええわ~!!!」と感じるように作られていると思うのです。(私は中国人じゃないのでどのくらい気持ちいいのかさっぱり不明)
日本人が日本語で漢詩を作ったり鑑賞したりするときに、いちばん肝心の「音の並びがどえりゃーキモチイイでよ」はすっぽり抜け落ちているわけで、その点(中国人が感じている(らしい)ものすごい快感を指をくわえて見てるだけ)について日本人のみなさんはどのように自分を納得させておられるのであろうか?というのが私が疑問に思っているところなのです。


なんてことを書いていたら本の内容(すごく良いです)について書くスペースがなくなりました。
あらためて書きます。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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2013年 02月 03日 |
「寝言も本のはなし」
高島 俊男(大和書房)

白話小説についての文章が目当てで読んだのですが、高島先生は本当にどうしてこんなに中国人のことが分かるの!?と驚いた部分があったので長くなりますが引用します。


中国人は、今世紀の初めから、熱心に西洋のマルクス主義を取り入れ、世紀のなかば以後はこれが国是となった。今になって、そもそもマルクス主義は中国にはあっていなかったのだ、という人もあるが、わたしはそうは思わない。中国人の持っている学問のイメージに、 マルクス主義はびったりだったのであり、だから受け入れられたのである。
孔子の学問が有効性を失ったあと、その位置を代替するのに、マルクス主義以上のものはなかっただろう。――真理は、意外にも、わが孔子ではなく、西方の偉人によってすでにあますところなくあきらかにされていたのだ。世界万般の事象は、マルクス、エンゲルスらの先哲が書きのこした書物を参照すれば、すべてきれいに解釈がつく。のみならず、それらの書は、人類の進むべき道も、明快に指し示してくれている。
こんにちの中国では、かつて孔子の書を「経典」と呼んだごとく、マルクスらの書を「革命経典」と呼ぶ。革命経典は学問全体を統括する不可侵の上位学問であって、その原理はどの個別の学問にも適用できる。
またそれは最終的な真理のよりどころであって、いかなる問題が生じた際、いかなる事態に遭遇した際も、そこへ立ちかえれば正しい解答が用意されている。
自己の見解を述べてゆく際も、節目節目に「その証拠にはマルクスが(あるいはレーニンが)こう書いている」とさしはさめば、その見解の正しさが保証されたことになる。そのように、絶対に信頼できる真理の書を擁している、ということで中国人は安心できるのである。

「本の並べかたについて」

「寝言も本のはなし」 高島 俊男


中国人ほどお金が好きな人たちが、お金儲けを禁じる社会主義を選んだ理由がぜんぜん分からずにいました。
でも、経済体制の問題ではなかったのですね。
中国人は「絶対的に正しい聖人の書いた真理の書」がなければ、そしてそれを引用しなければ生きていけないのでしょう。

中国人のスピーチを聞くと数語ごとに最新の政治的スローガンを引用する人が多い。(とくに地方の役人)
「自分の意見を言えずにスローガンばかり言わされてかわいそう」と思っていたのですが、彼らは「正しい文書を適切に引用できるすごい俺様」に酔っているんですね。かわいそうと思った私が世間知らずでした。


しかし自分と合わない「真理」を強要されて苦しんだ中国人もいた、というのが許政揚という文革で殺された学者の業績を集めた《許政揚文存》の書評。


この書物におさめられた許政揚の著作のうち、最もととのった、質の高いものは「宋元小説戯曲語釈(二)」である。しかし、彼の悲劇は、「話本徴時」の二則、「簡帖和尚」と「戒指児記」に最もよくあらわれている。前者は「所由」という語を手がかりにこの小説が元初の作であることを論じ、後者は駙馬の招選の対象および手続きからこの小説が明人の筆になることを説く。いずれも間然するところない考証である。そしていずれも、考証が終ったあとに、「封建政治」「暗黒統治」「典型意義」等々論旨と無関係なステレオタイプの不要の文字がえんえんとつづく。元来「厳正にして荀くもせず、学を論じ人を観るにいささか稍かも寛瑕なき」人が、かかる庸俗陳腐の文字を錦の御旗としてかかげねばならぬ、現にかかげつつある、そのくやしさなさけなさが彼の胸中に磊塊を積み、肝の病を発し、実生活においてはいよいよ狷介になり、友人同僚の支持を失い、ついには文革勃発が引き金となって悲惨な死をもたらすのである。


周汝昌が序文を書いているそうです。読んでみたい・・・


白話小説は「売油郎」の紹介でした。
花魁がけなげでかわいい。


中国の文学は、―― いやそもそも、西洋のものを言うのと同じ「文学」という呼び名をもちいることが混乱のもとなのだが、ほかに適当な言いかたもないからそう言っておきます――その中国の文学は、言語を素材とする芸術なのであるから、これを翻訳して、つまり他の言語による説明でもってその価値をつたえることは不可能である。
いやもちろん、「何を言っているか」をつたえることはできますよ。しかしそれは、上にのべたように、絵を口で説明するのと同じで、芸術としての価値をつたえることはできない。だから水滸伝や三言が傑作だといっても、翻訳をよんだのではどこが傑作なんだかちっともわからない。ストーリーを日本語でのべてあるだけなのだから。
(略)

『文選』のばあいは、言語そのものが作品なのである。根本的に性格がちがうのだ。ヨーロッパの文学が世界中で読まれているからといって、中国の古典文学を翻訳して世界中の人にそのよさを知ってもらおう、なんてのは、まるっきリナンセンスである。
どちらが上ということではない。こちらは芸術なのであり、あちらは芸術ではなく「文学」というものなのだ。
さてお話もとにもどって、そういう言語の芸術という性格は、もともとは文言の作品についてのみ言われ得ることである。ところがおそろしいもので、中国という環境で生れ育つと、本来芸術の資格のないはずの口語小説も、おのずから芸術的達成への道を歩みはじめ、それはそれで数百年にわたって練りあげられ成熟して、十六世紀後半から十七世紀前半のころには、後世がさかだちしても越えることのできない水準にいたった、つまリベートーヴェンが生れちゃったわけで、それが水滸と三言だ、というしだいなのである。だからあたしは文章のことばつかり言うわけだ。
長い説明でした。おつかれさま。

「中国白話小説へのご招待」

「寝言も本のはなし」 高島 俊男


高島 俊男先生は女性に同情できる珍しい方だと思います。
とりわけ旧中国の研究家は女なんて眼中にない人ばっかりって気がするので珍貴だと感じられます。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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