「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」
2010年 12月 09日 |
とても面白い本でした。
英文学について原文を読みながら講義する形になってます。

わたしにとってはものすごく大きな発見があったので自分用にメモしておきます。

最初に「あ、そうか!」と思った部分。


まずは、そんなの常識じゃない!と言われそうなことからはじめよう。ごく単純にいってのけるなら、文学作品に描かれた場面には必ず作者の意図が隠されている。それこそが、まさに、今日の第一回目の授業で示したいと思っているポイントである。
(略)
そんな至福の時間をただぼんやりとすごすのは人生の楽しみの一つだが、それに加えて、作品を作られたものとして眺め、作者の意図やねらいを意識することができれば、もっと楽しいし、この本の読者の大部分の方々がそうだと思うが、もしもあなたが文学作品についてなにか語ってみたいと思っているなら、それはぜひとも必要なことであると断言してよい。

1.場面のポイントを読み取る
「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」
山本 史郎(東京大学出版会)



「あ、そうか!」と思ったのは、この本に取り上げられてる小説はすべてイギリスの小説なんですけど、私はイギリスの小説を読むときに「作者の意図」を説明してもらう必要を感じたことがあんまりないんですよ。時代背景や政治情勢については説明があれば嬉しいけど、「作者はどうしてこの本を書いたのか?」と悩んだりしたことがない。

しかしですねえ、中国の現代小説を読むときにはすごく悩むの。
作者が何のためにこの本を書いたのか、作者の意図は何なのか、さっぱり分からないことがほとんどなんです。

どうしてイギリスの作家の意図は分かるのに、中国の作家の意図は全く理解できないんでしょう?日本と中国は同文同種一衣帯水じゃなかったの?

そして「ああこれか」と思ったところ。


19世紀の小説、とくにヴィクトリア朝小説には、ある一つの共通したテーマがある(とわたしは思う)。この本のねらいは、そのテーマが如何なるものであるかを明らかに示したうえで、それぞれの小説家がそれをどのように扱い、それについてどう考えているかを比較対照することによって、作家たちの類似点や相違点をあぶり出してみようというものである。このテーマとは、---この本のタイトルからも明らかなように、---登場人物たちの道徳的、精神的な成長である。彼らは最初は自分のことだけしか頭にないが、さまざまな試練を経験することによって、自分というものに対するより完全な理解へと向かっていく。このように自己中心のものの見かたに囚われた、いわば盲目的な状態から、心の苦悶や葛藤をへることによって、最終的に自己をおさえ、客観視することができるようになっていく過程は、細かいディテールをみれば作家によって様々だが、このテーマこそが19世紀小説における最大のテーマであること自体は動かないと、わたしは思う。(ジョン・ハルペリン著、1974年刊『ヴィクトリア朝小説における自己中心と自己発見』)

5.『アン・オヴ・グリーン・ゲイブルズ』の謎
「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」
山本 史郎(東京大学出版会)




冗談はさておき、この本のちょうど真ん中あたりでお話した、イギリス小説の大きな特徴である「目ざめのパターン」ということについて、最後に一つだけつけ加えておきたいことがある。
それは、この本で詳しく取り上げた5つの作品、すなわち『赤毛のアン』『ホビット』『高慢と偏見』『大いなる遺産』『ジェイン・エア』のどれもが、物語の大きな枠組みとしてこの「目ざめのパターン」をもとにして書かれているということだ。
それはアメリカ文学ともフランス文学ともドイツ文学ともロシア文学ともちがう、イギリス文学の特徴である。イギリス以外の小説にはこのパターンの物語が存在しないというわけではないが、とくに19世紀のイギリス文学ほどそれが顕著にあらわれている文学はどこにもない。

あとがき
「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」
山本 史郎(東京大学出版会)



山本 史郎氏は「目ざめのパターン」と呼んでますが、「登場人物たちの道徳的、精神的な成長」というのが私にとって小説を読むためのキーワードだったんですね。
小説を読むときには、主人公がある日、自分がいかに未熟でわがままだったかにハッと気づいて悔い改めて成長するというのを無意識に期待してたんです。
これまで私が読むのはほとんどイギリスの小説だったので、無意識の期待はあまり裏切られたことがなかった。

でも中国の現代小説はそういうパターンを踏襲してないので、私には理解できないの。
じゃあ中国の現代小説は何を描いているのか?そこが私には分かりません。

イギリス文学については良質の解説が大量に書かれてるのに、中国現代文学については日本人の一般読者が納得出来る解説書や手引書がないように思います。
私が知らないだけなんでしょうけど、もっと理解できるように解説してほしい。

「東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章」の中国文学版を出してほしいと切に願いつつ終わります。
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