「字」を呼ぶのは偉そうなのか?
2012年 03月 27日 |
「人を名前で呼ぶのと字で呼ぶのとはどう違うのでしょう?」というご質問をいただいたので、「三国志人物縦横談」(高島 俊男)を引っ張り出してみたところ、懇切丁寧に説明がありました。高島先生は本当に素晴らしい。

以前にも引用したけどまたします。高島先生ありがとう。


友人に「「劉備玄徳」や「諸葛孔明」はちゃんと姓名四字(!!)そろっているのに、曹操はなぜ半分しかないのか?」と珍問を投げられた高島先生が追い詰められて「「劉備玄徳」という呼び方がゆるされるなら「曹操孟徳」ということになる」と答えてしまい、友人は満足するという前段があって


ちっともよくないのである。曹操孟徳なんて言いかたはない。どこで聞いてきたのか知らないが劉備玄徳なんて言いかたもない。(略)
中国人は誰でも姓がある。曹操の姓は曹、劉備の姓は劉、諸葛亮の姓は諸葛である。
姓はたいてい一字なのだが二字の姓もある。これを「複姓」と言う。(略)
曹操の操、劉備の備、諸葛亮の亮が名である。(略)
名は重大なものであり、大事にとっておくべきものだから、通常は使用しない。通常に使用する名前が字(あざな)である。曹操の字は孟徳、劉備の字は玄徳、諸葛亮の字は孔明である。
名と字は何か関係がある。しかしその関係はなかなかむずかしくて、容易にわからぬことが多い。
曹操の場合は比較的わかりやすい。『荀子』の勧学篇に「生くるも是に由り、死するも是に由る。夫是を之れ徳操と謂ふ」とある。この「徳操」を名と字に分け、字の方は長男を意味する「孟」を冠して「孟徳」としたのである。
劉備はわからない。(略)
名と字をくっつけることはない。つまり「操孟徳」「備玄徳」「亮孔明」などと言うことは絶対にない(上に姓をくっつけても同じこと)。わたしが友人に「曹操孟徳」と言ったのはヤイヤイ言われてせっぱつまったからである。
姓と字をくっつけることはごく普通である。曹孟徳、劉玄徳、諸葛孔明という呼び方である。ただし、ある人は姓名、ある人は姓字にして、曹操、劉備、諸葛孔明と並べたら、これはおかしい。

P.305「曹操」
「三国志人物縦横談」高島 俊男


ここまでが「名」と「字」についての一般常識。

で、親しさによってどう呼び方を使い分けたかというと


若いころ、あるいは親しいあいたがらでは字で呼び合う。曹操が年少のころの友だちは曹操に対して「孟徳」と呼んだ。同様に諸葛亮の友だちは彼のことを「孔明」と呼んだ、というわけだ。
やがて官職がつけば官職で呼ぶ。封建されれば封号で呼ぶ。さらに、死んで諡号が贈られれば諡号で呼ぶ ということになる(諡号というのは当人が死んだあとでつく名前。わが国の近時でいえば「昭和天皇」というのがそれである)。
もし曹操が高官になってからも彼のことを「孟徳」と呼んでいる人があったとすれば、それは必ず子供の頃のガキ仲間か、少年時代の勉強仲間である。そうでもないのに「孟徳」と呼んだら、それは大変失礼である。もし曹操にむかって「操」と名を呼ぶ者があるとすれば、それは必ず、負けてつかまってこれから殺される敵将である。つまり百パーセント殺されるとわかって罵る時のみである。

「蜀志」の「馬超伝」に引く『山陽公載記』にこういう話がある。馬超が劉備に帰した時、劉備は馬超を手厚く待遇したので、馬超はつい気安くなって、劉備と話すときはいつも「玄徳」と字で呼んだ。関羽が怒って、馬超を殺そうとしたが、劉備になだめられて思いとどまった。劉備は馬超に威厳を見せつけて、以降字で呼ばないようにさせた。---というのである。
裴松之が、この話は信用できない、馬超が劉備を字で呼ぶなどという傲慢なことをするはずがあろうか、と言っている。つまり、馬超の傲慢を示すためにこんな話が作られ、いくら傲慢でもまさかそんな失礼なことのあろうはずがないと裴松之が否定しているのであって、すでに相当の地位にある人を字で呼ぶというのはそれくらい失礼なことなのである。

P.306「曹操」
「三国志人物縦横談」高島 俊男




劉備を親しみを込めて字で呼ぶと関羽に斬られる・・・乱暴だな関公。

なぜか劉備のコーナーに呉の人たちの字の解説が

たとえば、周瑜の字は公瑾、魯粛は子敬、呂蒙は子明である。友人が周瑜に呼びかける際は「公瑾」と言い、周瑜について他人同士が話す際も「公瑾」と言って、「瑜」とは言わぬのである。右の三人がみな死んだあとで孫権が彼らについて思い出話をする際も、「公瑾は偉かった」とか「子敬は手柄もあったが失策もあった」などと言っている。

P.348「劉備」
「三国志人物縦横談」高島 俊男



高島先生の引用だけでは手抜きな気がするので《世説新語》を見てみるとこんなのがありました。


鍾士季目王安豐:阿戎了了解人意。謂裴公之談,經日不竭。吏部郎闕,文帝問其人於鍾會。會曰:「裴楷清通,王戎簡要,皆其選也。」於是用裴。
(世說新語 賞譽第八)



日本語訳は

鍾士季(鍾会)は王安豊(王戎)を評して言った。
「戎君は、人の気持ちがはっきりわかる。」
また、こうも言った。
「裴公(裴楷)の談義は何日も尽きることがない。」
吏部郎に欠員ができたので文帝(司馬昭)は適任者の心当たりを鍾会に訪ねた。会は言った。
「裴楷は清通(すっきりしていてこだわりがない)、王戎は簡要(簡にして要を得ている)、いずれもそれにふさわしい候補者でございます。」
そこで〔文帝は〕裴楷を任用した。

中国古典小説選〈3〉世説新語(明治書院)



このエピソードに登場するのは
偉い人順(たぶん)に

司馬昭〔文帝〕
鍾会〔鍾士季〕
裴楷〔裴公〕
王戎〔王安豊、阿戎〕


☆司馬昭は皇帝なので地の文でも会話の中でも決して字も名も呼ばれず、諡号だけ。
☆鍾会は地の文で名と字で呼ばれてる。
☆裴楷は地の文でも会話の中でも「裴公」と呼ばれています。裴楷の字は「叔則」なので、「裴公」は敬称ですよね。裴楷は最後には中書令になったので「裴公」「裴令公」とも呼ばれたようです。
しかし、ここでは鍾会に吏部郎に推薦されて出世の階段を上るところなので(=まだ無職)、鍾会が会話の中で「裴公」と呼んでるのはヘンだと思います。(それに鍾会のほうが8歳くらい年上。)作者が字で呼ぶのは失礼だと思って過剰修正しちゃったのでしょうか。
☆王戎は字、名だけでなく会話の中では「阿戎」(戎ちゃん)と愛称でも呼ばれてます。王戎のほうが裴楷より年上なのに戎ちゃん呼ばわりなのは、それだけ鍾会と親しかったのでしょうか。竹林七賢だし。

オチの「於是用裴。」がとても気になります。
中国では姓だけで人を呼ぶことはとても少なく、これが史書だと「於是用楷。」と名を記すと思うのですが、《世説新語》には姓だけ書かれてることがわりとあるのはなぜ?


と疑問も増えながら終わる。


<おまけ>

友人が周瑜に呼びかける際に「公瑾」と言う例



周瑜について他人同士が話す際に「公瑾」と呼ぶ例






何の珍しさもないおまけでごめん


自分用追記

「中国古典小説選〈11〉子不語」にも同じようなことを書いてた
中国古典小説選〈11〉子不語




今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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