魯子敬さんの“榻上策” 其の参
2011年 03月 05日 |
拍手コメントレス不要とのことでしたが、調子に乗って書いてみます。
白文字反転劇場

<世界初の丕粛>

片田舎の太守・魯粛を引き抜いて都に連れ帰った曹丕。
華やかな都では曹操主催の宴会が行なわれる。

新しい謀士を舞踏会デビューさせようと同伴する曹丕。
曹操の招いた主賓は、名ばかりの名誉官位を貰って幽閉されていた孫権だった。

最上位の主賓席に坐る孫権、曹操の長子として真向かいの席を占める曹丕、その隣につつましく控える魯粛。

踊り子の裾がひるがえるたび通路越しに交差する視線・・・
壁にはりめぐらされたいくつもの銅鏡に浮かぶ人影・・・

大型詩史電影 <合・榻> 2011年清明節公開!
銅鏡が吹っ飛ぶド派手な銃撃戦を見逃すな!

(さっきジョニー・トーの映画見たから・・・)



本題です。

今回は中国人の“榻”の解釈について
まず日本語訳を確認しておきましょう。ちくま文庫版の訳文

〔その場の〕賓客たちが退出するとき、魯粛も辞去しようとしたが、ひとり魯粛だけを呼び戻して、榻(低い足のついた小さな牀。貴人が坐る)をつき合わせ、向かい合って酒を飲んだ。

正史 三国志7 呉書 Ⅱ 周瑜魯粛呂蒙伝 第九 ちくま文庫



日本語版の解釈では「低い椅子」ってことみたいですね。

では「三国志集解」を見てみましょう。(年に一度くらいは役にたつ集解)
「合榻對飲」の直後に胡三省の注がついてます。

胡三省曰榻牀也有坐榻也有臥榻今江南又呼几案之屬為卓牀卓高也已其坐榻臥榻為高也合榻猶言合卓也



文語なのでよく分からないのですが、榻にも「坐榻」と「臥榻」の二種類あって、合榻の場合は「机をくっつけた」といってるようです、たぶん。

易中天「品三国」ではこんなの

魯肅投奔孫權後,孫權馬上就接見了,而且和他有過一次他同桌喝酒(合榻而飲)的密談。這次密談,堪稱“魯肅”版或“東吳版”的《隆中對》。
(魯粛が孫権の家臣になったあと、孫権はすぐに彼を引見し、その上、一度は彼と同じ机で酒を飲んで(合榻而飲)密談したこともありました。この密談は“魯粛”版、または“東呉版”の「隆中対」と呼べるでしょう。)
(易中天「品三国」 第17集 隆中対策)


易中天老師の見解は「つくえ」のようですね。

易中天「品三国」は「三国志 素顔の英雄たち」のタイトルで日本語訳も出ています。
日本での評価はあまり良くないようですが、この番組(テレビ番組の書籍化なのです)のおかげで、中国では曹操ファンと周瑜ファンが確実に激増したと思われます。曹魏派と東呉派は読んで損しない本だと思います。

次行きましょう。柏楊老師の「品三国」。


孫權接見魯肅,交談之下,大為興奮。等到賓客全部告辭時,還特地留下魯肅,把坐榻靠在一起,一面飲酒,一面交換意見。
孫権は魯粛を引見し、話をするうちにとても興奮した。賓客たちがみな帰ってしまっても、魯粛だけをわざわざ引きとめ、「坐榻」をくっつけて、酒を飲みながら意見を交わした。)
(柏楊「柏楊品三國」 三 東吳帝國建立)

柏楊老師は「坐榻」と書いているので、「低い椅子」という意見なのでしょうか。


あと何冊か手元の本を読んでみたところでは、「つくえ」派が多いようです。
それなりの学者は「つくえ」または「低い椅子」という意見のようですね。

しかし、ネットの記事などを見ると「ベッド」という解釈が多いようです。“榻上策” の説明に「同榻而臥」と書いてる文章もあったし。
たぶんあまり古文に詳しくない現代中国人は「ベッド」と誤解してるんじゃないでしょうか。


それにしてもなぜ私まで一緒になってこんな誤解を・・・と自分でもちょっと謎だったんですが、思い出しました。

この人のせいです。

新版三国 37集
諸葛亮、字八卦(外號娯楽快報)が魯粛についての情報をリークする場面

「哪曉得從此以後 整整一個月 孫權與魯肅 食則同席」
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「寢則同室 朝夕不離」
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寢則同室・・・孔明の罠だったとは・・・

劉備「ううむ」
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劉備さん、言いたいことがあるなら言っていいんですよ

とりあえずおしまい。




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