「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」
2010年 12月 29日 |
「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」

ケンカ売ってるのか?と思うようなタイトルですね。
書評で下記部分の引用を見て、興味を持ったので読んでみました。



ちゃんと読むのが難しくなってきたという話をすると、多くの友人たちが、自分も同じつらさを抱えていると答えるのである。ウェブ使用率が高い者ほど、長い文章に集中するのがたいへんだと訴える。
「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」
ニコラス・G・カー (著), 篠儀直子 (翻訳) (青土社)


そうなのよ、年々長い文章が読めなくなってくるんですよ。
私の長年の(ということはぜんぜん実現していない夢は)「失われた時を求めて」の再読と、「アンナ・カレーニナ」の読破なのに、このままだと決して実現しない夢で終わってしまいそうで、ちょっと恐怖を覚えていたんです。

この本によると、インターネットに慣れると、ますます短い文章しか受付けられなくなるそうです。それはインターネットが脳を変えてしまうからなんですって。
恥ずかしながら、「道具が脳を変える」という考え方があることすら知りませんでした。*

どんな風に変わっちゃうかというと


ツイッターでつぶやけば、新たなフォロワーができる。ブログを書けば、読者からコメントをもらったり、他のブロガーにリンクを張ってもらえたりする。ネットの双方向性のおかげでわれわれは、情報を探し、自分を表現し、他人と会話する強力なツールが手に入るわけだ。だがわれわれは同時にネットのせいで、社会的・知的刺激というエサを得るためのレバーを押しつづける、実験室のラットのごときものへと変えられてしまっている。



作者は決してパソコン音痴のアナログ頑固老人とかではなく、自身もインターネットの恩恵を受けてる人なので説得力があります。
怖いな、と思ったのは、インターネットを使ってると、注意散漫にならざるを得ないという点。
ウェブサイトを見てると、常に視界に動画や、点滅する広告や、派手な色の文字が入ってきて、まったく集中できませんよね。
で、集中できなくとどうなるかというと



穏やかで注意力ある精神を必要とするのは、深い思考だけではない。共感や同情もそうなのだ。(略)
脳が「身体の直接的関与を超越」して、「状況の心理的・道徳的側面」を理解し、感じはじめるには、時間がかかるということがわかったのだ。
研究チームの言によれば、この実験が明らかにしているのは、注意散漫になればなるほど、われわれは最も微妙で、最も人間独特のものである感情形態、すなわち共感や同情などを、経験できなくなっていくということである。



極端に言えば、ネットに耽溺してると、思いやりがなくなるってことでしょうか。
怖いですよね。


憂慮すべき点は、人間を上回る思考能力を持った、驚異的にクールな機械を作りたいという彼らの少年のような欲望ではなく、そのような欲望を生み出した、人間の精神についての彼らの偏狭なイメージなのである。



ものすごい偏見なのは分かってるんですけど、コンピュータを開発するようなクレバーでスマートな理系の若者って、人間の弱さとか醜さとか哀れさとかをよく知らんのじゃないか・・・と思っちゃうことがよくあるんです。
いや決して自分が人間性について熟知してるとか言いたいわけじゃなくて、私程度の浅い人生経験の持ち主から見ても、賢い理系の人の卓越した思考力と想像力って人間の上には及ばないのかと思わされることが多々あってですねえ・・・


で、この本の中で、「電子ブックが登場すれば、もうプルーストやトルストイの退屈な小説に我慢する必要はなくなる」(うろ覚え)とか言ってる人(作者ではなくて他の人)がいて、小説を読むのが喜びでない人にとっては、大長編小説なんて時間の無駄でしかないんだろうなあと思わされました。

ちょっと闘志が湧いたので、来年は絶対トルストイを読みます。サッカレーも読む。


*よく考えたら、「プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか? 」で道具が脳を変える説を読んだんでした。健忘症すぎる。
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