「新版 教養としての経済学」
2014年 04月 23日 |
「新版 教養としての経済学」
斎藤 謹造

いろいろ目からウロコ(目からスマウグ)だったのですが、

ところで、旧体制の非生産階級の所得源泉の没収は、しばしば新しい経済発展に前近代的な富を動員する捷経であって、若干の例外をべつにすると、それは社会主義的蓄積の原資を調達する手段なのである。社会主義体制は、一般に後進諸国の急速な資本蓄積のためにこそ適した体制であることが強調されるが、それはこの没収の効果と関連づけることでよりよく理解されよう。実際に後進的農業国だった帝政ロシアで社会主義革命が成功して以来、開発途上国で社会主義の選択がよくみられるのは、蓄積資源の没収が途上国に魅力的だからではあるまいか。



近代国家になるにも原資が必要なわけで、
・先に近代化した国(や企業)から借金する
・全員で死に物狂いで働く
とかの方法があるわけですが、借金すれば元本も利息も返済しなければならず、みんなで働いてもこのご時勢いつお金がたまるか分んない・・・じゃあすでに持ってる人から没収しよう!というのが社会主義だったのですね!(超単純化してます)

私はこれまで

社会主義=全員が一生懸命働いて全員が幸せになる体制

だと思っていて、なぜ中国人のような「楽して自分だけ手っ取り早く金持ちになりたい」人たちが社会主義を選んだのか理解できないでいたのですが、

社会主義=他人の儲けを丸々手にいれて代価は支払わなくて良い

と思えば確かに中国が近代化するには社会主義がいちばんぴったりだったと納得できる気もします。(もちろん気高い理想を抱いていた人もいたと思いますが)

ああ世の中そうなっていたのか・・・と思わせられる本でした。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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