重棗のような顔 『新編 対の思想―中国文学と日本文学』
2012年 08月 12日 |
『新編 対の思想―中国文学と日本文学』
駒田 信二( 岩波書店)

駒田 信二先生といえば中国文学の大御所だけに中国への理解力も超越してらっしゃったんじゃないかしら、とか勝手に思っていたのですが、あらためて著書を読んでみると、普通の人と同様に中国とどう向き合うか日々試行錯誤しておられたのだなあと親近感を覚えました。
(普通の人よりずっと真剣に向き合っておられたというのもよく分かりました)


吉川 英治「三国志」の種本について考察した部分。


『三国志演義』の翻訳者である立間祥介氏がつぎのようなことを書いている。
・・・吉川「三国志」の読者という方から、きついお叱りの投書をもらったことがある。/お前の訳書は原典から訳したといっているが、吉川「三国志」とはまるで違い面白くない。もっと原典忠実にやれ。
立間氏のところへ行ったのと同じような投書を、私も十何通か受けとったことがある。私の『水滸伝』(平凡社。立間氏の『三国志演義』も同じ)を買ったという読者からのもので、彼らはみな吉川英治本『水滸伝』の読者なのだった。
吉川英治の『水滸伝』が途中で終わっているので、おまえの『水滸伝』を買ったが、百二十回本の完訳だといいながら、省略が多すぎる。看板にいつわりありではないか。例えば「この話はそれまでとする」とか「くどい話はぬきにして」などと勝手に省略しているくせに、なにが「完訳」か。
大体そういう投書だった。「この話はそれまでとする」とか「くどい話はぬきにして」とかいうのは『水滸伝』の語り癖なのである。翻訳だからこそそのまま訳しているのに、読者は訳者自身が「それまで」としたり、「ぬきに」したりしているのだと思ったようである。
(略)
だが翻訳となれば、これは私自身の例だが、原典に「不在話下」とあれば「この話はそれまでとする」と訳さなければならないし、「話休絮煩」とあれば「くどい話はぬきにして」と訳さなければならなのであって、そこにはまた、それなりのおもしろさもあるのだけれども。

「翻訳と語りなおし」
『新編 対の思想―中国文学と日本文学』駒田 信二



確かに三国演義も水滸伝も現代人が読んで面白い本ではないですが・・・昔の日本の読者って無邪気だったのね。

それで吉川 英治「三国志」の種本のところに『通俗三国志』のことがありまして


「通俗」というのは、今日使われている言葉の意味とはちがって、中国書の翻訳のことをいう。俗に通じるようにする、中国文の読めない一般の人に読めるようにした、という意味である。

「翻訳と語りなおし」



・・・知りませんでした・・・「俗っぽい三国志」なのかと思ってた(無知)

ところで(唐突ですが)、関羽の顔がよく「重棗」と形容されていますが、重棗って何かご存知でしたか?


この<面如重棗>の<重棗>が問題である。
立間祥介氏はこれを
・・・顔色はくすべた棗のごとく・・・
と訳している。

「関羽の顔の「重棗」について」



立間祥介氏は曲亭馬琴が「万暦版の演義三国志を見るに、面如薫棗とあり・・・」といってるのを根拠に薫→重の筆写ミスと判断したそうです。


小川環樹氏は同じところを、つぎのように訳している。
・・・顔は熟した棗のように赤黒く・・・

「関羽の顔の「重棗」について」



小川環樹氏の典拠は魯迅の「重棗」とはどんな棗であるか、わたくしは知らない。要するに赤い色には違いあるまい」という文章だそうです。みなさん博識ですね・・・
(「紅表忠勇,是從關雲長的“面如重棗”來的。“重棗”是怎樣的棗子,我不知道,要之,總是紅色的罷。在實際上,忠勇的人思想較爲簡單,不會神經衰弱,面皮也容易發紅」魯迅《且介亭雑文》)


水滸伝にも同じような表現が出てくるそうです。


吉川幸次郎氏はここをつぎのように訳している。
・・・棗を重ねたやうな顔つきにて・・・


「関羽の顔の「重棗」について」



そして駒田 信二先生ご本人は


私は<重棗>の<重>を「大いなる」と考えて、「大きな棗」と訳したが、これは、立間氏の「くすべた棗」を取る確信もなく、小川氏の「熟した棗」を借りることも憚られたからである。吉川氏の「棗を重ねる」も棗の実の群がり成っている形として心ひかれたが、これを取ることもやはりできない。翻訳者のつらさがここにある。誰が訳してもそうとしか訳せないところはともかくとして、ひとりの役者が苦心して考え出した訳語を、易々として頂戴するわけにはいかないのである。

「関羽の顔の「重棗」について」



ひとつの訳語にもいろんな工夫がこらされているのがよく分かりました。

ところで私も「重=腫」で「はれぼったい棗のような顔」という説をいま思いついたので発表してみます。
無根拠です。

今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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