「老乞大 朝鮮中世の中国語会話読本」
2012年 03月 26日 |
d0127061_21222837.jpg「老乞大 朝鮮中世の中国語会話読本」
平凡社(東洋文庫 699)
鄭光=編 金文京 玄幸子 佐藤晴彦=訳



平凡社のサイトより

老乞大とは,高麗末から朝鮮で広く読まれた中国語会話の教科書。大都(北京)へ交易に赴く商人が道中で交わす会話という設定で,当時の言葉と社会,日常生活がいきいきとよみがえる。新発見の古い版本を底本とし,注釈を加える。



お恥ずかしい話ですが(最近お恥ずかしいネタばっかり)、韓国の歴史ドラマを見るようになってはじめて「朝鮮半島は無人の野ではなかった」と気がつきました。

いやもちろん隣に韓国という国があってその北には北朝鮮があって、古代にはそこから渡来人が日本にも来てた、というのは知識としては知ってましたけど、実際にそこで何千年ものあいだ人が生活してきたというのが実感としてなかった。
朝鮮半島の歴史とか世界史で(習ったんだと思うけど)習った記憶もないし。


「老乞大 朝鮮中世の中国語会話読本」は副題通り高麗で出版された「チャイ語旅行会話」のテキスト。このときの中国は元です。

高麗は元に征服されて王妃を元から受け入れてたって知ってましたか?
私は本当に1ミリも知りませんでした。国母が元の女性なら、高麗の王様は元とのハーフなんですよね。
しかもただ服従してたわけではなく、高麗女性が元の皇后になったり、高麗出身者が朝廷の実力者になったりと相互で人材が行き来していたんですって。

当然物資の往来もあって、「老乞大」は大都(北京)へ高麗の物産を売りに行く高麗商人のための会話集になってます。
日本が神風で元を追い返したと国をあげて大喜びしてたころ、高麗の商人は中国語会話を習って、元の首都へ行って高麗産品を売って、中国産品を仕入れて帰ってきてたわけ。

他民族に征服されなくて良かったと思う一面、日本って本当にグローバル社会から取り残されていたんだなあとも感じました。


そして本文を読んでさらに驚きます。
これ・・・中国語!?

古代の漢文とはまったく違うのですが、現代中国語ともかなりかけ離れた変体白話文とでもいえばいいのでしょうか。
一人称なんて「俺」だし、動詞が文末に来てたりするし、単語もだいぶ違います。

文言文と普通話のあいだにこんな会話体が挟まってたのか・・・
あまりに衝撃的で感想がまとまらないので、気になったところだけ引用して終わります。


注(1)漢児言語
「漢児」とは異民族の支配下にあった漢民族を指し、彼らが使う言語を「漢児言語」といった。便宜上「中国語」と訳したが、当時の一般的な中国語に比して語順や語彙の面で特徴があり、一種ブロークンな響きを感じさせる。

P26 第一章 出会い





「漢児」というのは、中国周辺の異民族、特に北方の遊牧民族が中国人を指す言葉としてすでに南北朝の頃からみえ、同じ意味の「漢人」にくらべて口語的な言い方であった。周知のごとく中国の特に北方地域は、歴史的に遊牧民族の侵略をしばしばこうむり、特に長期にわたりその支配を受けた。ことに遼金元と三代にわたる征服王朝が中国北方に君臨し、民族間の融合が進むと、この名称の意味する範囲は次第に広まり、元代には漢民族および中国化した契丹人、女真人さらには高麗人までをも含む北中国の住民全体を指すものへと変化した。「漢児言語」とは、このような民族融合の状況において用いられた一種の共通語としての中国語に他ならない。
この言葉がきわめて変則的なのは、契丹語(モンゴル語の一種)、女真語(満州語の一種)、モンゴル語などが、おおまかに言って日本語や朝鮮語と同じ系統に属する膠着語(「てにをは」などの助辞によって語の機能を示す言葉)であるのに対して、中国語がこれとはまったく系統を異にする孤立語(助辞を用いず、語順によって語機能が決まる言葉)であるため、膠着語を母語とする人々が中国語を学習する場合、その母語の影響によるひずみが出てしまうためであると考えられる。「漢児言語」に特徴的な句末の「有」や「根底」などの使用、また「俺自穿的不是」、「外路的不是」のような直訳的な語順は、その現れであろう。

P368 解説 五 「漢児言語」と「蒙文直訳体」





なお南宋人が「漢人」「漢児」と言う場合、それは必ず北方の金朝治下の中国人を指している。したがって「漢語」も北方で使われている中国語を意味したであろうが、それは南宋人には奇妙な言葉に聞こえたらしい。

P371 解説



ピジンというかクレオールというか、こんな中国が標準語だった時代もあったのですね・・・驚きの連続でした。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

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