宮崎市定 「雍正帝」‏
2014年 04月 09日 |
「宮崎市定全集14 雍正帝」(岩波書店)

読み始めてしばらくして「・・・これ前にも読んだ・・・」と気づきました。
以前読んだとき宮崎市定先生が「雍正硃批諭旨」を強力プッシュされてたのが印象深く、すぐ後に中国の書店で「雍正帝朱批諭旨」を見かけて(しかも安かった)すごく欲しかったのですが「でも絶対読まないし」と思い直して買わなかったという過去があることも思い出しました。
もし買ってたらどうなってたかな、たぶん積読のままよね・・・


えー、さて、「雍正帝」には年羹堯の「朝乾夕惕事件」についても書かれてました。
(つまり前にも読んでた、と)


年羹堯が陝西から奉った上奏文の中に、雍正帝のことについて「夕陽朝乾」という句を用いた。これは易経の文句から出た「朝乾夕惕(ちょうけんせきてき)」朝も勤勉、夜も勤勉という意味を書こうとして字を間違えたのであるが、雍正帝はこれを見て怒りだした。
---易経の文句から取った朝乾夕惕というのなら分かるが、年羹堯はことさらに夕陽朝乾とひっくりかえした上に文字まで間違えている。夕陽朝乾は読書人のことだからうっかり間違えるという筈はない。察するところこれは朕の行為が朝乾夕惕に値しない、むしろその反対だという意味であろう。それならばそうとはっきり申し立てよ。
これは全くのいいがかりで難題を吹きつけられたように見られるが、実は年羹堯のこれまでの種々の不行跡、ことに天子の大権に対する干犯の事実の数々の実証が雍正帝の手元に挙っていたので、いまやそれを摘発する機会が到来したにすぎぬのであった。

「雍正帝」 忠義は民族を超越する
宮崎市定全集14 雍正帝



「雍正硃批諭旨解題」にも


奏摺譜の禁令の条に、「朝乾夕惕」の四字は用いることを忌む、と記してあるが、これは雍正時代の有名な年羹堯事件が尾を引いているのである。言うまでもなく年羹堯は奏摺の中でこの四字の順序を変えた上に誤字を書きこんだために、日本の国家安康のような筆禍事件を惹起し、失脚した上に身の破滅を招くようになったのである。その外、洪福斉天とか、来歳必獲豊年とかいう句を用いるなと注意しているのは、雍正硃批諭旨の中で天子が屨々排斥している語句だからである。

「雍正硃批諭旨解題」
宮崎市定全集14 雍正帝




「朝乾夕惕事件」って有名なんですね~
そしてブログ主の記憶力はザルのようです。

雍正帝は「来歳必獲豊年」のような陳腐な決まり文句やおべっかが大嫌いだったらしく、痛烈なコメントをつけて突き返してたようです。
分るわーその気持ち。中国の官僚は昔からきれいごとばっかり書いてたんでしょうね。

私が突き返したくなるのは“实现中华民族的伟大复兴”とか“相信人民的力量”とかです。
もう飽きた。もっと内容のある話をしてくれ。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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