「体験的中国語の学び方―わたしと中国語、中国とのかかわり」
2010年 02月 28日 |
フィギュアの中国ペアはエキシビションのときはとってもオシャレな衣装なのに、なぜ競技のときは古臭~い真っ赤な衣装を着ているのでしょうか。あのセンスにどうしても耐えられずにいつもTVを消してしまいます。もしや政府と党の領導人の指導によるのでしょうか。どなたかご存知でしたら教えてください。


荒川先生の本はどれも偉い先生の本と思えないくらい親しみがあって好きです。
いちばん良かったのは「はじめに」の部分。
学習が長い人にもきっと得るところがあると思います。


中国語学習のゴールは、中国人と同じように中国語を話せるようになることだと思っている人がいる。つまり、ネイティブスピーカーのようになることを目標にするのである。しかし、はたして、中国語学習の最終目標は中国人のようになることなのだろうか。
と言うより、本当に中国人のような中国語をしゃべることが可能だろうか。疑問だ。わたしも、会って最初の5分ぐらいは中国人をだませることがある。(略)しかし、本当の中国人のようにしゃべれるというのは、発音やイントネーションだけでなく、表現のすみずみにわたって中国人的な発想の中国語がしゃべれるということである。はたしてそんなことが可能だろうか。わたしはそれは不可能だと思う。

はじめに
『体験的中国語の学び方―わたしと中国語、中国とのかかわり』
荒川 清秀 (同学社)


日本人なんだから中国人とまったく同じ中国語をしゃべる必要はないんですよね。心強いです。
だってどうしても中国人と同じ発想や行動はできないんですもの。そういえば、この本のどこかのページに「謝謝」とか「対不起」を自分の作るテキストから排除しようかと思った時期があった(中国人は実際には使わないから)というのが出てきて大笑いさせていただきました。最近はだいぶマシになりましたよね。


ネイティブのなまりについて

共通語は北京語の音の体系を基礎にしているが、北京の方言はなんでもいれているわけではない。わたしは北京に行くとよくタクシーに乗る。(略)ところが10台乗ってそのうちの3人くらいは言っていることがよくわからない。あ、これは北京方言の強い人だなと思う。(略)
本当は共通語といわれるものは幻想のようなもので、なんらかの方言をもとにするしかない。これは自分の中国語を形成する場合でもそうだ。たまに“蛮高的”(とっても高い)“好漂亮”(とってもきれいだ)のような方言チックな表現を使うのも楽しい。

中国語をたくさんインプットする
『体験的中国語の学び方―わたしと中国語、中国とのかかわり』
荒川 清秀 (同学社)



北京の運ちゃんのおしゃべりは偉い先生でも分からないものなのですね。
“好漂亮”のどこが方言チックなのか分からずにしばらくキョトンとしてました。
ひょっとして普通は“很漂亮”って本当に言ってるんですね。あれって「テキストには載ってるけど実際は使わない表現」なのかと思ってた。槑槑


語彙について

よく自分はこれだけ中国語の単語を知っているといって自慢する人がいる。たくさん語彙を知っていることは悪いことではない。しかし、語彙の量だけを誇っていてはいけない。問題はその語彙のうち自由に使える語がどれだけあるかである。ネイティブスピーカーといわれる人たちが話す中国語を聞いていると、そんなに難しい単語を使っているように見えないことがある。しかし、すらすら中国語が出てくる(当たり前か)。それは、一つ一つの語の意味の幅がわかっていて、かつそれがどんな語と結びつくか、さらには、そうしてできた文を別の文とどうやってつないでいくかがわかっているからである。中国語をすらすら話すためには、このあたりをより意識的に学ぶ必要がある。

語彙の学習
『体験的中国語の学び方―わたしと中国語、中国とのかかわり』
荒川 清秀 (同学社)



人一倍記憶力と語彙量がない私。なぐさめていただいたような心地です。

その他おすすめのテキストや百度やgoogleでの検索の仕方が詳しく書いてあって役立ちます。
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