「漢文と東アジア――訓読の文化圏」
2012年 01月 12日 |
d0127061_1653359.jpg
「漢文と東アジア――訓読の文化圏」
金 文京(岩波新書)



内容紹介
漢文の訓読は従来日本独自のものと思われてきたが、近年、朝鮮、ウイグル、契丹など中国周辺の民族の言語や中国語自体の中にも同様の現象があったことが明らかになってきた。仏教の漢訳の過程にヒントを得て生まれた訓読の歴史を知ることが東アジアの文化理解に必要であることを述べ、漢文文化圏という概念を提唱する。


この本は他の漢文の本と違い、現代中国語や韓国語学習者にも役に立つことがいろいろ書いてある本なので普通の人にも面白いと思います。(べつに漢文の本が役に立たないって意味じゃなくて~汗)

「はじめに」の駅の「改札口」の中国語表記と韓国語表記の話題が面白く、「개찰구」なんて日本語の漢字をハングル読みにしただけで大丈夫なのか・・・というこれまでの心配が杞憂だったと分かりました。

朝鮮語の「千字文」の読み方も興味深く

하늘天(천) 따地(지) 검을玄(현) 누를黄(황)・・・


ってなってるそうです。これだとハヌル=天と分かって覚えやすい気がする。 しかも天の読み方(천)も覚えられるし。

そして、「中国にもある訓読現象」って章がいいんですよ!

中国語はなるほど太宰春台が述べるように、日本語など周辺地域の言語と語順が逆の言葉であるが、厳密に言えば、それは古代の中国語であって、近世以降の中国語、特に現在、標準語となっている北京語など北方の言語は必ずしもそうではない。古代中国語と周辺言語の語順の顛倒は、おもに動詞と目的語の関係についてであり、古代中国語では動詞+目的語の語順が原則であったが、近世以降の中国語では動詞が後置される傾向にある。


例が出てます。サンプルは「三国志」の原文と現代語訳。さすが金 文京先生。

三顧臣於草廬之中。(三たび臣を草廬の中に顧みる)
三次到茅廬中去,訪問臣。(三たび茅廬の中に行って、臣を訪ねた)

この場合、原文の「顧」は、「行って、訪ねた」と分けて訳されているが、うち「行く」に相当する部分は「到」と「去」で「茅廬中」の前後に置かれている。ただし「到」はもと動詞であるが、すでに動詞の機能は失い、英語の「to」と同じような前置詞とみなされる。すなわち「茅廬中へ」の「へ」に相当し、真の動詞である「去」は後置されている。



そう言われればそうですね。

普通話で
我去中国。

我到中国去。
の2種類の言い方がある理由をこれまで説明してもらったことがありません。

この本で初めて理由を教えてもらいました。

これらの例から、現代中国語では動詞が前置される場合と後置される場合があることがわかるであろう。また形容詞の比較級の場合、古文では形容詞の前置、後置どちらの言い方もあるが、現代語では原則として後置される。現代語と古代語で、このような語順のちがいが生じたのはなぜであろうか。

それにはさまざまな理由が考えられるが、もっとも重要なのは、北方遊牧民族のアルタイ語系言語の干渉であったと思える。
(略)
その結果、もともと口語とは乖離したところで成立した文言文としての漢文と口語の距離は、時代とともにますます広がり、のち口語にもとづく白話文が生まれると、同じ中国に二種類の構造の異なる文体が存在することになった。古代語の語法は、広東語など南方の方言には残っているが、しかし近代になって標準語とされたのは、遊牧民の影響がもっとも顕著な首都、北京の言葉であり、その北京語にもとづく口語文が正式の文体とされた。



中国語を教わるときにはどうして中国語の歴史的変化は教えてもらえないんでしょうね。
英語だったら素人でも英語の変遷について書いた本はいくらでも手に入れられるのに、中国語になると「普通話は完全無欠の姿で生まれてきた」ような教え方になるのはなぜ!?(プチ八つ当たり)


それで思ったんですが、

*我打電話給他。
(→我給他打電話。)

*我回去日本。
(→我回日本去。)

も、普通話ではNG(南方ではOK)とされているけど、動詞が前置されてるので実は正統な用法なのでは?
(思っただけです)


良い本だった。漢文読者だけに読ませるのは惜しいので、みなさんもぜひどうぞ。


今日の記事はここまでです。多謝光顧!

[PR]